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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:マリアンヌ

2017-03-15 | 映画


戦争とスパイと恋。ドラマチックですよね〜。
ドラマチックでロマンチックな映画を楽しむ気分で見に行って、
まあ大体その通り楽しめました。

久しぶりに変な役や汚い役やおっさんくさい役でないブラッドピットを見たけど
でも二枚目俳優としては、昔の輝きはもうなくて惜しいなぁ。
若い頃はロバート・レッドフォードと比べられる美しい男だったけど
レッドフォードがこれくらいの年の時って、まだまだバリバリの二枚目で
キレッキレの美しいいい男で、それがつまんなかったりもしたわけですが
ブラピは目に力がなくなったなぁと思う。
それで、甘さはもうないのに、渋さがまだ十分付いてない。
なんか、キレがないんだよねぇ、演技じゃなく二枚目役として、ね。

一方ヒロインのマリオン・コティヤールは相変わらず美しい。
正統派フランス女優って感じで、堂々と美しさを振りまいています。
モデルのような完璧さではなく、なんか人間臭い女っぽさはフランス女優だからか。
映画って、きれいな人もきれいさを振りまくわけにいかない役が多いので、
こういう、なにしろ女神のように美しい女の役をやるのって
ときどきだと楽しいだろうなぁと思う。

モニカ・ベルッチやマリオン・コティヤールみたいな美人女優を見ると
同じ人間の女とは思えないのは百も承知な上で、
あーわたしももう少し身なりや体やお化粧やいろいろ気をつけて、
ちょっとはいい女になろう、とおこがましくもずうずうしくも思ってしまう。
あのシルクのスリップ、ああいうのいいな〜ほしいな〜とか。(似合いません)
でもそういう風に銀幕にうっとりするのも映画の楽しさですよね。笑

お話は、ナチス支配下のカサブランカで、スパイ同士恋に落ち結婚した二人。
ロンドンで娘も生まれ、幸せな生活を送るが妻に二重スパイ容疑がかけられ・・・

冒頭の砂漠もきれいだし、カサブランカの町のエキゾチックな雰囲気や、
そこにいるマリオン・コティヤールの美貌や、
夜に屋根の上で語るシーンのロマンチックさや、見ている間は
いろいろとうっとりして満足してみてたんだけど、
後で考えると脚本にはかなり雑なところがいっぱいあったなぁと思う。
たとえば恋に落ちる前のふたりの、それぞれの人生や孤独が
もう少し描かれてたらよかったのに、というか、
いや描かれなくてもいい、せめて仄めかされてたら、もっと盛り上がったのにな。
お互いがお互いにとってかけがえのない特別な存在になる理由みたいなのが
普通は過去の孤独とかが描かれることで納得できるんだけどね。
まあ、スパイ同士危険な状況での吊り橋効果もあるし、
美男美女が恋に落ちるのに理由はいらないんでしょうけど、
陰影というものがないわねぇと、後で思い返すとしみじみ思った。
他にもそういう箇所が多いです。おとぎ話的に雑。

さて、その脚本の雑さ鈍さという点に関して
わたしにはどうにも納得できないことがありました。
でも、それは完璧ネタバレになるので、ネタバレ嫌な人はここからは読まないで。









ええっと、子供が生まれるところでですね、
空襲の最中のすごい状況で生まれる感動的な場面なんですけど
子供を抱いたマリアンヌが迷いも躊躇もなくあらかじめ決まってたことのように
その子をいきなり「アナ」と呼ぶのです。そしてうろおぼえなんだけど、
会えたわね、だったか、ここに来たのね、だったかそういうセリフを
赤ん坊に向かって言うんですよ。その場面の唐突さ、不自然さが気になって。
夫婦で娘ならアナって決めてのだと無理やり考えても、その時の
「ここに来たのね」かなにかのセリフがずっと引っかかってて、
何かの伏線と思って最後まで待ってたのに答えが出て来なかったから、
お話のテーマより、そっちのもやもやが、、、(^_^;)

そしてあの、マリアンヌがピアノが弾けなくてスパイってばれたところでね、
アナを殺すと脅されて仕方なく!って言ってたけど、
マリアンヌがドイツのスパイだったのはアナが生まれる前、マックスに会う前、
カサブランカに行く時からだったでしょ?
その時、アナはまだ生まれてないでしょ?そこのつじつまも合わない。
マリアンヌはあの時代のナチス側のスパイだったわけです、最初から。
ナチスを憎む連合軍とは思想信条が全く違うはず。
恋に落ちて、変わったのだ、それでナチスのスパイも一旦やめたのだ、という
解釈しかないけど、命をかけた思想をそんな簡単に変えられるもんかな?
というところでマリアンヌの人物造形ができてないというか、抜けてるなー。

そして一旦やめたドイツのスパイを娘を守るために再び始めたという、
その、娘が生まれたあとのことはわかるけど、
じゃあその前の元々ナチスのスパイだったことは、どうでもいいことなの??
誰にでもある間違い、では済まないと思うんだけど。
いろいろとつじつまがあわなすぎる。

それでわたしは脳内でもう一つ物語を作ったのです。
昔マリアンヌにはアナという姉妹かいとこか親友がいて、
そのアナを人質に取られて仕方なくドイツ側のスパイになった、と。
恋に落ちて組織から逃げロンドンへ行き娘を生み、
その子に、無事かどうかわからない大事な姉妹かいとこか親友の名前をつけた。
しかし結局探し当てられて、今度は娘のアナを殺すと脅され
仕方なく再度スパイとしての活動を始めた・・・と。

これならいろいろな疑問が全部消えるんだけど
映画にはもちろん全くないわたしの妄想話なので
結局、映画自体に関してはモヤモヤが消えず、楽しめなかった・・・
まあこの映画、思わせぶりなシーンで何かのメタファーか伏線か?と思わせて
何もないしり切れとんぼの部分もたくさんあるし、
その逆になんか抜けてて意味わかんないけどあとで解決されるのか?と思わせて
最後まで抜けてるままの部分も多く、いろいろと杜撰ではあります。

憎むこととデマ

2017-03-14 | Weblog
何か憎むというのは本来エネルギーが入り疲れることだと思うんだけど、
嫌韓デマなどをのタチの悪いヘイトデマを信じ拡散する人の多さって、
結局そういうデマを待ち望んでいる人の多さってことなんだろうなと思う。
みんな憎みたくてうずうずしてるんだな。気分の悪いことだ。

多くの人は善良な市民だから何でもいいから憎みたいというわけじゃなく、
憎まれて当然のものを正義の側から安心して憎みたい、善人のままで。
自分は差別心はないけど、こんなにひどい相手なんだから憎んで当然という
お墨付きを待ち望んでる。
それでこういうデマを待ってましたと鵜呑みにする。

何かを憎く思ってしまう時には、わたしはよく気をつけようと思う。
特にそれが正しさから来る場合は。
知らず知らずに何かを憎みたがって、
憎むことを正当化できるものを待ち望んでいる自分がないか
注意深く自分の中を見ようと思う。

月記:2017年2月

2017-03-13 | 月記
この2月は個人的に大きな出来事と変化がありました。
変えなきゃいけないなぁと思ってたことが変わり、
結局それがいい方に向かうようになるといいなぁと思う。

・テレビに出てる女将さんの、ミナミの小料理屋さんで満腹。
・歌舞伎の顔見世見に行って和久でお腹が破裂するほどご馳走食べる
・アラン編み風ミトンを二つ編む
・京都で日本画同期のかみはて展見る
・大山崎山荘美術館でクートラス展
・友達の店で利き酒会
・噺家さんの動画撮影につきあってすえちゃんでお好みと白鶴記念館
・横尾忠則美術館の横尾温泉郷展で、卓球大会に出る
・アドルフ・ヴェルフリ展@兵庫県立美術館
・初もんじゃ焼きと、なぜか卓球バーで卓球。
・写真の会でポーアイの動物王国撮影会
・垂水寄席で瓶悟さんと瓶生さん聴く
・タカギトオルさんの写真展


・映画館で観た映画「未来を花束にして」「マギーズプラン」「ホームレス」
「グレートミュージアム、ハプスブルク家からの招待」「ホライズン」
「世界でいちばんのイチゴミルクの作り方」「アルジェの戦い」
「マリアンヌ」「The NET 網に囚われた男」

・DVDなどで観た映画「しあわせのパン」「ムーラン・ルージュ」
あと、ドラマ「モーツァルトインジャングル」の3rdシーズン
モニカベルッチが出てるやつ見ました。

カワセミのしょうゆ差し

2017-03-12 | 小さいもの
食器はシンプルを旨とし、最低限の数で使い回す派なのに、
そして醤油差しって使ったことないのに、買ってしまった。
カワセミの醤油差し。
実物はもっとカラフルな色です(^_^;)
頭を外して、お醤油を入れる。


中身洗いにくい形だなぁ。洗いにくいものは買わないポリシーだし、
結婚後は常夏の国に長く住んでたし、お刺身を家でたべることはあんまりなくて、
20年間卓上に醤油差しがあることのない家だったのに、買ってしまった。

リフォーム後は、読み書きPC作業の机と、食事やお茶のテーブルが
きっちり分離するはずなので、卓上に醤油差しが出っぱなしでもいいはず、
というか、これが置いてある景色を想像すると楽しい。

こういうものを増やすのは、断捨離的にはダメなんでしょうが、
こんまり先生は許してくれる、と思って。
一律に決められた合理性にストイックに殉ずる断捨離より、
ときめくものはあっても良い、というこんまり先生について行きます。笑

追悼

2017-03-11 | Weblog
1月に考えたことだけど、
自分の住んでいるところに甚大な被害があった大震災の日がくるたびに思うこと。
妙なこだわりというか、鬱屈というかがあって、
わたしはこの日のことをなんだか人と共有したくないのです。
だから追悼のつどいなども一度も行かないできた。
自分勝手かもしれないけど、個人的なところでひとりで追悼したいのです。

自分の、震災のことを誰とも共有したくない気持ちってなんだろう。
自分の内側に自然にある気持ち以上に、
しみじみしたり悲しんだり感動したりしたくないんだと思う。
追悼や慰霊の集いのようなところに行くと、
自分の気分が、外側からの刺激で一方向に増幅されそうなのが嫌なんだと思う。
それも、嘘、ではないはずなのに、
あくまでもひとりであの日のことを思いだしてそのあとのことを思い出して、
それですませたいのです。
モラルはいろいろと崩壊しているわたしですが、
ほんのちょっとの罪のない嘘もつけない困った潔癖さというのはあるのです。
あるいは何かの罪悪感だろうか。

震災の話は、自分よりずっと大変だった人の話も、
自分よりずっと大変じゃなかったのに気持ちだけ寄り添ってくれる人の話も、
聞きたくないのこれは何これもう乗り越えないといけないことなの?
みんななんでそんなに簡単にあんな大変な大変なことを
人と共有したりできるんだろうほんとにわかんない
わたしが偏屈なだけなんだろうけど、ああ、わかんない。

そういえば、ちょっとの間だけど、今日も、乗ってた電車が揺れて、
震災のことも福知山線の事故のことも一緒に思い出して心臓がばくばくした。
あの事故の路線はうちの最寄り駅からすぐの、いつも乗ってる路線だった。
そういうことも、やっぱり人と共有せずにひとりで抱えていたいのです。

ハリスおばさんパリへ行く

2017-03-10 | 本とか
むかし、なんとかおばさんパリへいくという本で、
裕福でない掃除婦か何かの女性が、何十年かけてためたなけなしのお金で
ずっと夢だったディオールのドレスを買う話を読んで、なんかとても好きだった。
おばさんは、確か苦労してやっと手に入れたドレスを
若い女の子に貸してあげちゃうんだった。
その女の子が恩知らずで自分勝手な娘だったような違ったような?うろ覚え。
小学生くらいの頃に読んだんだったかなぁ。
おばさんがおいおい泣く場面で一緒に泣いたのは覚えてる。
ドレスを買おうとして拒否されかけたところだったか
ドレスがダメになったところだったか、場面は覚えてないんだけど。

儚いものでもバカなものでも高いものでも安いものでも、
夢に見るほど憧れるものがあるのって、いいなぁ。
そんなにほしいもの、わたしあるかなぁ。

ぐぐったらその本はポール・ギャリコの
「ハリスおばさんパリへ行く」でした。

ハリスおばさんの好きなものに焦がれるところも好きだし
彼女を助けるいい人たちも好きだし
ラスト、うろ覚えだけどほろ苦くも前向きな終わり方だったそれも好き。

今思い出すと、これの映画化見たいなぁとしみじみ思う。
ディオールのメゾンの華やかさ、ドレスの美しさ、
それに対比しておばさんのとてもとても質素で堅実な節約メイド暮らし、
それからこの時代のパリの街・・・
映画的王道ないい材料が揃ってるから、
大人も子供も楽しめるいい映画になると思うけど。
誰か作ってくれないかなぁ。
ディズニーでいいけど実写でやってほしいな〜。見たい。

紫色の大根

2017-03-09 | お弁当や食べ物
ボランティアで絵の先生しに行く時、時々モチーフの野菜などをもらいます。
先日は小さい大根をもらった。

一見普通の小さい大根ですが、切ると中が紫!
赤大根っていうのよと聞いたけどぐぐってみたらよくわからない。
色付き大根はいろいろあって、紫大根とか紅しぐれ大根とか、
どれかよくわかんないなぁ。ま、いいや。
生で一切れ食べてみたら、苦味のないさっぱりした味の大根。

少し塩をしてからツナで和えたらおいしくて、一気に食べてしまった。
残った分を少し甘酢に漬けておいたら
次の日にはきれいなピンク色になって、おいしかったです。

白味噌で味をつけるポタージュにもしたかったけど
その前に全部食べちゃった。
ちょっと変わったきれいな色の食べ物は気になるし、好きです。

アルネ・ヤコブセンと化粧(けわい)

2017-03-08 | 芸術、とか
大阪の西の端、池田にある小さな美術館、逸翁美術館。
小さな美術館の中でも小さい方だと思う。
常設展示はないし、大きな部屋を2つ3つに仕切った展示室だけで
全然疲れない美術館。うちから自転車で行けます。
阪急文化財団の美術館で、逸翁は小林一三の雅号だったそうで
彼の収集品中心に企画展を組んで展示しています。
1、2年に一回くらい行ってるけど、近いし、もっと気軽にしばしば行こう。

今の展示は「化粧 KEWAI 舞台の顔」

ここ、チラシのセンスは毎回結構いいです。おしゃれ。
前の茶碗の展示のときのチラシも良かった。
演劇の舞台で、俳優の演技を一段と深める化粧。中でも京劇などの中国伝統演劇や、日本の歌舞伎は、特に化粧が大きな役割を持ちます。
中国の臉譜(れんぷ)は、歌舞伎の隈取にあたるもので、ともに性根や感情などの抽象的な役柄を、デフォルメして表現します。そこには独自の意味や約束ごとがあり、臉譜はその基本を守りながらも、時代とともに変化し、洗練されてきました。また、歌舞伎の隈取は、俳優の個性を加えながらも、伝統を継承しています。
本展では、肉筆臉譜や錦絵の隈取を中心に、伝統が生み出したさまざまな舞台の顔を紹介します。展示品の中には、現代のヒーローやキャラクターを思わせるものが見つかるかもしれません。
(公式サイトより)

浮世絵は今までいろんな展覧会で見ていろんなテーマで美術展はあるけど、
大体が有名な大御所の作品で、浮世絵氏中心の展示が多い。
春画展でも、やっぱり今まだ残ってるのはいいものばっかりだし。
これは、浮世絵は浮世絵でも歌舞伎の隈取りに関するものに絞られてるのがよかった。
歌舞伎の隈取りを顔に押し当てて取る魚拓みたいな(?)のも面白かったけど、
面白さでいうと京劇の臉譜が飛び抜けています。
化粧ではなく、もう顔に描く仮面だもんなぁ。
その図案集のようなものは非常にグラフィカルで、かっこいいです。
顔に描いたものより、図案としてみる方が、そのデザインの面白さがわかる。
歌舞伎に詳しかったら、隈取りも、あああの役者のあの役がこれか、と
もっと親しみを持って見られたかもしれないので
教養がない自分が残念。
あと京劇の梅蘭芳一座が、大正13年に宝塚歌劇に来て
上演されたときのポスターとかも興味深かったです。

帰りに、そこから自転車でまた10分足らずの、
少し前にできたアルネ・ヤコブセンのフラッグシップショップにも行ってみました。

日本初と聞いてたので、そんなオシャレっぽいものがこんな郊外の地味な街に?と、
去年から見に行こうと思ってた店です。
 
ただ、個人的には、北欧家具ってデザインの良さはわかるけど、
コスパは良くないなぁといつも思うので買うことはないかもしれません。
シンプルに見えながら計算され尽くした形なのでしょうが、
素材に高級なものを使っているわけでもなく
効果な値段のほとんどがブランド代とデザイン代という感じのものは、
10分の1の値段の似た雰囲気のものでいいやと思ってしまう。
(わたしに見る目がないということでしょう)
そういうわけで、一番好きだったのはその店の、平屋の小屋の建物でした。

窓とドアと天井の天窓がとてもステキ。
木造だけど、案外隙間風もなく暖かな居心地いい空間で、
カフェなら長居してしまいそうです。
こういう平屋に住みたいなぁと思うけど、女性の一人暮らしには不用心すぎるから
一生無理だろうなぁ、でもいいなぁ。

映画:王様のためのホログラム

2017-03-07 | 映画


サウジアラビアってアメリカ人にとって謎があっても当たり前の、未知の国なのね。
なんかよくわかんない人やことがさらっとあって、幻想的な妄想的な見え方で書かれてる。
そして、思ってた感じの映画とは違ったけど、後味がよくて、気持ちのいい映画だった。

ミッドエイジクライシス?に直面した中年男性が右往左往しながら自分を取り戻す話、
と言ってしまうといかにもなんだけど、いろいろと、とりとめなくゆらゆらした映画でした。
主人公の造形に特に魅力があるわけでもないし(トム・ハンクスは相変わらずうまいけど)
ヒロイン役も、そんなにヒロインっぽくない。
不思議な場面もあって、ぼんやりと謎も残るけど、
砂漠の景色と、アメリカ人向け(?)サウジアラビアの不思議と、
友情と、じわりと知らぬ間に始まり深まる恋と…そういう話。

よくある、アメリカ=世界だと思ってる単細胞アメリカ人が異国で経験する
異文化との衝突や、カルチャーギャップの話ではなく、
主人公は異文化やそこでの習慣にいちいち驚いたりはせず
でもすぐに馴染んだりもしない人なんです。
困った顔で、途方にくれたりちょっとヤケになったりもするけど、
世界は広いし、自分が普通でも中心でもないということは、わかってるし、
異文化のよくわからない人たちを、自分と同じ人間じゃないとは思ってない。
そういうところは好感も共感も持てる。

映画の中でアメリカ人労働者たちが中国に職を奪われる話が出てくるんだけど
そこでは、アメリカ先進国がどんどん先細りになるさびしい感じが、
程よい諦めがある感じに描かれていた。
攻撃的なところが全然ない描かれ方。
この映画の気持ち良さはそういう姿勢からくるのかな、
攻撃や分断ではなく、融和の方に目を向けるような。

まあ、先進諸国が今まで散々搾取して好き勝手に繁栄してきた時代は終わり、
今度は同じくらいの長いあいだ、アジアから仕事も富も奪われ続けるのだろうか、
とアジア人のわたしは思うけど、
それに対して仕方ないよな、とちょっとぼやきながら受け入れて、
その隙間で自分のできることをやっていくという主人公の姿勢が、
この映画の不思議なリズムや気持ち良さのもとなのかなと思いました。

あと、若い美男美女じゃない同士の水の中のシーンが、すごくきれいで良かった。
体も崩れ年をとった男女なのに不思議なロマンチックさがあって、
そこからラブシーンにつながるのもよかった。
映画では、特に若くない美男美女のベッドシーンって時々はあるけど
そういうのは、現実的に描かれることが多くて、
若い美男美女みたいにロマンチックに甘く描かれることは少ない。
でも、ここでは、なんか普通にロマンチックに描かれています。それも良い。

そうそう、ベン・ウィショーが、ものすごくチラッとだけ出てた。
透き通ったホログラムとして出てくるだけの役(笑)
相変わらずなんか困ったような顔して、ちらっと。かわいい。

死ぬかと思って

2017-03-06 | Weblog
ある日、頭の左耳の上あたりが朝から時々、ぎゅーって痛くなった。
いつもの頭痛とちょっと違う。こんな感じ初めてかも。
なにか脳に関係あることで、これのもっと大きいのが来て、
死んじゃったりしたらどうしようと思うと、
しばらく呆然としてから、
部屋着を少しましなものに着替えました。
よれよれだと発見されたときに恥ずかしいからね。
そういうこと以外に死んで困ることも思い残すことも別にないなぁと。
まだ一人前になってない息子には申し訳ないけど。
いつでも来い、くらいの気持ちでした。

今から死ぬならみかん大福おなかいっぱい食べたかったなーと思いながら、
しばらく普通に大人しく本など読んでいたけど
結局半日後にふと気づくとおさまって、まだ生きてた。ちぇ。

いつでもいいよ、と思ってる人に限って
多分なにごともなく明日も明後日もずっと生きてるのよねぇ。

刺繍とこつこつ

2017-03-05 | Weblog
この頃、繊細な刺繍が絢爛に施してあるような服がすごく気になるんだけど、
お値段はかわいくない。やればなんとか、自分でできないこともないのは知ってる。
オートクチュールのショーで見るような最高級の丁寧な仕事はできないけど、
いつか作るかも。
そしてオートクチュールの刺繍職人になる田舎の女の子の映画を思い出した。
「クレールの刺繍」という映画でしたが、これは感想書いてなかったな。
刺繍のシーンも、森の景色も好きなきれいな映画でした。
刺繍つながりで→「マルタの優しい刺繍」というのも好きな映画。
刺繍は苦手だしほとんどやったことないんだけど、いつかは。

手仕事映画では「キルトに綴る愛」(あー邦題がアホでハラタツ!)も好きだった。
手仕事ウィークを設定して手仕事映画をまとめてもういちどたくさん見たいなー。

手仕事といえば、レース編みのベッドカバーを1年半計画でこつこつ作る根気が
この年にして育ってきたので(今その真っ最中、多分2年計画)
細かい刺繍で埋め尽くした服も、その気になればできる気がしてきた。

根気というのは中々すごいものである。
根気も習慣で、習慣って下手な「やる気」や高い意識より強力だから。
それを日本画で少し学んだ。
子育てでも少し学んだかも。
結婚に失敗して学んだのは根気ではなく我慢だけど。笑
我慢も役に立つけど、それはできるだけしないですむよう工夫して生きる方がいい。
そして根気は、もっと前向きに使うものにしといたほうがいい。

こつこつじわじわそろそろと、積み上げていく知識や感情がいいと、
今はとても思うから、こつこつやろう。
半世紀も生きてると、亀の歩みも案外積もるものだとわかってるし。

棗のグラノーラと棗のうた

2017-03-04 | お弁当や食べ物
棗と棗椰子が別物だということを初めて知った。知ってた?
棗椰子はデーツと呼ばれるネットリ甘いドライフルーツでお馴染みかも。
でも棗は、漢方や中華や韓国の漢方的料理の中に入ってるけど、食べずによける
赤くてシワシワっとした得体の知れない何か、くらいの認識だった。
グラノーラは体に良くても糖質多そうなので(高いし)自分では買わないんだけど、
おしゃれな棗屋さんのグラノーラのセットをもらったので
ヨーグルトにかけて食べてみたら、棗がとてもおいしい。
薄くスライスしたチップスになってて、乾燥りんご的なサクサク軽い歯ごたえで、
ほんのり穏やかに甘くて、少し漢方っぽい(漢方です)味が好みです。
買うと高いので(笑)、いただいた分をチビチビ食べました。笑

そういえば、棗といえば、
子供の頃、岸田衿子さんの棗の詩に、
なんとなくメロディをつけたことがあります。中学生くらいかな。
今も時々歌ってる。笑
音楽の素養はないので、ものすごくシンプルな、
子供の童謡みたいなメロディです。

今ググったら、少し詩が違ったり勝手に繰り返し作ったりしてた。笑
岸田衿子さんすみません、
でもひとりで誰にも知られずに歌ってるだけだから許してください。
岸田衿子さんの詩は中高生くらいの頃から大好きでした。

棗のうた

まいばん棗を一つずつ喰べたので
まいばん棗が一つずつ減りました
もしも 棗が一つもなくなったら
わたしはなにをして
夜をすごせばよいのでしょう

時計塔の下で一目惚れする恋もなく
泣く泣く別れを惜しむ 古里もなく
           小犬もなく

まいばん棗は一つずつ減って
まいばん夜更けは一つずつ去って
わたしは最後に一つの棗を喰べました
岸田衿子 詩『いそがなくてもいいんだよ』(童話屋)より

さらに衝撃的?なことに、この詩が合唱曲になってることを今知った。
CDもでてるし、当たり前だけど、素人のわたしの歌と全然違います。
でも自分のやつのほうが好き。というか、いいと思う。(ずうずうしい。笑

棗のうた (木下牧子) 【華音# (女声独り合唱)】

機嫌よく美味しいお酒を飲んでる時にリクエストされたら
ワイン一杯で一曲、わたしのオリジナルのを歌います。笑

映画:The NET 網に囚われた男

2017-03-03 | 映画


この映画は、キム・ギドク監督だし、テーマがテーマだし、
ものすごく衝撃的でショックなくらい驚いても当たり前と思っちゃうんだけど、
実際はそこまで衝撃的な感じではなくて、あんまり驚くところはなかった。
今回扱っているモチーフの重さ特殊さを別にすると、
特に新機軸や驚きがあるわけではないし、
密室や殺風景な建物内のシーンが多くてちょっと平板なところもあり、
相変わらず予算ないんかなーと思いはするけど(笑)、
でも、それはそれでいい、むしろこれでいいと思いました。
政治や朝鮮半島の分断に興味のない人が見ても十分面白いと思うけど、
当事者が見ると、個人の物語を超えて、もっと大きな問題やその歴史についても
いろいろ考えることになる映画だと思います。
どっちも地獄なら、その地獄を作ったのは誰か、とかね。

キムギドクって、わりと詰めは甘いんだよね。
言いたいことを言うためには、力技で強引に押し切るところがある。
ポロリポロリとなんか剥き出しな感じの稚拙さなんかもあるんだけど、
でもそういう、稚拙さや雑なところを力技的に押し切るのは、
彼の映画には必要なことなのかもしれない。
丁寧に深めるよりも、重いモノを全部抱えたまま、なんじゃい!と突っ切る。
そこが、結局、彼の良さをいかすのかもしれない。
緻密さには欠けても、彼なりの、ちょっと勝手な繊細さは、いつもあるし。
こういう剥き出しの稚拙さって、園子温の映画にもちょっとある気がしますね。

去年見た→「殺されたミンジュ」に比べると、ずっとわかりやすい映画です。
体制の是非ではなく支配被支配の暴力システムに組み込まれている人間の卑しさ
いや、そもそもの人間というものの卑しさを見せつける。
権威システムの仮面をかぶった体制側の人の不条理な暴力と、
それに翻弄され人生をめちゃくちゃにされる無力な個人がしっかり描かれます。
拷問シーンや暴力シーンは、それほどではなく、エグくもグロくもなかったので
「殺されたミンジュ」より肩こりがましだったのは助かった。笑

ここからネタバレ少々あります。

北朝鮮の漁師が主人公。
非常に貧しい生活ですが、愛する妻とかわいい娘と、
10年かけて手に入れたぼろぼろの漁船(というか救命ボートくらいのボロ船)とで
彼らなりに幸せな日々を送っていました。
貧しさに対して、あんまりつらくなさそうなのは、
そういう人生しか知らないからでしょうか。
たとえば娘のぬいぐるみがぼろぼろでも、特に不憫に思うこともなく、
それを繕う妻を見ながら、ぼんやりとああボロボロだなぁと思ってる感じ。
それ以上を求める習慣も発想も元からなく、だから幸せなのかなと思う。
それがある朝漁に出た時に船のモーターの故障で韓国側に流されてしまう。
すぐに拘束され、過酷な取り調べ。
北を憎み、どうしてもスパイとして追求したい取調官は憎たらしいけど
彼にも彼の執着とトラウマと悲しさがある。
主人公を信じ、助けようともがく若い警護官の善意は救いのような存在ですが、
彼の優しさがいつもプラスに働くとは限らず、ナイーブすぎるところも。
そして彼らの上官は、自由のない独裁国家では国民は皆不幸であり
自由な資本主義社会の勝利と正義を無批判に信じ込んでいて
主人公を亡命させようと様々な手を尽くす。

前半はね、物質社会への批判のようにも見えます。
貧しくても充足した日々と、資本主義社会の闇を対比するように描かれてる。
ところが後半、主人公が無事に北側に帰った後、
今度は当局からのスパイ容疑をかけられ、また過酷な取り調べが繰り返され、
表面だけ整えて政治的プロパガンダに利用されたり、
北側も南側となんら変わりない、あるいはもっとひどい実態を見せつけます。
やっと家に帰れたときには、彼はもう心が壊れてしまって、
あんなに会いたかった家族にあっても喜びを感じなくなってしまった。
そして妻の誘いにも応えることのない抜け殻のようになってしまった。
家のシーンで、主人公が妻に、夫が南へ行ったことで取り調べられたか聞くと
妻は軽く否定してその話を終えるけど、
服を脱いだ妻の体にはいくつか傷跡があって
これは何かひどい目にあわされたんじゃないかとわたしは思いました。
ラストは予想できたとはいえ、切ないものです。
でもわたしはこの妻の心情が、もっと切ない。。。

ストーリーの流れの中で納得いかなかった場面があって、
主人公は実は以前、軍の特殊部隊にいたことがあるってことなんだけど、
組織の命令系統の不条理さやそこでの暴力を知らないはずないのに、
(軍隊に、威張ってない理不尽じゃない上官なんているんだろうか?)
この事件が起こるまで無防備でどこか無邪気でいたところとか、
いくつかなかったことにしてる部分みたいなとこが詰めが甘いなぁと。
あの無邪気さはちょっと違和感があるなぁと思いながら見てました。
まあその部分くらいで、映画の良さを下げるわけじゃないけどね。

映画を見たあと色々考えたけど、この映画って結局、
無力な個人は、全力で細心に政治から遠く離れて、
おとなしく個人の幸せを大事にするのが一番、という映画・・・
ではないけど(笑)、まあ、わたしの感想はちょっとそれに近い部分も。
最近たまたまそういうことについて考えてたのです。
日常に軽く溢れるヘイトに疲れてしまって、
もう自分一人と息子と大事な友達だけの幸せだけ考えてそれに邁進したい。
政治も世界もどうとでもなってしまえ、と思っちゃだめかなと。。。

映画:アルジェの戦い

2017-03-02 | 映画


ハプスブルク家のとんでもない文化遺産の映画にうっとりしたあとで、
そういうヨーロッパの白い人たちが、つい数十年前まで他国でしていた
野蛮で極悪な植民地支配とその独立運動を潰す様子を描いた
「アルジェの戦い」を見て、もんもんとする。

ちょうど50年ほど前に作られた白黒映画のデジタルリマスター上映ですが、
評判通り映画として大変素晴らしい。驚きの完成度でした。
絵になるクールな構図、爆破シーンの迫力、
粒子荒い感じで、コントラストの強い黒白映像が緊迫感を高めるし、
登場人物とはある程度の客観的距離はおきながらもそれぞれ面白く撮ってあり、
群衆のシーンの迫力にはびっくりする。
このような抵抗時代の厳しい戦いの後にやっとアルジェリアが独立して、
それからわずか数年後に、この映画が撮られたことに、
制作者たちの熱意を思わないではいられない。
映画自体は完成に5年だったか、ずいぶん長くかかったようです、さもありなん。

内容的には、第2次世界大戦でナチスにひどい目にあわされたくせに、
そのレジスタンスの勇者たちを含むフランス軍が、
アルジェリアではそこのレジスタントを迷いなく潰してるという矛盾に呆れる。
そして独立後数年でこの映画が作られベネチアで賞を取った時に
反仏映画だと多くの映画人が席を立ったという反省と自覚のなさにもあきれ返る。
(トリュフォーは去らなかったそうです。素敵。さすが。)
創作に関わる人間が、いったいどういうことなんだ。恥を知れと思う。
ナチスと戦ったフランス人たちは、単に自分とフランスのために戦っただけで
正義や自由のために戦ったわけなんかじゃなかったのねと思ってしまう。
この時代のフランスに、ナチスをどうこう言う資格はないな。
でもフランスだけでなく、列強はみんな直接間接に植民地支配をしてて、
その後それがこじれにこじれて紛争の続く地域も多いのに、
今や自分たちのしたことをすっかり忘れているような白い人たちに腹が立つ。

また、テロというものがどういう状況で起こり、どう過激化していくかも
良くも悪くもリアリティを持って理解出来る映画です。
どういう状況でもわたしは暴力には反対したいし、
無差別テロはいかなる場合も決して容認できないと考えていますが、
その背景を知り、なぜそういうことになるのか理解するのは大事なことですね。
テロリストを一方的に悪と決めつけてすむような問題ではない場合が多いのです。
(とはいえ、個人的にはやはり容認できないという立場は崩したくないですが)

映画の中では、フランス人将軍は単純な悪人には描かれていません。
アルジェリア人を別に敵として憎んでいるわけではなく、
自分の戦いを勝つことが使命の軍人で、淡々と使命を果たしているだけの
軍人としては優秀な人ですね。
冷酷なこともするけど、やや複雑で興味深い人物に描かれているように思う。
一方で抵抗運動側の主役の一人で血気にはやり怒りに任せて行動するアリは
理想に燃える優秀な指導者のひとりとしては描かれていません。
このように単純な勧善懲悪を排除しているところもドキュメンタリーっぽいけど
これはドキュメンタリー映画ではなく
まだ生々しい戦いの記憶を、おそらく熱意によって、細密に再現した作品です。
この映画の中に記録映像は使われていませんが、
実際にこの時の独立運動に参加していた人たちも出演してるそうです。
映画としても、記憶すべき歴史を描いた記録としても名作。

1月のつぶやき:後半

2017-03-01 | つぶやき
去年読んだ小説に「俺も血の滲むような努力がしたいよ」というところがあって
気持ちはわかるなぁと思ってたんだけど、
わたしがしたいのは血の滲むようなすごい努力ではなく、
自分の時間を取り戻した中で、落ち着いて、
こつこつと何かを積み上げていくことの方だとわかった。


陰謀論者と歴史修正主義者のデマ耐性のなさには毎回驚く。
毎回毎回驚く。
いつまでも驚かされる。

自分は在日だし日本人にうんざりすることはあるけど、
韓国人にも在日の人にもあるいは他の国の人にもやっぱりうんざりすることはあって
でもそれぞれの国の本当に優しい人も知ってるので、
この世界や人間全般について諦めていても、まとめて嫌いにはなれないのです。
まあ、わたしが主に腹がたつのは、なに人という属性より
男という属性の者たち相手のことのほうが多いしな。


ワルツにも罪はある。どこにでも罪はある。
無謬のものなどなにもない。でも体動かすのは大事。


大体向こうが悪いから向こうが謝るってくるのは当たり前なんだけど、
あまりに何度もあって、いつも謝られてばかりだと、憂鬱になる。
謝るのもイヤだろうけど謝られるのもイヤなんだよ。


アルバイトに行ったら昨日も今日も続けてお休みか何かで、
それって連絡してくれないとだめでしょと怒って帰ろうとしたら、
店のオーナーの気の強そうな年配女性が追いかけてきて、
あれこれ言い訳のようなこと聞かされる夢。
昨夜「あん」を見たので、夢の中にアルバイトが出てきたのかな。
オーナーは余貴美子でした。


FBのメッセンジャーの仕様変更に対して
「日本と違って外国のサービスは使い勝手悪いものが多すぎ」と書かれてる人がいて
えっと、では使い勝手のいい日本のSNSって「ミクシィ」とかですかね。。。?


息子に飲み屋のお勧めを聞かれる夜・・・


リスってすごくかわいいけど、飼うには向かないのか難しいのか。
でもペット化しないかわいい生き物が山や森の中にいるのはいいよね。


物欲はそんなにないほうというか、なさすぎて生きる気力自体減ってるけど
(いや、生きる気力は美味しいものへの食欲が担当してるか・・・)
家のリフォームが済んだら、
インテリアや食器に対する物欲が復活しそうな気はする。
でも多分若い頃みたいに、パーっと揃えたいような気持ちはなくて、
小さなものをばらばらにひとつひとつじっくり選んで買うだろうから、
そんなに困ったことにはならない、はず。。。


マクドナルドのコーヒーが変わって、キャンペーンで無料をやってるけど
無料のコーヒーだけ頼むというのに気がひける小市民なので、
今勇気をためてる。


鮭の南蛮漬け、野菜の方が多いのを作る。
野菜の水気で漬け汁が少し薄まるからちょっと濃いめに作っておいて、
鮭は甘塩のものを使うと味がぼやけない。
鮭を揚げた後、油を切らずにそのまますぐ横に置いてある漬け汁に漬けると、
じゅぅ〜っと音がしてそれが好き。
馴染ませたほうが美味しいのにすぐ食べちゃう。


今思い出した、今朝の夢。うちがもっと広くて何人か友達?が住んでて、
その中のひとりが友達来るから掃除してって言ってくる夢。
掃除機貸すから自分でしてよって言っても、えーあなたががして!って言われる。
その子は実在の若い女子の友達。


友達が、花粉に効いたと言ってたべにふうき茶が売ってたので買ってみた。
10分煮出すのめんどくさいけど、飲みやすい漢方と思って飲めばいいか。
お茶だから結局効かなくても、まあいいかと思えるし。


この前友達と飲んで酔っ払ってた時に、日本の40代以上くらいの男子の人口は、
全〜部で100人くらいでいいのではないか?
日本国に、30代以上の男子は100人くらいでいいのではないか?
わたしに選ばせてくれ。
わたしにその100人を選ばせて、あとは捨てよう、と無茶を言ってたらしい。
わたしも、権力を持ってなくてよかった。笑


冷笑的な人というのはどういう立ち位置にいても嫌な感じだな。
冷笑的であることって自分を賢く見せる以外の利点はないと思うんだけど。


良くも悪くも、オタク文化は日本を席巻してきてると思う。
悪いとは言わないけど、自分の趣味ではないので、
おばあさんはもう古典の世界にこもるしかないわ。


靴下型のホッカイロが欲しい。すぽっと全部ホッカイロで、履くやつ。
とりあえず足首の外側と内側に足用のをひとつずつ貼ってブーツ履く。
年をとって、なにしろ足首が痛いくらいひえるようになりましたですよ。


こういう夜にメッセージしてくる人はいるけど、
こういう夜にメッセージする相手はないなぁ。


集合写真を見ると、自分の顔はぼんやりしてるなぁと思う。
マシュマロというか、丸餅、それも膨らんだ丸餅に埋もれそうな目と
やたら嬉しそうに笑う口がついてる。
実物は目は大きいほうだと思うんだけどいつも埋もれてるのはなんでや?
やせれば、もうちょっとはっきりした顔になるはず・・・


自分の話すことを面白がって聞いてくれる人って、
単なる好意で機嫌と愛想がいいのと(無自覚でも)、
本当に面白がってくれてるのとは別物なので、
この人はどっちかなぁと思いながら喋る。前者は長持ちしない。


初めて買ってみた俳句雑誌の添削コーナーの添削の納得感がすごくて勉強になる
(嘘。すぐ忘れるから身につかない)。
でもなるほどっ!の連続。
ただ、10のうち3くらいは、納得がいかないのもある。


この頃東宝系シネコンで観たい映画がない。今日の映画館、
トイレに行くまでの長い壁に2メートルくらいのでかい映画の宣伝のボードが
6つくらい並んでるんだけど、、そのうち5つが高校生恋愛ものだった。
コミックやラノベ原作の子供の恋愛映画とか
なんでこんなに高校生もの多いの???


わたしの前の席の人が強烈なナフタリン臭で、
ずっとつらかったんだけど、本人なんともないんかなあれ?
長くタンスにしまってたコート着るときは、
半日くらい陰干ししてから着てほしいですね(^_^;)


おやつに甘いものよりは、とサラダを食べたんだけど、
卵2個、ソーセージ1袋とか入ってるパワーサラダなので痩せる気がしない。
あと、ロメインレタス2人分くらいとトマト丸一個、パプリカのピクルス。


ダウンの上着は自分のスタイルに合わないので、
ずっと重いウールのコートを着たりしてたんだけど、
セールで安くなってたのでつい買ってしまったらやっぱり軽くてぬくい。
丈の短いやつなので、気持ちだけコンパクトだけど、なんか、負けた感。。。


わたしのティファニーのダイヤのピアスは、
クアラルンプール郊外のマンゴツリーレストランというイタリアンレストランの
広い庭のどこかにある。(ガーデンパーティで酔っ払ってなくした)
男の人と一緒にいた時になくしたピアスもある。


誰かに会いたいような気がしても、ずんずん歩いたら駅が見えるし、
胸を張ってトーンを整えてちゃんといきていく。
Twitterはわたしのホームと思ってるけど、こんな頼りないものがホームなんて
・・・いや、ちょうどいいのかも。


余命1年半くらいで、痛くない病気はないかなぁ。痛いのは本当に嫌です。
痛くなくて1年半くらいでころっと。そんな病気があるならください、という気分。
1年半という微妙な期間は、とりあえず食べたいものを全部もいちど食べる時間。
あと、息子が就職するまでの時間。


京都の市バスの英語アナウンスで、平安神宮を
「ヘイアンズィングー」と発音するのが気持ち悪い。
「Jinguuジングー」でしょ「Zingooズィングー」じゃなく。


何を着よう。と、朝考えるとき、結構たくさんのことを考慮している。
お天気(雨の日に履ける靴は多くない)、気温、自分の気分、行く場所、会う人。
全部決まったのに靴が合わなくてやり直しということもよくある。
気分には、特に理由なく、今日はこのスカートが履きたい!とか、
今日はパンツでもさっと無造作にしたいとか、日によって色々。
この気分が天気や気候に合ってないと、苦労するのよ。


キッシュを焼こう、生クリームは2週間くらい期限すぎてるけど大丈夫かな、
と匂いをかいでも大丈夫だったのですが
よく見るとすっかり固まっていて結局使えなかった(^_^;)


ええい、と機嫌切れのものをいくつか勢いよく捨て、雨のゴミ出し、だん。


女子力ない=ええやん、かっこいいー!
女子力高い=ええやん、かっこいいー!
というのが、わたしの友達の間での使われ方なんですけど。笑


食パンは、ご飯に比べると糖質は低い。6枚切り1枚でご飯1膳の半分くらい、
おにぎり1個の三分の二くらいかな。
卵や肉やツナのサンドイッチは時々食べてもいい、ということで
美味しいたまごサンドをお昼に食べよう。
先週の鮭の南蛮漬けの漬け汁につけてたパプリカと玉ねぎのみじん切りを
ピクルス代わりにゆで卵に混ぜたやつ、それを挟むのだ。


「気づいたのさ。人生の謎の大半は日常の知恵で解ける。それ以外は、
本と映画から学ぶのさ」と「モーツァルト・イン・ジャングル」の中の
陽気なメキシコ人が言うてた。


材料が半端になるときに、どうせならと2回分の料理を作って、
でも結局ペロリと1回で食べてしまうということになるのは、
多分もう500回目くらい。
材料の無駄はないけど、無駄な脂肪はわたくしにつきます。


>父が孫に、食べろ食べろとやって困惑されている。
>年寄りも別に本当に食べさせたいわけではなくて、
>話題はないけど、それでも孫とコミュニケーションをとりたいから
>「食べろ」とやってしまう。
>犬の遠吠えや小鳥のさえずりのように、言い訳のいらない
>純粋なコミュニケーションが人間にもあればいいのに。
・・・大人同士だと優しい沈黙というコミュニケーションもあるけどね。
相手によるけど。


遊び半分や面白半分、イイカゲンということを快く思わない人がいるのはわかるし
自分も自分の真面目に向かっているものに関してはそう思うかもしれないけど、
でもホントは遊び半分で何が悪いかわかんないと思ってる。
真剣な人を尊重する姿勢さえあれば、自分は遊び半分でもなんでもいいやん。

表現ということについて、考えていたことが、やっと固まってきた気がする。
遊び半分で、好きなことしかしない。


牡蠣もあまり好きじゃなくて、生牡蠣は食べないけどフライなら無理すれば
1個くらい食べられる、と思ってたのに、この前とれたての大きくて
最高に美味しいという牡蠣のフライを食べたら、なんと、何個でも食べられた。
わたしの知ってる牡蠣フライと違う。でも他所ではやっぱり食べられないかも。

岡山日生に田舎のある人が持ってきた牡蠣。
その人の奥さんは職人のように牡蠣の殻を剥くのがうまくなったということで、
どんどん剥いてくれた。二人とも牡蠣が好きで、とても仲良しでかわいい夫婦。


旅行に行く友達が楽しそうでいいいな〜。
自分もいつでも行けるはずなのになんで行けないんだろうな、旅行。
せっかくだからいいとこ泊まりたい、こういうとこ行きたいと探していくと
温泉一人旅2泊で10万円、
ありゃ、シンガポール行ってこれるわ、と思ってやめるせい?