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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

遠足と蕎麦と栗ご飯

2019-11-14 | お弁当や食べ物
奈良の宇陀で、友達がお蕎麦やさんをやってて
以前そこに移転する前の店に伺ったことがあるのだけど、
今回は古民家をすごくいい感じに改装した店でずっと行きたくて、10月にやっと行きました。
とてもいいお天気で、思ったより暑いし昼から西に向かって歩くので日焼けしそうだし
あづいーといいながら駅から8キロくらいを休み休み迷い迷い、4時間かけてたどり着いた。
途中、アニマルパークがあって、かき氷食べて休憩したんだけど
そこには長い滑り台があって、それも滑ってみたりしました。
滑り台久しぶりだったのですごくすごく楽しかった。

たどり着いたお蕎麦やさん。おしゃれ。





看板猫のひとり。(もうひとりいる)

お店のある酒蔵通りも素敵で、お蕎麦は美味しく、帰りは駅まで車で送ってもらったけど
行きだけで2万歩くらい歩いた。遠足ですね。
その、お店までの道の田舎の風景の中、たくさんの柿の木に混じって栗の木もあって、
最近一合用炊飯土鍋でをご飯を炊くのが楽しくて栗ご飯も炊きたいけど
栗は3つ4つでいいのよねぇ、落ちてないかなぁと探しながら歩き、
なんとか見つけて持って帰ったもので炊いてみました。

もち米を半分入れておこわ風に。味付けは塩と酒だけ。

すごくうまく炊けた!今まで食べた中で一番美味しくてびっくり。

ああ、わたし史上最高。おこげもおいしい。

残りはおにぎりに。

遠足楽しく、蕎麦美味しく、拾った栗の実の栗ご飯美味しくずいぶん楽しめたな。

「ブス」

2019-11-13 | Weblog
>自分が大学生の時か,母が偶然小中学校で自分をいじめていた子に会って
>声をかけたけどきまり悪そうにしていた,
>小さな店で店員をしていたけどいかにもつまらなそうに働いていたと聞いて,
>ざまあみろと思った。
>ああこれはよくないなあと思いながら,ざまあみろと思った。

というつぶやきを見かけて思い出した。
中学時代に、聞こえるような陰口でわたしのことを、あのブスと嘲笑っていた子が、
大学生になっても全然きれいになってないのを見て、ざまみろとわたしも思ったな、
ああこれはよくないなあと(ほんの少し)思いながら。

それから30年経って、今も彼女が、わざとわたしに聞こえるように、
わざとわたしを傷つけるように言った陰口を覚えているし、
ざまみろと思った自分は全面的に許してる。
友達のいないいじめられっ子を、さらに傷つけて楽しむような人を、
ざまみろとこっそり思うくらいのことは許していいことにする。
そもそもわたしはブスじゃないはず・・・
ていうか、意地悪な人に悪意を持って容姿のことを何か言われたからって
悩むような次元には、もういないから。(ふふん、ざまみろ)笑

映画:ファイト・クラブ

2019-11-12 | 映画


今更ですが、1999年くらいの映画「ファイトクラブ」を見て、誰かが
わたしが少し前に見たある映画と同じと言ってた意味がわかった。
それを書くと超ネタバレになるのでラストに書きます。

さすがにすごい映画なのはわかるし、意味もわかるし好きか嫌いかなら好きなんだけど
なんしか痛いのが苦手なので疲れました。殴り殴られて何かを実感するとしたら、
それは生きてる実感ではなく、痛さの実感だけだもん。。。
でも全体的には話の主眼はそこではなく、消費社会への警告、
それに組み込まれ奴隷になってる人間への危機感とそれへの反抗、かな。
主人公の一人の訴えるその主張には共感できるところがあるのが、上手い。
だから前半は痛いの苦手なのに、嫌な感じはあんまりしなかったのです。
むしろ主人公には感情移入してしまう、痛いのに。
でも後半、大勢の子分的な男たちの群れが出てくるところからはずっと嫌な感じだった。
男たちは自分の頭で考え、自分で目覚めたわけではないのよね。
自分の主人を資本主義社会というものではなく、それに挑もうとする主人公に変えただけで
どんな目的のためでも、盲目的に一方向に従う群れというのは気持ち悪いものだと思う。
しかもそれが暴力を武器に巨大化していくと言うのはこわい。
被搾取、被虐待の果てに起こるゲリラやテロ活動のような切実さがなく、
ごく個人的な思想のようなものが原動力であるにすぎない。
あと、暴力の、力の持つ魅力に酔いしれただけ。
ラスト間近、力を持った主人公は「アベンジャーズエンドゲーム」の悪役サノスを
少し思いおこさせました。力で世界を、自分の思う正義と平和の方へ変えようとする。
監督は「セブン」と同じデビッド・フィンチャーで、似たところは多いです。いい意味で。
「ソーシャルネットワーク」「ゴーン・ガール」も見たけど
時代が違うからかやはりお少しモダンになってるかな。
でもやっぱりフィンチャーだなという感じはある。

20年も前の映画だけど、これはネタバレには気をつかう映画なので
もしもまだ見てなくていつか見るつもりの人はここからは読まないで。
この吹き替え版トレイラーの後にネタバレきます。(吹き替えもなかなかいい)













これは、この映画「タリーと私の秘密の時間」と同じようなネタバレになります。
今、自分の「タリー」の感想読み直したけど、何とネタバレ書いてなかった。
でも、ここに書きますよ。
主人公の疲れ切ったマーロを助けたシッターのタリーというのは
実はマーロが作り上げた架空の相手で、若い頃の自分だったのです。
若い頃の自分が、今の自分を励まし助け変えてくれたんだけど
実際は全部一人でこなしてたので、過労で倒れるということになったのでした。
「ファイトクラブ」も主人公が仲良くなり憧れもした相棒は
実は彼の想像でしかなく、でも「タリー」と同じく、
自分では実在の人間だと信じ込んでいるんですね。
それに気づいてから、改めて考えるとところどころの小さな謎が全部解決します。
わたしは鈍いのかバカなのか、どちらも最後まで全然気づかなかった。
その方が楽しめたと思うけど、途中で気付くよね〜と言う人もいて、
自分はやっぱり映画をあんまり注意深く見てないんだなぁと思った。

でもこのネタバレは、確かに全体に関係する壮大な仕掛けではあるけど
映画のエッセンスとしては、前半の問題提起の方が大事なのではと思う。
あと、ラストは少しロマンチックと思う、甘いわたし。
ヘレナ・ボナム=カーターはアクが強くて好きな女優じゃないけど
ここのこの役にはすごくぴったりで、時々エキセントリックな役をやる彼女だけど
その中に切なさや孤独を漂わせて適役でした。
主役のエドワード・ノートンも最高にうまいけど、やっぱりブラピがかっこいい映画。

父の死の直前直後のつぶやき

2019-11-11 | Weblog
>昨日父の見舞いに行ったけど。
これが死んだら、わたしはどう生きようかと、ぼんやりしてしまう。歓喜しようか。自由に。
それなのに、目の前に弱った年寄りがいたら、ひどいことを考えられない。
本当に本当に大嫌いなのになぁ。死ぬまで、死んでも大嫌いなのは変わらないけど、
なんであんなに苦しかったことを忘れてしまうんだろう。
あんなに恨んだことを思い出せないんだろうなぁ。

(と書いた翌々日に父が死にました。)

>さっき、亡くなりました。びっくり。
書かないと、自分が何をどう感じてるのかわからない。ぽかーんとしたままだ。
世界一憎んで恨んだ人だった父だけど、晩年は力無い弱々しい年寄りにしかすぎず、
にもかかわらず強大な権力だけは手放さない人で、わたしは結局
弱々しい年寄りを憎む難しさと支配者としての父を憎む気持ちを
心の中でぶつからないように同時に抱えてバランスを取っていたような気がする。

父の権力や支配のあまり及ばない場所で生きるようになったここ数年は、
嫌悪は変わらずあっても憎しみの方はどんどん忘れていってしまって、それがいやだった。
それでは若い頃の自分がかわいそうすぎる。許してしまっては自分がかわいそうだ。
味方の一人もいなかったわたしに、せめて今のわたしだけでも味方についてあげないと、と。
父が死んだら高笑いして喜んでやると20代のわたしはずっと思ってたけど、
そういう激しさももうないし、
父でも誰でも人が死んでザマアミロと思わない自分を、これでよかったのだとは思う。
ただ、父のことはやはり人としても嫌いだし、死んで悲しいってことは一つもない。
寂しくもない。全く。全然。

日本でのお葬式は、近くでごく簡単に家族葬で行うだろう。
見栄っ張りの父だったけど、もう生きている友達や知り合いも少なく、
日本では小さく簡単でいいと言ってたし。
火葬の後、韓国のお墓に遺骨を持っていくときに、おそらく大きな会をやることになる。
父の親戚は全員韓国にいるし、晩年に作った財団や理事をしていた銀行関係の人たちが、
どんどん大きなイベントにしていくだろう。
その辺になるとわたしはもう、よその人みたいなものだ。
今もそうだけど、父がいなくなっても、相変わらず実家に居場所はない。
相続関係が落ち着くのがいつになるかわからないし、
よそ者のようなはぐれもののわたしが難しいことに巻き込まれることもないと思うけど、
それが全部終わったら、わたしは随分空っぽな気持ちになって、
すーすーした自由をやっと実感するのだろうか。

とりあえず、お通夜は明後日なので、明日は朝から普通に仕事に行くし、
午後は自分の予定に行くつもり。そのあと夕方に実家に寄って母の様子を少し見るかな。
リアルの知り合いや友達がほとんどのFacebookの方に書こうか書くまいか。
慰められるのがいやすぎる。父、嫌いだったし、何も悲しくないもん。
と、書くのも、善男善女を不快にさせそうで嫌だしなぁ。

小さい生き物

2019-11-10 | うさぎとねこ
クロシェとほぼ同じ頃に生まれた猫兄弟を飼ってる友達んちの
ホームパーティに行ってきた。猫ちゃんたちに会うのは半年ぶりくらいか。
たくさん人がいたのでハチワレの猫は引っ込んで隠れてて出てこず。
でも大きい方の黒猫は、自由にウロウロしていました。
普段見慣れない黒猫、見慣れない大きさが、わたしには珍しくてかわいいな。

いつも、人んちの猫見ると、大きさも毛色も顔も手触りも違ってなんか楽しくて、
かわいいなーかわいいなーと思うんだけど、
じっと見てると自分ちの子に会いたくなるね。

猫じゃなくてもそうだな。小さい生き物を見て、
その、人間の大人とは違う小さい動物っぽい仕草や動きを見ていると
家にいるうちの猫に会いたくなって早く帰りたくなる。
小さい生き物飼ってる人は、みんなそうみたいね。

月記:2019年10月

2019-11-08 | 月記
10月は月末に父が死にました。それがやっぱり一番のニュースですね。
それ以外は、10月は、8、9月に比べるとまだ予定が少なく
ゆったり過ごしたと思います。
いや予定は多いけど映画をあまり見てなかったな。

・「ルート・ブリュック蝶の軌跡」展@伊丹市美術館
・京都で「温習会」都をどりみたいな舞台。華やかで楽しかった。
・タンゴコンサート。タンゴ・グレリオとアルベル・ピロッティ
・「鬼海弘雄PERSONA最終章」展@奈良市写真美術館
・伊丹バル。初めてのバル一人参加
・「幸せを呼ぶ蝙蝠」展@The 14th Moonで友達のMISHA GRAFICAさんのコラージュ
・一号炊飯土鍋を買って炊き込みご飯に凝る
・奈良の友達の蕎麦屋まほろばに遠足。すごい歩く。久しぶりの滑り台。
・「台湾料理とシェリーの会」宝塚で
・テノール歌手笛田博昭さんのリサイタル
・猫飼い友達の家のホームパーティ
・ジャズシンガーの友達が泊まりに来る
・映画見る用にアマゾンでFire買うけど家のネットに繋がらない・・・
・漢詩を英語で読む講座
・隣駅の新しいジャズバーやリノベした好きな店や反対の隣駅の本屋などに行く

・映画館で見た映画:シネマ歌舞伎「幽玄」「ビル・エヴァンス タイムリメンバード」
「ジョーカー」

・DVDで見た映画:「フロリダプロジェクト」「ああ爆弾」「ペパーミントキャンディ」
「リトルフォレスト夏秋」「リトルフォレスト冬春」「ファイトクラブ」

少しずつ落ち着こう

2019-11-06 | Weblog
今夜は父の死後初めて母がひとりだったので実家に様子を見に行って食事してきた。
日本での葬儀関係は終わってて、死亡手続き関係も大体終わったようだけど
韓国の方ではまだまだやることが続くのです。
書類手続きとは別に、この週末に韓国の田舎で追悼式みたいのがあって、
式典?は9日だけど、弔問?記帳などは今日から始まってるらしい。
式典には弟たちと母が行くのですが、息子たちは絶対来ないといけないけど
娘は行かなくてもいいという相変わらずな韓国式考えには、
全然行きたいわけじゃないのに少しもやもやしてしまう。封建主義。家父長制。
とはいえ、猫もいるし、急に来いと言われても困るところだったので
行かないことになって、ほっ、とはしました。

でもお墓の準備ができていなかったので、納骨は少し先になって、
それにはわたしも行かないといけないけど、日程が決まらないので落ち着かない。
ずっとゆっくり過ごしているけど落ち着かないのは、そんなこんなのせいです。
でも基本的に全ての手続きは弟がやらないといけないので、そこは気楽かな。
いやまだこれからか。
きれいなお茶を飲んで、落ち着こう。

映画:カーマイン・ストリート・ギター

2019-11-05 | 映画


ドキュメンタリーですが、セレブや有名人や巨匠やレジェンドではなく、
割と普通っぽい人の話。
普通っぽく見えて知る人ぞ知るというドキュメンタリーって
誰でも知ってる人より難しいところと楽なところがあると思う。
誰でも知ってる人のよく知られたエピソードを辿るには
何か新しい切り口や面白い視点がいるし、そういうものがないと作れない映画。
その代わり、それだけの有名人だと面白いエピソードはいくらでもありそうです。
一方、普通っぽい人の場合、派手なエピソードはなく登場人物も有名人は少なく
地味で退屈なものになりやすいかも?

たとえば4月に見た「YUKIGUNI」は日本でできたカクテルの名前で、
それを作りスタンダードカクテルにした人の話ですが、
このカクテル自体お酒飲まない人には知られてないだろうし
それを作った人も、それを大事に思う人もみんな市井の人で舞台も地方で
いわゆる有名な人や場所や華々しいエピソードが全く出てきません。
しかも年配の方の話なので、かなり地味ですね。しみじみした映画でしたが、
映画の後に近くのバーでこのカクテルを飲んでみるという
おまけを実行したので、そのぶん楽しめました。

バーテンダーの映画ということでは2018年の「シューマンズバーブック」
これも一般には知られていなさそうな人の話ですが、伝説のバーマンだし、
この主人公自身が派手でおしゃれな伊達男だし
世界中を旅するし、様々なカクテルが美味しそうだし
気楽に楽しめるスタイリッシュな映画になってましたね。

また一見モデル並みの外見でカメラマンという業界人ながら、
実はほぼ無名のニューヨークのホームレスという人を描いた2017年の
「ホームレス ニューヨークと寝た男」
主人公の華やかさ、それと裏腹のホームレス生活というギャップに興味深さがあります。

グリニッジ・ヴィレッジに位置する「カーマイン・ストリート・ギター」の店主で
ギター職人のリックの1週間ほどを記録したドキュメンタリー映画の本作。
小さなギター屋の中が主な舞台で、リックはとても優しそうで気さくな人だけど、
その顧客はルー・リード、ボブ・ディラン、パティ・スミスなど超有名人。
作中ではビル・フリゼール、マーク・リーボウ、チャーリー・セクストン、
ジム・ジャームッシュなどが店を訪れ、ギターを選んだり弾いたり話したりしてます。
と、登場人物はやや派手ですが、映画自体はリックの1週間で、ごく地味です。
店内でギターを作る、お客さんと談笑する。弟子でパンクな女の子と話す。
ギターの素材になるニューヨークの古い歴史的建造物のを探して
廃材をもらう、という日々の繰り返しが描かれているだけです。
でも、それが心地いい。地味すぎず、派手すぎず、気持ちの安らぐドキュメンタリーでした。

普通の休日を過ごす

2019-11-04 | Weblog
わたしの父のお葬式で帰省していた息子ももうどこかへ行き
(忌引きで数日休めるので多分京都で遊んで帰る?詮索しない母です。)
ひとりになった今日。
父が死んだ日の午後から会社に行って、お通夜の日も午後まで電話番などしていて
カレンダー通りに1日も休まずでしたが、そのカレンダーでも今日はお休みの日。

いつも通りに目が覚めて、枕元の猫の形のかわいさににっこりし、
のそのそ起きてコーヒーを入れる。ゴミ出しをして、炊き込みご飯の支度。
そう、炊き込みご飯がこの秋のマイブームなのだった。

米を研いでザルにあけ、お肉にオイスターソースや生姜などで下味をつけて、
レンコンとサツマイモを切って水に晒し、冷凍してあったキノコ3種類を刻む。
コーヒー飲みながら小さいパンを数切れつまみながら、洗濯機を回し、
息子の使ったシーツを洗う。

普通の、いつもの朝です。
朝のこのキッチンの雑多な景色が好きだなぁ。
小さい急須ではおいしいほうじ茶を入れて、水筒用に冷ましてます。
昨日開けた飲みかけのワインの味見を早朝から少しすることもあります。
朝は味がよくわかる。

お米はもち米が半分のおこわ風。小さい土鍋に入れて、火にかけます。

顔洗ったり着替えたりしながら火加減を見る。
少し SNSをのぞいてるうちに洗濯が終わり、干してくる。
干し終わった頃にご飯が炊けて、火を止めてしばらく蒸らします。

Voila!

朝食べた残りはおにぎりにしてお昼のお弁当。

お昼には、おにぎりとほうじ茶を持って自転車で少し遠くへ出かけて、
予定のない日の普通の休日の日を過ごしました。
生活は少しずつ日常に戻し、でも自分自身は何十年分の呪いが解けて、
生まれ変わるといいなと思ってる。

父の死

2019-11-03 | Weblog
水曜に父が亡くなり、この金土でお通夜告別式を終えました。
90歳で亡くなった父は在日一世で70年近く日本に暮らしましたが、
兄弟や親戚はみな韓国にいるので、そちらでの追悼の会や故郷のお墓への納骨など
まだいくつかやることがあって落ち着きません。
ほとんど長男である弟がやるだろうから、わたしは気楽なものですが
やっぱり落ち着かないものですね。

大きすぎた重石が急になくなって、なんだかポカンとしていますが、
わたしは元気で今日も食べすぎてるし(^_^;)、
父は大往生だと思うし、どうぞお悔やみの言葉はなしでお願いします。

父のことは大嫌いだったし憎んでいたけど、まあ死んじゃったしもういいやと思う。
それより、生まれた時から身の回りに存在してた人が死んだことで
人って死ぬんだなぁという当たり前で不思議なことを
今更ながらに実感しています。
みんな死ぬんだなぁと思うと、なんか不思議な気持ちですね。