仏像や仏教建築の勉強がレポートまで書いたのに身につかなかったわたしですが
平等院の阿弥陀如来坐像後背の飛天や雲中供養菩薩たちは強く強く印象に残っていて
どうも踊ったり歌ったり楽器演奏してたりする飛天たちが好きなのですね。
空を飛び音楽を楽しむ飛天はまさに浮世離れというもので、
見ていると気持ちがほぐれて、少し遠くに行って一緒に歌い舞う心地になるのです。
それで水煙の飛天もじっくり見てみたいと思ったのでした。
水煙は塔の屋根の上にあるこれ。
水煙とは
実物見ると1枚100キロもあるようには見えないんだけど、重いのです。
1枚の表裏に3人ずつ、四方にいるので、合計24人いらっしゃいますね。
1300年のおつとめを果たし新しい人たちにお役目を譲り引退した24人。
ここの飛天は雲の上にいませんが、平等院の飛天様たちはみんな雲の上にいました。
雲の上にいるのは平安時代の仏師定朝以降だそうです。彼が流行らせたのね。
そちらはとても優美だけど、こちらはもう少し素朴で楽しげです。愉快。
水煙手拭いも買いました。結構派手ですがよく見るとがかわいい。
40年前に再建された西塔はまだ鮮やかだけど、東塔はしっとり美しいです。
薬師寺の東塔はフェノロサに「凍れる音楽」と呼ばれたのが有名なようですが
汗で目が開かない、マスクで顔中汗の洪水、という暑さでは
氷の音楽が聞こえるほど耳をすますのは無理だった。冬に見に来よう…
ちなみに「凍れる音楽」の元ネタはゲーテだと言うブログを見つけました。
そこで「東京ゲーテ記念館公式サイト」内に「凍れる音楽」に触れている記述があるとのことだったのでググってみた。
ゲ―テの言葉の出典の問い合わせがよくあります。音楽関係で多いのは、「建築は凍れる音楽だ」です。『箴言と省察』を見ると、ゲーテは、「ある気高い哲学者が、建築作品 (Baukunst)を凍れる(erstarrten)音楽と名づけたが」と書いており、結論的には、あえてそう言うのなら、「建築(Architektur)を無言のサウンドアート(Tonkunst)と呼んだらいい」と、含みのある言い方をしており、ずばり「建築は凍れる音楽だ」とは言っていません。ちなみに、この「哲学者」は、フリードリッヒ・シュレーゲルを指すと言われています。
『エッカーマンとの対話』のなかでは、1829年3月23日にゲーテが、<「建築を凍れる音楽とわたしが名づけたと書かれている紙を見つけたよ」とゲーテが語った>と書かれています。ところが、この「紙」の文章は、『箴言と省察』にある上記の文章です。しかも、ここに載せたのは当のエッカーマンです。しかし、エッカーマンの書き方だと、「ある哲学者」ではなく、ゲーテ自身がそう言ったかのようです。
ところでゲーテが「音楽」を「サウンドアート」と言い替えたのは、非常に未来的でした。『色彩論』のなかでも彼は、サウンド論〔音響論〕(Tonlehre) の構想を語っており、それは、彼の色彩論が自然科学全般に関連づけられるのと同様に、物理学全般に関連づけられるべきものだと言っています。ゲーテにはまとまった「音楽論」はありませんが、彼の思考の射程は、音楽の音にとどまらず、サウンドそのものにまでブっ飛んでいたのだなと思うのです。
これを読んでも凍れる音楽のことはわたしには今ひとつよくわかんない…教養が足りない。
水煙の展示してある横の部屋で「国宝薬師寺東塔平成大修理奉賛 平成の寶玉展」
というのがやってて、奉納された小さな絵をたくさん見ましたが
わたしが勉強した美大の当時の学長、千住先生や
わたしのゼミの恩師菅原先生の絵もあって懐かしくも嬉しかった。
平等院の阿弥陀如来坐像後背の飛天や雲中供養菩薩たちは強く強く印象に残っていて
どうも踊ったり歌ったり楽器演奏してたりする飛天たちが好きなのですね。
空を飛び音楽を楽しむ飛天はまさに浮世離れというもので、
見ていると気持ちがほぐれて、少し遠くに行って一緒に歌い舞う心地になるのです。
それで水煙の飛天もじっくり見てみたいと思ったのでした。
水煙は塔の屋根の上にあるこれ。
水煙とは
実物見ると1枚100キロもあるようには見えないんだけど、重いのです。
1枚の表裏に3人ずつ、四方にいるので、合計24人いらっしゃいますね。
1300年のおつとめを果たし新しい人たちにお役目を譲り引退した24人。
ここの飛天は雲の上にいませんが、平等院の飛天様たちはみんな雲の上にいました。
雲の上にいるのは平安時代の仏師定朝以降だそうです。彼が流行らせたのね。
そちらはとても優美だけど、こちらはもう少し素朴で楽しげです。愉快。
水煙手拭いも買いました。結構派手ですがよく見るとがかわいい。
40年前に再建された西塔はまだ鮮やかだけど、東塔はしっとり美しいです。
薬師寺の東塔はフェノロサに「凍れる音楽」と呼ばれたのが有名なようですが
汗で目が開かない、マスクで顔中汗の洪水、という暑さでは
氷の音楽が聞こえるほど耳をすますのは無理だった。冬に見に来よう…
ちなみに「凍れる音楽」の元ネタはゲーテだと言うブログを見つけました。
そこで「東京ゲーテ記念館公式サイト」内に「凍れる音楽」に触れている記述があるとのことだったのでググってみた。
ゲ―テの言葉の出典の問い合わせがよくあります。音楽関係で多いのは、「建築は凍れる音楽だ」です。『箴言と省察』を見ると、ゲーテは、「ある気高い哲学者が、建築作品 (Baukunst)を凍れる(erstarrten)音楽と名づけたが」と書いており、結論的には、あえてそう言うのなら、「建築(Architektur)を無言のサウンドアート(Tonkunst)と呼んだらいい」と、含みのある言い方をしており、ずばり「建築は凍れる音楽だ」とは言っていません。ちなみに、この「哲学者」は、フリードリッヒ・シュレーゲルを指すと言われています。
『エッカーマンとの対話』のなかでは、1829年3月23日にゲーテが、<「建築を凍れる音楽とわたしが名づけたと書かれている紙を見つけたよ」とゲーテが語った>と書かれています。ところが、この「紙」の文章は、『箴言と省察』にある上記の文章です。しかも、ここに載せたのは当のエッカーマンです。しかし、エッカーマンの書き方だと、「ある哲学者」ではなく、ゲーテ自身がそう言ったかのようです。
ところでゲーテが「音楽」を「サウンドアート」と言い替えたのは、非常に未来的でした。『色彩論』のなかでも彼は、サウンド論〔音響論〕(Tonlehre) の構想を語っており、それは、彼の色彩論が自然科学全般に関連づけられるのと同様に、物理学全般に関連づけられるべきものだと言っています。ゲーテにはまとまった「音楽論」はありませんが、彼の思考の射程は、音楽の音にとどまらず、サウンドそのものにまでブっ飛んでいたのだなと思うのです。
これを読んでも凍れる音楽のことはわたしには今ひとつよくわかんない…教養が足りない。
水煙の展示してある横の部屋で「国宝薬師寺東塔平成大修理奉賛 平成の寶玉展」
というのがやってて、奉納された小さな絵をたくさん見ましたが
わたしが勉強した美大の当時の学長、千住先生や
わたしのゼミの恩師菅原先生の絵もあって懐かしくも嬉しかった。
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