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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

「あとは1枚切手を貼るだけ」

2021-10-16 | 本とか
2年くらい寝かせてた本をお風呂で2週間くらいかけてやっと読んだ。
小川洋子と堀江敏幸が交互に書く書簡集の形を取る小説で、
この中のぼくとわたしはそれぞれの作家に重なる。
小川洋子はいつもの小川洋子だけど堀江敏幸は結構小川洋子に寄せてる感じがした。
とても文字の小さい本を読んだ気になる情報量とイメージの広さ深さだけど濃厚な感じはなくて、
ほんの少し靄のかかったような透明感のある小説でした。
ラストに向かって謎が深まるところも面白かった。

これが打ち合わせなしのリレー小説だと聞いてすごいなぁと驚き。
愛し合いながら離れて暮らしている男女のやりとりなんだけど
毎回思わぬ要素が含みのある形で登場し、
次の手紙の人はそれに合わせて含みの部分を解きほぐしたり、
さらに謎を潜ませたりしていって、話がどんどんねじれたり隠れたり現れたりする。
ええっ!今それ言うの不自然じゃない?って感じの無理っぽい展開も結構あって
部分部分微妙なところはあるけど、物語としての整合性は保たれてるし、
最後にはなんとかきれいにまとめ上げながら、美しさも気品も詩情も失わない、
やっぱり神業。
お二人の想像力と教養と、技術には参りました。

でも好きか嫌いかと言われると微妙。
切手好きのわたしにはたまらないきれいな本だけど、
そもそも書簡集の形を取ったフィクションというのがちょっと苦手だから。
どうしても説明的になるでしょ。お互い知ってるはずのことを手紙に細かく書くわけで、
あの時あなたはこうこう言いましたね、みたいな書簡文体がどうもだめなんですよねぇ。
わざとらしいというか、その説明調が気になって気になって。
しかも前半は淡々としたやり取りなのにどんどん話が広がってイメージが広がって
ついて行くのが大変だったし。でも最後まで読んで良かったと思います。
14通の手紙を毎晩お風呂で一通ずつ読んだんだけど、いくつもの湖の湖面や
スーパーカミオカンデの水面のイメージがじっと本を読むお風呂の水面と重なって良い2週間でした。

「美しいものを見に行くツアーひとり参加」

2021-09-21 | 本とか
益田ミリさんの、いろいろなツアー旅行に一人参加した話を書いた本を読んでて、
ああ、ツアーでもいいんだよなと目から鱗が落ちたように思う。
益田ミリさんは失礼ながらあまり旅慣れた人に見えなくて
なんだか頼りなげで英語も話せず、ツアーに向いているように見えたけど
自分はそういう人になりたくないと思ってました。
ツアーってなんか負けた気がして、旅行は自分で組み立てなきゃと思ってきたけど、
別にいいんだ。負けてもいいし。いいんだ、
旅に求めるものが、ひとりで全部することでなくたっていいんだ、と思った。

人並外れた方向音痴のわたしはひとりで旅すると
方向関係の準備だけで人より遥かに遥かに(ちょっとびっくりするほど)時間がかかるし
もちろん現地でも苦労する。その苦労こそが旅の味と思ってきたけど、
そうでなくても元々心身ともに体力のないわたしが、
そんなふうに思い込んで毎回必死で冒険する必要もないのだなと、肩の力が抜けた感じ。

旅はひとりで何もかも頑張ってやって、失敗も怖い思いも大変な思いもして
予想外のことが山盛り起こって、唯一無二の自分だけの旅でなくてはと思い、
ツアーなんて生ぬるくて恥ずかしいような気がしてたのって、
それ「深夜特急」とか「なんでも見てやろう」とかの呪いだったかも。笑

一から自分で組み立てる旅は疲れるけど満足感も充実感も大きいのはわかってる。
でも年を取って体力的にだんだん「疲れる」の方が大きくなってきたのです。
70でも80でも元気にバックパック旅行される方はいらっしゃるけど
わたしにその体力はない。
わたしにとって旅はライフワークではないし、極めるものでもない、
遊びなんだからもっと気楽に遊んでいいのよね。
ツアーで知らない人と一緒に過ごすのはちょっと苦痛だけど、
この年になると失礼ギリギリの素っ気なさでそこそこ上手く対応できる気がするし、
ひとり行動の時間の多いツアーもあるしね。

とはいえ、国内は特にツアーでなくても別にひとりでどこでも気楽に行けばいいので、
そんなにツアーに入ることはないと思う。だから遠い外国への旅行の話だけど、
外国でも国内でもひとりだと難しいような変なところへはツアーで行けばいいのか。
と思うと、ふわっと楽しくなってきた。

旅のことをあれこれ夢見るだけじゃなく、新型コロナが収まって海外旅行ができる頃に、
わたしがまだ元気でいるかどうかわからないご時世ですが
また遠い外国に行けるようになったら、どこに行きたいか今から考えておこうっと。
もちろん、ツアーでない旅もたくさん行きたいし行きたいけど。

「旅の手帖」

2021-07-21 | 本とか
意識してるわけでもないんだけどお風呂で読むのは旅の本が多い。
面白い長編小説だと、どんどん読めて積読が片付くんだけど
旅の随筆は短いものでも、随筆の内容以外にその国の地理や歴史、そこの自然や人や
自分も少し走ってるいろんなことを思い浮かべるので時間がかかります。

この本は去年の秋くらいに半分ほど読んで、読んでる途中で少し感想を書いて
→動かない言葉
そのあと忘れてたんだけど今年の春くらいに読み終わってたので、少し引用します。

「旅のおもしろさは、旅をする人の状態と出先の状態とがかち合うところにある。しかもその旅は、旅をしているあいだだけのものではなく、そのあとそれをどう思い出すか、いつ想っても楽しい一本槍で浮かぶ旅もあろうし、哀しくしか思い出せない、かつての楽しい旅というものもある」

「時の歯ぐるまに噛ませてみると、一度の旅もさまざまにいろどられて見え、その変化がまた我ながら興ふかいものがある」
どっちも、ほんとにそうだなぁ。

もみじを一緒に見ないまま視力を失った人の話は
この引用の前の部分から読むと後悔や寂しさがもっと伝わるけどここだけ引用。
「秋が来ると毎年私は、もみじに気が惹かれて、出歩きたくなる。そしてその度に、美しいものを見にいく時は、積極的に人を誘おうという気になるし、どう話せばもみじの美しさが、よく伝えられるか、とさびしい。」

「一つ一つおもいがけなく、眼新しく思いつつ老いて行くものなのだろうか。とすれば、老いはまた新しいものなのだともいえる。新しがらせつつ老いが来るとは、なんという油断のならなさだ。」

「万一そうした大きな旅をすることがあったとしても、所詮やはり私は、古風でおセンチな旅しかできないだろうとおもう。これは私の旅の癖だからである。」

「私は旅をしているあいだの女というものは、誰にしても多少いつもよりは、艶めいているもの、とおもっている。それは本来もっている女の癖ともいえるかとさえ思う。」
「旅にでて、浮きたって、花やぐひともいるし、旅を楽しんでいるにも拘らず、どことなく淋しげにたよりなげに、愁いっぽくなるひともいる。どちらの人も、艶が添ってみえる。そこが美しい、と私は見る」


幸田文「旅の手帖」 

読める分だけでいい

2021-05-24 | 本とか
ずいぶん前だけど鬱で読めなくなって本当に焦ったし、
今も読むのが遅くなって量も意欲も根気も減ったまま。
でも少しずつ読めるようになってきた中で、これはこれでいいと思うようになりました。
読めるだけ自分の速度で読んだらいいんで、
別に何かのためでなくていいし成果がなくてもいいし賢くならなくてもいい。
買った本が読み切れなくてもいいし、興味のなくなった本が積んであってもいい。

年を取ると思うんだけど、人間はみんなそのうち死ぬわけで、
死ぬ時に何も余らせず何も不足させずきれいに死ねるはずもなく、
読み残した本や開かずに終わった本がたくさん残っても仕方ないし
本がどれだけ残ってる状態でもそれでいいと思うことにしました。

今は、本を買うときだけは、まだテンション上がるし、
だいぶ読めるようになったけど、若い頃のようにはもう読めない。
時間と余裕と体力と気力が揃わないと本を手にとることもできないし
大体、そのうちのどれか足りないし
雑誌をパラパラめくるのさえ難しいことが多い。
情報量に負けるのよね。目が泳いで頭に入ってこなくなるのです。
若い頃は雑誌があんなに好きだったのにな。

映画は映画館で椅子に座ってるだけで、きちんと最後まで見られて終わるのがいいね。
本は2時間集中できて時代は遠くなっちゃった。
でも、それでもいいのです。
一文字一文字、遅い音読の速さでしか読めなくても
読んでる間の楽しさも、読んだ後にどこかが活性化されてる感じも
読後の感動も、ゆっくりでもあるし、ゆっくり味わえばいい。
なんでもすぐ焦りがちなんだけど、焦らないことをもっと身につけたいなぁ。

「一度きりの大泉の話」

2021-05-18 | 本とか
萩尾望都さんの話題の新刊を友達に借りて読みました。
面白くて一気に読んでしまった。

あれだけの漫画家だけど文章は上手い感じじゃなくたらっとしてて、
聞き書きとかインタビューとかなのかなと思ったら、
信頼できる人にインタビューしてもらったのを構成し直してかいたものらしい。
でもそれ以前に、しがらみが多い人が過去のことを人を傷つけず貶めないようにに書くと
こういう感じになるのかもな。な
んともまどろっこしい奥歯に物が挟まってる遠回しな感じがあるんです。すっきりしない。
でも文章はそんな感じだけど内容はやっぱり面白かった。
萩尾望都も竹宮恵子も学生時代に読んだ大御所の漫画家で
特に萩尾望都は神のような存在でした。
すっかり漫画を読まなくなって何十年にもなるけど
今思い出してもこの二人の作品の印象は圧倒的です。
その二人が一緒の家に住み、そして決裂したことについての話で、
嫉妬をされた、嫉妬というもののわからない人の話、かな。

木原敏江さんは「あなたね、個性のある創作家が二人、同じ家に住むなんて、
考えられない、そんなことは絶対ダメよ」とキッパリ言ったそうだけど、そうよね。
(木原敏江さんも大好きな漫画家でした。「摩利と新吾」すごい切なかったな〜)

男の漫画家のコミュニティの話はよく聞くけど女の漫画家にもあったんだなと、
本書で、きらめく才能がゴロゴロ出てきて交流してるのを見て思ったけど、
やっぱりトキワ荘的な感じとは遠いんだなぁと思いました…男と女はほんとに違うなぁ。

本筋に関係ないけどいくつか引用
漫画家になるには?と聞かれたらこう答えるそうですが、ほんとそうね、と思ったところ。
>「作品を描いて完成したら、人に読んでもらうといい。人の意見を聞くことは大切なことです」「もう一つ大切なことは、人の意見を聞かないことです」

>増山さんのこういう感覚は詩だな、と思いました。豊かな感性を持っている人なのです。豊かな感性は持っているのに、表現の手段を持たない。そういう方はたくさんいるのかもしれません。

人にずけずけいわれると何も言えなくなったことに対して
>たぶん今なら、私はもっとうまく意見を話せるでしょう。それは、前は何とか伝えようと焦ったりしていたのですが、今は「いくら言っても伝わらない場合がある」という覚悟ができたからです。

小さい本屋のヘイト本

2021-05-13 | 本とか
先月だったか京都を歩いてて見かけた感じいい本屋さんで3冊ほど買いましたが、
そこに百田尚樹の「日本国記」が何冊も並べてあって興醒め…
小さいインディーズ系本屋さんなのにこんな差別主義者の本を10冊くらい並べてあるのは
そういう本屋なのかとがっかりしてしまった。
自分は多くの人の無自覚な差別には、ため息をつきながらもそんなに厳しくはないです。
自分自身、無自覚にやらかしてる可能性もあるし、知れば、話せばわかる可能性も高い。
だから本屋さんにヘイト本が少し混じってても目くじら立てはしないのです。
(本当は1冊でも目くじら立てるべきだと思ってますけどね)
それに大型書店は営業的に仕方なく置いておくこともあるかもしれない。
でもこういう独立系の小さい本屋さんって一冊一冊思い入れのある本を置いてあると思うし
この店もそうで、他の本は平積みの本棚以外はみんな1冊ずつしか並べてなかったのに
この本だけ10冊くらい本棚にならんでたんですよ。
インディーズの個人書店に差別主義者の本だけが多数並んでるのは初めて見たわ。
他にもそんな本屋さんがあるのかもしれないけど。

本屋は儲からないものと思ってるけど、いつか自分でやるなら、という夢想はよくしてて、
実際に本屋をしてる人も個人の小さな本屋さんは理想や矜持を持ってされてると思うので、
その理想と矜持に、差別主義者の本が含まれてるんだなと思うと残念です。
どんなにおしゃれでセンスが良くて居心地が良くても、こういう本屋にはもう行かない。

(写真はその本屋さんを見つける前に行った別のギャラリーで本屋には関係ありません)

「よこまち余話」

2021-05-02 | 本とか
5年ほど前に読んだ「漂砂のうたう」と同じ作者、木内登の小説。
「漂砂のうたう」は江戸末期の遊郭が舞台の話で、
自分にとっては読みにくい本だったんですよ。設定も内容も文体も。
登場人物も誰にも共感できないし、それぞれ嫌な感じも持ってる。
でもね、なんか湿って暗いんだけど、それでも読み終わった後には希望も信頼もあって
なんともしみじみとして、読んでよかったと思った本だったのですが
たまたま同じ作者の本を見かけたので買ったのがこの「よこまち余話」でした。
巻末に堀江敏幸さんとの対談があるのにも惹かれた。

こっちはずいぶん読みやすかったです。
明治初期?の頃の長屋の話ですが、
全体に優しい世界で、ほとんどいい人しか出てこないし
登場人物の過去にもドロドロした重さはなくて、透明な哀しさだけ。
主な登場人物は40歳くらい?の女性、駒江さん。
長屋の奥の方に一人住まいで、丁寧な仕事をしている静かな女性。
魚屋のおばさんと、ぼんやりと優しい跡継ぎの浩一、
他の子供たちとは少し違う学ぶ面白さを知ってる少年、浩三。
ズケズケとものを言うおばあさんのトメさん、
悪い人じゃないけど鈍感で間の悪い糸屋、
家賃を集める謎の男、きれいで美味しい和菓子を売る和菓子屋などなど。

「漂砂のうたう」でも、人の世の境を超えた別の世界の何かを
少し覗き見せられますが、「よこまち余話」も同様で
読み終わって考えたら梨木香歩の小説にちょっと似た世界観でもあります。
世界は人間と人間の目に見えるものだけが住んでるのではないんでしょうね。

途中で駒江の亡くなった夫やトメさんの過去についてなどが
少しずつわかってくるし、あとから出てくる人物が誰かもすぐにわかるけど
あざとい感じもなくすべて淡々と進んでいってラストはちょっと寂しい。
でも悲しくはなくて、なんとも優しい読後感でした。
小説としては「漂砂のうたう」の方が技術的にも内容的にも深いし上だと思うけど、
こっちは誰にでも勧められる優しさと甘やかな詩情、余韻がありますね。
巻末の対談で堀江敏幸は映像化の難しい作品というようなことを言ってたけど
いやいや、これ映画化に向いてるでしょう。映像でも駒江さんに会いたいな。

「児童文学の中の家」

2021-05-01 | 本とか
人の家に招かれることって日本ではそんなに多くなくて
たまに招かれると人の暮らし方っていろいろだなとすごく楽しいのですが
映画やドラマの中でもある程度のリアリティはみることができますね。
前に「海外ドラマの間取りとインテリア」という本について書いたけど
これは元々このサイトだったらしく、このサイトの方が情報量は多くさらに面白いです。

「児童文学の中の家」という本はタイトルと表紙のかわいさだけで買ってみたけど、
中身は個人的には思ってたのと違う感じでした。
勝手にもっとリアルな間取りや暮らし方の考察みたいなものを期待してたんだけど、
間取りなど家についての詳細は本当に大雑把というか、ざっくりとしてるし
家を通して描いているのは物語の方で、家が主役では全くないのでした。
前記した「海外ドラマの間取りとインテリア」はドラマや映画は
お互い知ってる前提で、その中に踏み込んで家を見る感じで
児童文学に関しても、どれもよく知ってる話ばかりなのでもう紹介はいいから
家のことをもっと詳細に教えてほしい〜〜という気分になっちゃった。
たとえば、大好きな「赤毛のアン」のページは家の間取りもさらっとあって
アンの部屋のイラストもかわいいものの
Netflixでやってたドラマのリアルなインテリアを見た後では
情報量が少なすぎて一瞬で読み終わってしまう。
雰囲気はかわいいし、児童文学の入門書としてはいいのかもしれないけど。

とはいえ、わたしのような勝手な期待をしていなければ
有名ば児童文学についてのふんわりした読み物として
楽しく読めるしイラストもかわいかったです。

私設図書館

2021-04-30 | 本とか
何年ぶりかで、明窓浄几と言う言葉を見た。

数年前、祖母が亡くなった時のお葬式があった場所の近くに、
「女性の書斎 ひとり好き」という看板のあるビルがあって、
なんだろう?と思ってたのを思い出し、ググってみたのです。
それは私設図書館らしい。
200円で、ずっといてよくて、土日以外は女性専用。
年配の、本好きの女性が開いたもののようです。
その人のブログに明窓浄几という言葉があったのでした。
なるほどなぁ。
うちからはちょっと行きにくい場所なので
(乗り換えもあり、駅からもかなり遠い)行くことはないだろうし、
写真で見た中の様子は結構地味で昭和な感じに見えるけど、
私設図書館というのはいろんなバリエーションがあってもいいよね。

もしも、お金持ちのおばあさんになったら、私設図書館をやりたいなぁ。
でも、おばあさんにはかならずなるけど、お金の方は、わかりませんね。。。

子供の頃は本屋さんをやりたい気持ちの頃もあったし
大人になってからでも、あと一歩で絵本専門店をやりそうになったこともある。
そういう話を持ちかけられて心が揺れたのですが未経験で怖くて断ったのでした。
それでも本のある空間が好きなので、
大きな本棚が壁一面にあるカフェをやってみたのよね。5年ほど前に閉めたけど。
でも本屋さんは難しいですね、経営が。カフェより儲からない気がするし
わたしには商才が全然ない。笑
でも、営利を離れた私設図書館なら、趣味でやるのは楽しそう。
普通の公立図書館や、座って読める大型書店とは違う、偏った場所にしたいなぁ。

四国行ったときに、あったのがトップの写真。
図書室、図書館とは言うものの、部屋でもなく
駅のホームに着いてる棚です。
でもベンチもあるし、のんびりした駅でここに座って本を読むのは気持ちよさそう。
こういう小さい一箱図書館みたいなムーブメントというか仕組みもあるそうです。
誰でもできるみたい。以下Wikipediaより
小さな図書館(ちいさなとしょかん、英語: Little Free Library) は、地元の地域社会の人たちに小さな箱に収められた本を無料で貸し出すというアメリカ合衆国および他国にも広がっている非営利の運動である。マイクロ・ライブラリーと呼称されている。
この運動はウィスコンシン州のハドソンで始まった。このアイデアは愛書家で学校の教師だった母親への想いからトッド・ボル (Todd Bol) によって考案された。彼は小さな校舎のような外見を持つ木製の図書箱を芝の庭の支柱の上に設置した。ボルはパートナーのリック・ブルックス (Rick Brooks) と共にアイデアを広め、メディアで取り上げられたことから急速に運動は広がった。小さな図書館のオーナーを始める人は、人形の家ほどの大きさの図書箱を自分で作成することもできるし、会に依頼すれば製作したものを購入することもできる。小さな図書館は会のウェブサイトから登録すれば番号の割り当てを受けてGPS座標を通じて検索されるようにすることも可能である。登録するとオーナーは「小さな図書館」の看板を受けとる。図書箱にはしばしば「一冊借りて返す時はできたら一冊寄付して」 (Take a Book. Leave a Book.) という依頼が記されている]。 日本ではまちライブラリーを含めたマイクロ・ライブラリーが1,000にのぼると推定されている。

あら楽しそう。

宝塚の洋館松本邸に行ったときに、途中で見つけたこういうのもある。

これは、ほんと、かわいくてかわいくて悶えてしまう。
部屋じゃないけど、ちょうどいい感じに閉じて開いたスペースがあってベンチがあって、
素敵な場所だなぁ。
ただ、日本の気候では、野外のベンチは真夏も真冬も厳しいので
年の半分くらいしか楽しめないかな。
でもそういうのも、いろんなマイクロ図書室がたくさんあるのがいいな。

本のある空間ということでは、読書会もやりたいし、
シックなパーティもやりたいし、カジュアルなイベントもしたいし、
夜、静かにお酒を飲みながら読める時間も作りたいし、
書く人の書くスペースも作りたいし、
自分の施設図書室のことを考えるのは、
完璧なパフェを考えるのと同じくらい楽しい。

現代短歌の恋の歌って

2021-03-29 | 本とか
前に現代短歌の本を買ったとき、いいと思った歌はみんな恋愛以外の歌だった。
心情を詠んだものの中でも特に恋愛感情はもう、どれも似通って見えることが多いのよね。
なぜ恋や愛の歌になると、つまらないものが増えるんだろう。
官能風味の歌も、もうどうにもいまさら感を感じてしまう。
>「恋愛」がそもそも型の世界だからかもしれないですね。
>型どおりにしないと「恋愛」にならない。
と言った人がいたけど、そうなのかな?そうだとしてもそのせいなのかな?
中にはハッとさせられるものもまだあるけど、
文学や芸術には、いつもハッとさせられたい。
それも新しさや奇異さではなく、
美しさや強さや弱さにしみじみと、ハッとしたいのです。

積ん読のこと

2021-03-13 | 本とか
本が増殖して困るのであまり本屋に行かないようにしてるし
あまり買わないようになって随分経つ。
たまに本屋に行くと、たががはずれて大人買いしてしまうけど、
本に限らず物を多く持つことに嫌悪感というか近寄りたくない気持ちが強いので
図書館でいいかなとか、人に借りればいいかなとか思うことも多かった。
でも、この前読んでた本にこんなことが書いてありました。

”本を買うということは、その本を「未来に読む」という
ひとつの約束のようなものを買うことだった。借りてきた本には期限がある。
そうなると、そこにあるはずの「未来」があまりに短くてがっかりしてしまう。”
”一方、自分のものにした本には、限りない「未来」が含まれていた。
本を買うというのは「未来と約束すること」なんだと気がついた。”

『金曜日の本』
なるほどなぁ。
所有欲からはできれば離れていたいので、
本もいつでもアクセスできる図書館にあればいいや、
という気持ちが、やっぱりなきにしもあらずなんだけど、
所有欲をそんなに毛嫌いしなくてもいいのかもなとこの頃は思う。
何かを大事に思う気持ちには、やっぱり所有欲も少々あってもいいのでは。とね。

冬の男の人の匂い

2021-02-27 | 本とか
お風呂で金曜日に読み終わるはずだった「金曜日の本」を昨日読み終わってしまったので
今日はまた別の短文を。男の人の冬の匂いの話に深くうなづく。
寒い外から家に帰ってきたときの男の人のまとう冬の気配のことを
ほかほかと湯気のたつお風呂の中で読みました。

上着にも髪にも肌にも指先にも冷たい冬の匂いを纏ってる人を迎える瞬間、
というものを思い出す。
温かい家の中にいる自分だけがわかる、すぐに消えてしまう匂い。
今の恋人は一緒に住んでた時も帰宅時には誰にも構われたくない人なので、
そっとしておくしかなくて、
冬の匂いが分かるほど近づくことはなかったのがちょっと寂しい。

でも、過去に家の中で他に男の人を迎えたことって、結婚してた元夫くらいしかないし
では誰の記憶だろう?と思ったけど、考えてみると家の中じゃなくてもあるのだった。
喫茶店やお店で待ち合わせをしたとき大体わたしが先に着くので、
後から来た人の冬の匂いがわかるのだった。
男の人のコートから漂う冷気と、冬の気配、冬の匂い。その人の匂い。
雨の日には冷たく染み込んだ雨の匂い、
雪の日には冷たくて柔らかい雪の匂い。

「なつかしいひと」平松洋子

「ビリジアン」

2021-02-16 | 本とか
サローヤンの7歳から17歳までの少年が主人公の小説をお風呂で読んでたとき、
その前の前にお風呂で読んでた本が、柴崎友香の「ビリジアン」で、
こっちは10歳から19歳までの少女の話でした。
あまりに違うタイプの小説なので何かの対比になると思ってなかったけど
どちらも似た年頃の、子供から少年少女時代の話ですね。
とはいえ、本当に違うタイプの本なので比べようがないけど。

サローヤンの「僕の名はアラム」柴田元幸訳 新潮文庫)は
20世紀初め頃のアメリカが舞台のアルメニア移民一族に関する話だし、
柴崎友香のは現代の大阪が舞台で、主に日本人少女個人の話。

サローヤンのは何しろ平易な言葉でゆるっと書かれているのに完成されてて、
柴崎のは普通の語彙ではあるけど、伸び伸びとしながらかなり繊細な表現。

サローヤンはお風呂で読むのにいい本だったんだけど、
柴崎友香は後半になると読むのに疲れてきた。
大阪の灰色の景色の下の少女のもやもやが乗り移るようで、少しのぼせました。
大阪が舞台のせいか、岸政彦さんの「ビニール傘」の世界に少し近いところがある。
「ビリジアン」は一応10代の青春小説だから違うんだけど、
背景になってる大阪の街の描かれ方が、少し似てるのかな。
ああ、そういえば岸さんは芥側賞候補だった。柴崎友香も芥川賞作家だ。
(その後お二人は対談したり、大阪の街について話してたり、
 交流があったようです。わたしの目は正しかった。笑)

お話は主人公の少女の日常的なことなんだけど、明るいきらめきや透明感というよりは
どこか沈んだところのあるザラッと砂っぽい感触やくすんだ空気を感じさせるものです。
主人公のいるバスの中や屋上とかに、なんとなく普通にジャニス・ジョプリンとか
リバー・フェニックスとか出てきて、一言二言しゃべったりするシーンもあるんだけど
日常を描いた小説の中に急にふわりと紛れ込む不思議さが妙に自然で、
そういうふわりとした違和感の自然さも日常の一部みたいな頃ってあったよなぁと
何十年も前の自分のことを思い出して、逆にリアリティを感じました。

ビリジアンという色は、緑の一種で
中学か高校生の頃持ってたホルベイン社の色鉛筆のビリジアン色を見て、
なんとなく詩を書いたことがあります。
詩の内容はあんまり覚えてないけど、ビリジアンの色鉛筆を持って
塀に線を引きながら歩くというようなことだったと思う。
そういう、遠い目になってしまうような、古く懐かしい気持ちも抱えたまま読読みました。



オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る

2021-02-10 | 本とか
オードリー・タンのことは前にも「液体民主主義とオードリー・タン」に書いたけど
大晦日に帰ってきた息子が彼の本を持ってて読んでたので大晦日から元旦にかけて
息子が帰ってしまう前に急いで読んだ。
これね、良いアート作品を見た時のように、はっとしてわかることがあります。
ごく平易な言葉で平明なことを語っているんだけど、
何度もくりかえすテクノロジーへと人への信頼、誰も置き去りにしないという言葉、
風通しのいい場所で希望に触れてきた気分になる本。今年の読書初め。
正月は年末ギリギリに悲しいことがあって腫れた目で迎えて
元旦の夜は熱を出してと冴えない新年だったし
気分転換が下手でどうしようもない自分だけど、
オードリー・タンの本読んでいろいろ考えてたら明るい気持ちになってきた。
人もテクノロジーも、信じてる人の明るさは救いだな。
世界に絶望しないでいられるのはこういう人のおかげだわ。

トランプのアメリカで新型コロナの感染から救っていく人の
優先順位をつけるのにAIを用いてはというような提案があった時に
それは台湾の人たちには合わない考え方で、
AIは人間の選別のために使うものではないし、限られた資本を奪い合うのではなく
より多くの価値を生み出すべことを考えるのが経済学だと。
既存の資源の分配ではなく、人々が協力してより多くの価値を生み出すモデルを、と。
そしてそのためのイノベーションは弱者を犠牲にするのではなく、
むしろより弱い人へ優先して提供されるべきなのだと。
ルサンチマンも奢りもなく、誰も置き去りにしないと繰り返す軽やかさに目が開かれるわ。

あと、ピンクのマスクのエピソードも良いなとおもいました。
息子がピンクのマスクで学校で笑われて恥ずかしい思いをしたという母親からの
新型コロナ対策ホットラインへの投稿で、
中央感染症指揮センターの指揮官たち全員が翌日の記者会見に
ピンクのマスクをして出た話。
小さな声も必ず拾ってくれる安心感のある国。

そして台湾駅のコンコースに描かれたスマイルマークの話は、
今やどこにも排除アートが溢れている日本語には痛い話ではないだろうか。
出稼ぎ労働者がたくさん座り込んで寛ぐのが迷惑だと一旦は排除されたものの、
ここは誰が座ってどんな言葉を話していても良い場所なのだと
改めてスマイルマークを描いてその姿勢を表明したわけで、
問答無用であらゆる場所を座れない寝られない休めないところにしていくのとは
正反対の寛容と優しさがあるよねぇ。

というようなことを読んでたらずいぶん気分良くなった。
美味しいシャンパンより希望のある人の寛容に触れる方が心に効きますね。
どこまでもオープンで柔軟で軽やか。
シニカルなところが全然なくて、仏か!と思います。

大河ドラマと「エデンの東」

2021-01-28 | 本とか
先月、70年台の性産業が舞台のアメリカドラマ「デュース」を
一気に8話見たんだけど、それに大河っぽさがあるかないかとか話してた時に、
大河ドラマの要件って時代の流れがあること、世代の流れがあることじゃないかと言うと
そういえば「エデンの東」の原作はあてはまると思うと、恋人に言われた。
スタインベックはわたしは「怒りの葡萄」しか読んでないと思うし
「エデンの東」は映画で見たけど昔すぎて覚えてないけど、
彼が若い頃読んだ「エデンの東」がすごくすごく良くて、
小説ってこんなに面白いのかと思ったって言ってたので、わたしも年末年始に読んでみた。
なるほどこれは面白かった。さすがというかなんというか、すごく面白かった。
最近はもうスタインベックとか読まれてないけどね、と恋人は言うけど
古典ってホント、読んで損はないなぁと改めて思ったわ。

冒頭から父の愛を求めて争う兄弟の話が出てきて、
いうまでもなくカインとアベルなんだけど、
映画になってるのはその子供たちの世代の部分で小説4冊の最後の1冊のへんだけ。
でもそこに至るまでの原作もずっと面白かった。
1巻では、元軍人の厳格な父親と息子たちの話が中心なので、
テレンス・マリック監督「ツリー・オブ・ライフ」のブラピ演じるマッチョ父親を思い出した。
この映画自体は不思議な映画で、前半は家族の話かとそれなりに面白く見てたら
途中からなんだか宇宙創造のイメージビデオみたいな映像になっていっちゃって、
ポカーンとしてしまう不思議というかよくわからない映画なんだけど、
この前半の家族の話の部分がとても印象的なのです。
それを少し思い出した。でも「エデンの東」はもっとカインとアベル的な話で、
1巻の兄弟の次の世代の兄弟もまた同じような確執を繰り返す話になります。
息子兄弟の父からの愛への渇望って根深く、よくあるものなのねぇ。

70年くらい前に書かれた本だけど、案外古びてないというか、全然古びてない。
スタインベックの人間考察はすごいけど、
それ以上にこの人、人間のキャラクターを作るのが好きすぎる感じが溢れてるなぁと思った。
ちょっとした登場人物の性格も、結構細かく作ってあって、それを書くのが
楽しくて仕方ない感じがしました。
大家族の一人ひとりの性格を延々述べるとことかすごい筆が乗ってる感じがする。
こういう気持ち、わたしちょっとわかるのです。

昔マレーシアに住んでた頃、毎月マレーシアフィルオーケストラの定期公演を聞いてて
毎月見ているうちにわたしの頭の中には、それぞれの楽団員の性格や人生が
勝手にできあがっていったのです。もちろん全部妄想ですが、
髭のコンマスはスウェーデン人で愛する妻と思春期の娘を故郷に残してきてる。
でも妻はもう彼を愛してなくて、別れ話をされたんだけど、聞いてないことにして
そのままマレーシアに来てしまった。現実から目を背けたくて仕事に没頭してるけど
真面目で窮屈な性格のせいで楽団員の信望は厚くない。
それをフォローしてるのがセカンドバイオリンの縮毛の人で、彼はドイツ人。
(20年前当時は欧米人の多い楽団でした)
いつも明るくひょうきんで、繊細さを隠しながらよく気がつく優しさで
楽団をまとめている人。この人は40代半ばだけど未婚で、というのは・・・・
と、メンバーそれぞれのドラマを、演奏を聴きながら作り上げていったものです。
スタインベックとはレベルも種類も全然違うけど、
彼が登場人物の性格について説明するときのテンションがわたしにはわかる気がする。

お話は父の愛を求める兄弟が親子二代ででてきて、それが中心だけど、
稀代の悪女、ファムファタルの存在がこの小説をいっそう面白くしてます。
でも前半これすごい悪女と思ってたけど、最後まで読むと人でなしの悪魔ではなく
人を傷つけたいわけでもなく、ただただひとり自由に生きたかっただけの女で、
実はそんなにひどい女じゃないのかも、と思ったりもしました。とても強い女。
お気に入りの登場人物は脇役の二人。
登場人物の中で一番インテリで聡明な使用人の中国人リーと、
カインとアベル的家族とは別の、もう一つの家族の父親で、
儲からない発明ばかりして生きたけどその明るさと強さで愛されたサミュエル。
善人が出てくるとほっとするくらいには、わたしも善人ですね。

4巻目を読み終わった時には、長編小説を読んだ後の達成感と充実感と
少しの寂しさが、ここちよかったです。
時代より何よりいつの世も変わらぬ人間というものが何より描かれているので
大河ドラマっぽさは半分くらいかなぁ。
次は、ジェームス・ディーンの映画も何十年かぶりに見てみよう。