これまた、どすんと、もう、いい映画で、褒めますよー。褒めちぎりますよー。
ただ、いっぱい褒めたくても語彙が足りなくていつももどかしい。
イタリアの村で、小作人制度が廃止されたのを知らずに搾取され続けている村人。
事実が明らかになって解放されることになるのですが
誰よりも無垢で優しかった青年ラザロはその時・・・という感じの
予告編だけを見て、ずるい資本家の搾取の中でも純粋な心を忘れない人の、
心洗われる映画かなと思って見にいったんだけど、いやはや全然違った。
そういう部分はあるにせよ、これはもっと大きな、不思議で美しい寓話なのだった。
ラザロは無垢で優しいというか、現代の区別でいうとおそらく知的障害のある青年。
映画「道」のジェルソミーナのような存在と誰かが書いてたけど、そう思う。
村人たちにいいように利用されるだけされて、ラザロのことを気にかけてくれる人は
ほとんどいないけど、なんでも人にあげてしまいながら誰も恨まず不満もなく、
(そういう概念自体ない)おそらく彼なりに幸せに生きている。
そこへ支配者の公爵夫人の息子が来て仲良くなるけど
親の搾取を批判的に見ながらも、自分も同様の身勝手でずるい人間でしかない彼にも
ラザロはなついて、親友ができたくらいに思っている。
この息子は後半にまた出てくるのですが、若い頃はわがままな坊ちゃんながら
まだ少しは人の痛みもわかりそうな不安定さがあったのに、
年をとるとこうなるのだなぁという人物造形や描写には、すごく説得力がある。
その後の村人たちに関しても同様で、弱者である人たちの陥りやすい弱さ、ずるさと
それでも心の奥に残る少しの優しさが、とてもうまく描かれている。
貧しい人間は自由があっても中々うまく生きていけないこの社会というものの仕組みも
そこに単純な批判やメッセージは挟まず、そういう現実を淡々と描く。
そして、後半に入ると色々とトーンが変わるのですが、
そこ、すごくびっくりしましたね。
これはネタバレになるから書けないけど、その後の展開はますます想像と違って
辻褄を考えるのではなく、神話や寓話の世界に、
そしてそれの指し示すものが何なのか透かし見える世界になっていき、
見ながら、これってすごい話だなぁという気持ちがどんどん大きくなって
ラストがどうなるのか予想もつかないまま、最後まで引っ張って行かれた。
すごい映画だなぁ。
この脚本と監督は、まだ30代の女性ということで、
これからこの人がさらに円熟していく作品を見られるのかと思うと
期待が膨らんで、どきどきする。
この監督の前「夏をゆく人々」は予告編には見覚えがあるんだけど見逃してた。
猛烈に見たい。見よう。
ラザロが『ヨハネ福音書』の中の死後に生き返る聖人の名前ということで
ある程度のネタバレはもともと意図されているものと思いますが
この、ラザロ役の俳優さんがものすごく、この役に合ってて感動する。
ビー玉のような澄んだ目をまん丸にして、驚いたような顔でものを見るんだけど
この目がねぇ、本当にきれいできれいで、
こんな無垢な人が無事に生きていけるはずがないと心配して
信仰もないのに祈るようにラザロを守りたくなりました。
人は見かけじゃない、天使のような外見の悪魔も逆もいるといつも思ってるけど
ラザロの目を見ると、この人が天使や聖人でないはずがないと思ってしまうのです。
ラザロを気にかけるほぼ唯一の優しい女性の役の女優さんは
若い頃と中年と二人の人が演じてるけど、同じ人が年取ったのかと思うほど
雰囲気や顔立ちや、何かが似ててそれも感心。そしてどちらもすごくいいです。
ここから少〜しだけ、ネタバレというほどでもないネタバレ。
後半に、なけなしのお金で買ったものを人にあげてしまうシーンがあって
しかも相手は感謝などせずに、ありがたさも感じない図々しい人で、
でもそういう相手にもラザロは平気でなんでも与えてしまうんだけど
それに影響された人たちの心の変化は、辛い状況でも暖かい気持ちになる。
とはいえわたしならあげないかも。。。(天使は遠い・・・)
映画の中では搾取されてばかりと言われてたけど、
与えることしか知らないラザロは、
わたしたちの基準で幸不幸をはかってはいけないのかもしれません。
そう思うとラストもそんなに悲しくないのかも。不条理に思えるけど。
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