洋画の話をするときに、いちいちタイトルの邦題に怒るのはいいかげんやめよう、
毎回毎回邦題の文句から始めるのは、ほんとつまんない、と、思いつつ、あー。
この邦題も予告編もこのノリで、富豪の贅沢な生活を楽しむキュートなラブコメと思った。
ラブコメに分類されるのかもしれないけど、いやこれほろ苦いよ。かなりほろ苦い。
原題は、ただの「マダム」(『MADAME』)で、マダムとは一体なんなのか、
マダムと呼ばれる要件はどういうものなのか?など、深みのあるタイトルなのに、
よくもまあ、薄っぺらなラブコメにしか見えない邦題にできることに驚くわ。
パリの裕福なアメリカ人夫婦。夫はお金の心配ばかり、妻は欲求不満で孤独。
パーティの人数合わせに、メイドをレディに仕立てて登場させるけど
その場だけのつもりが、客の英国人取引先が彼女を、
秘密だけど前スペイン王のいとこだと聞いたのを信じてご執心に。
そんなことは知らないメイドは一人の人として女として愛される幸せで気もそぞろ。
アメリカ人夫婦は、そんな身分違いありえないと仲を裂こうと・・・
メイドがきれいな若い女の子なら、よくある話なんですよ。あほらしいほどよくある。
シンデレラストーリーですよね、身分を超えて結ばれる美男美女。
あるいは、さほどきれいな子でなくても、魅力や知性のある子で
男がどんどん内面に惹かれていき、いつしか恋に落ちる、というのもよくある。
でもこの映画は、どっちともちがうんですよねぇ。
予告編を見てもらうとわかるけど、
メイド役の女性は美人とかチャーミングという容姿ではなく、
むしろウルトラ個性的な外見の持ち主で、特別な魅力や才能があるわけでもない。
メイドもマダムも同じ人間で、人間に上下はない、というメッセージはあるけど、
ストレートに声高に語られるわけではなく、ラストもほろ苦いです。
映画は、このマダムの偽善も欺瞞も描きながら、彼女の孤独にも少し触れています。
とはいえ、結局は金持ちは勝手で傲慢。
マダムの義理の息子(夫の前妻とのあいだの子)は、マダムに対しても好意的でなく冷ややかで
狂言回し的な役割もあり、好感が持てた気がしたのは最初だけで
これもまた貧乏人を自分の将棋の駒のように扱うだけの金持ちの傲慢なひとりにすぎないと
わたしには思えました。
金持ちにも金持ちなりの孤独や悩みやつらさがあるのはわかるけど
同じ人間である貧しい人をいいかげんに無責任に弄んじゃだめよね。
これで思い出したのは、「偉大なるギャッツビー」のデイジーです。
彼女は悪い人間ではない。優しいし、かわいらしい人だけど、
結局自分を守りたいだけの金持ちの側の人でした。
このメイドのこれからの人生はどうなるんだろうなぁ・・・と思うと
ほろ苦いだけでなくやるせないけど、チラシやポスターのコピーが
「人生がまた楽しくなる、スパイスの効いた大人のロマンチックコメディ!」で
いやいや、楽しくなんかなるか!ばかもの!と言いたい・・・。
読解力なさすぎ。
さらに公式サイトでは、グラスの持ち方、ナプキンのたたみ方など、
クリスマスディナーに役立つ マナーを教えてくれます〜というコラボイベントが。
セレブの家が舞台だけど、でも人間の値打ちは身分や容姿ではないんだよ、
たとえ現実が追いつかなくても、という映画なのに、
美しいマナーとか、パーティで美しく見える脇の締め方とか、どういう皮肉・・・。
まるで、儲かればなんでもありの、調子に乗ってたバブル時代みたいな浅はかさだなぁ。
と、プロモーションは最低だけど、映画はいいのです。
映画としてもところどころバランスに欠けて破綻してるところがある感じだけど、
結局わたしはこういうフランス映画が一番好き。
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