sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:ゆれる

2018-05-25 | 映画


田舎や親やしがらみや責任や過去の自分に縛られて、そこから
離れることができずに自分の人生をなくしたまま仕方なく生きているような兄と、
自分の人生を自分の好きなように生きている弟という映画だったんですが、
わたしはまるまる前者型の超ダメ人間なので、その辺はきつい映画でした。

誰かのブログで映画「ギルバート・グレイプ」を引き合いに出してたけど、
ああそれだー!とわたしも思う。
仕方なくあきらめた人生を送っていて、くすんで行く自分を感じるのが辛すぎて、
いろんな感情を殺して、人生をやり過ごしている人。自分のことみたいだなぁ。
若いうちはそういう倦怠が何かのエネルギーにひっくり返ることもあるけど
年をとると、いつか自由になってももうどこにも行けなくなっているのです。
みんな好きに生きればいいのに、とはよくいわれるし自分もそう言うし、
そりゃその通りだと思うけど、それのできない性分というものはやっぱりある。
かなり努力して少し治ったし、とりあえず好きに生きているように見える程度には
誤魔化せていると、自分では思うけど、年をとってしまうと、
結局こういうものはもう一生抱えていくしかないのかなぁと、やっぱり思う。
とはいえ、わたしはその場しのぎの技で1日1日楽しく生きているし
これでいいやという諦めとうまく折り合いをつけてやっていってるけど、
この映画の兄弟の兄は、その場しのぎではもうやっていけないくらい
自分の人生を呪っていたんだろうか。
どれだけの鬱屈がたまっていたんだろうか。
映画の中の兄も7年後に社会に戻ってきてから、いつか、
その場しのぎの技を見つけて一瞬ずつでも楽しくなるだろうか。

ラストはバスが来て、兄がそれに乗ってどこかへ行って消えてしまうのか
乗らずに弟と家に帰るのか、というところを描かずに想像させる終わり方で、
こういう終わり方は珍しくはないけど、ぴたりとはまっててうまい。
映画の会でこれはどっちになったと思うか、みんなで話しあったけど
違う意見もあって、そんな風に割れる映画はいい映画だよね。
(わたしは兄は永遠に何処かへ行ってしまうと思ってる)

公式サイトより>東京で写真家として成功している猛は、忙しくも自由気ままな生活をしている。一方、地方に残り実家の商売を継いだ兄の稔は幼い頃から温和で誠実な人柄だが、いまだに独身で父親と2人で暮らしている。母の一周忌で久しぶりに帰郷した猛は、稔と、ふたりの幼なじみの智恵子と3人で近くの渓谷に行った。兄弟が幼かった頃、よく両親が連れてきてくれた場所だが猛はそのことを憶えていない。懐かしい場所ではしゃぐ稔。稔のいない所で、猛と一緒に東京へ行くと言い出す智恵子。だが、渓谷にかかった吊り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下してしまう。その時そばにいたのは、稔ひとりだった。兄をかばうため稔が奔走する中、稔の裁判が始められる。事故だったのか、事件なのか。猛の前で、稔は次第にこれまでとは違う一面を見せるようになる。兄は本当に自分がずっと思ってきたような人間なのだろうか。当たり前と思い疑いもしなかった事柄の裏面が見え隠れし、裁判が進むにつれて猛の心はゆれていく。やがて猛が選択した行為は、誰もが思いもよらないことだった───。