sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

沢田教一とその妻、11歳上

2018-05-22 | 写真
3月に、友達がチケットをくれたので、ギリギリ最終日に見てきた写真展。

沢田教一(1936-1970)は有名な報道カメラマンというか戦場カメラマンで、
彼の人生と写真がわかりやすく展示されてて
デパートの中でいろんな人が見る展示としても、よかったと思います。
ピュリッツァー賞を取った有名な写真もありましたが、
ベトナム戦争の頃の写真で知られている人ですね。
ベトナムの後、いっとき、戦場から離れようと考えた時期もあったようだけど
結局舞い戻ってしまって、プノンペン近郊で襲撃を受け死亡。
亡くなる半年くらいまえに、クメール・ルージュに拘束されたこともあるのに
戻ったら翌日からまた普通に撮影に出てたと聞くと、
こういう人はきっと、本人は嫌だったにしろ戦場以外に居場所と思える場所が
なくなってしまったのかもしれないなと思う。

なんかね、元々意識が高くて、正義や平和のために!という強い気持ちで
戦場に行ったわけじゃないと思うんですよ。
なんとなく、そういう流れになって、逆らわないでいるうちにそういう風に。
それで、生死の境目を毎日目にしているうちに、
帰れる場所がなくなってしまったんじゃないかなぁと、思ったりしました。

いや、彼の写真については、今更わたしが何か言うこともないのですが
それより気になったのは(卑近な話かもしれないけど)彼の妻サタ。
11歳上の女性と結婚して、ずっと仲良くしていたというところ。

彼女は、沢田が高校を出て勤め始めた写真館の先輩だったそうだけど、
この時彼はまだ10代ですよ。
18、9歳の子にとって、30歳の人って、すっかりおじさんおばさんの大人のはず。
でも二十歳で31歳のサタと結婚。。。
このあいだのことを、猛烈に知りたい。(興味津々)
サタは写真で見ると、特に目立つ要望でもなく美人というのでもない、
今から見ると年相応に見えるんだけど、沢田がおとなびていたんだろうか。
サタの、そんなに若いと知らなかった、みたいな言葉があって
そりゃ、サタの方が驚いただろうと思う。
でもきっと、彼にとって最大の理解者だったんだろうなぁ。

サタが一緒にベトナムかどこかに行った時の朝ごはんの食器類の展示があった。
朝は洋風に、トーストと卵と紅茶かコーヒーみたいな食事だったみたい。
上質な食器類だったのではないでしょうか、優雅に見えました。
ハイカラなことにも順応でき、写真のことがわかって
やりたいことを支えてくれる、いいパートナーだったのでしょうか。

サタは随分長生きして、2017年に東京で始まったこの写真展の
テープカットをされたそうで、こんなすごい夫が亡くなった後の50年近くを
どのように生きてこられたんだろうなぁ。
いろいろ想像の余地の多い展覧会でした。

沢田教一の眉毛とキラっとした目元が誰かに似てる似てると思ってたら、
帰り道に思い出した。友だちだ。
そういえば、キャパもあんな眉毛だったような気がするな。

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