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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

モヒートとドーナツ

2010-07-14 | 作り話
ちょっと大人向け?のお話書いてます。
よい子は読まないように(笑)。
(それほどでもないと思うけど・・・)
ミツという女の子とダメ男のぼくとのお話。
男の人の一人称で書くのは初めてで
ダメ男っぷりが書いてて楽しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

よく、肩をかじられた。
肩をかじるとミントの匂いがするって。
肩はスペアミント。
首筋はペパーミント。
そんなはずないじゃん、何でミントなんだよ、と言うと
だってそうなんだもん。
ね、今度うちの店でおいしいモヒート飲ませてあげる。
今年はプランターでミント育ててるから
特別おいしいモヒートなんだよ。
わたしは、こっちの方が好きだけど、と
また肩をかむ。

ミツはバーテンをしている。
背があまりに高いので、カウンターの中にいても
偉そうすぎて、なんか決まらないんだけどね~といいつつ
もう10年近くなる。
ミツの店は駅からは近いけど、小さな建物の細い隙間の奥を
階段を下りて行く地下の店だ。
そうきくと、おしゃれな隠れ家バーみたいだけど
それが全然違って、さびれた居酒屋みたいな入り口なので
あまり流行ってはいないらしい。

とはいうものの、ミツの店には実は行ったことがない。
ないけど、店の出来事を全部ミツが話してくれるので
ぼくは会ったことのないたくさんの人のことを知っている。
だからミツが何か言うと
さすが加藤さんだね。とか
長井さん、そりゃまずいだろ。とか
ヘぇ、すぎちゃん、頑張ったね~、とか
ああ、カナちゃんたち仲直りしたんだね、とか
相槌をうつことができるくらいだ。

ぼくはドーナツの移動販売をやってる。
自転車に乗って、朝揚げたドーナツをビジネス街で売るのである。
ワゴン車で売ればもっと儲かるかと思うけど
ワゴン車を改造するお金がないし、何か許可とかいるようだったら面倒だし
ひとりでそんなにたくさんのドーナツ揚げられないし、で
自転車販売でいいや、と思ってる。
家の台所で、フライパンを2つ並べてドーナツを揚げるんだけど
大体一日40個くらいかな、作るのは。
それ以上だと自転車に上手く乗せられないし
台所にずっといるのも疲れるから多くて40個。
40個全部売れたら6000円の売り上げになる。
結構売り切れる日が多い。雨の日とかダメだけど。
でも週に5日働いても、それだけじゃ一人暮らしは無理。
それでミツの家にいる。

ミツのところに来る前、ぼくは結婚してた。
いや、正確には今も婚姻状態にあるし子どももいる。
その頃は妻の実家の会社で営業の仕事をしてて、
働き以上のお給料をもらってたけど
その頃のことは、もうあんまり覚えていないな。
いいことも悪いこともあっただろうけど。
ミツは子どものピアノの先生だった。
ぼくより4つ年上で、その頃は30歳くらいだったか、
いろんな家に出張レッスンしにいくのが仕事で、バーテンはまだしていなかった。
ぼくの息子は3歳で、ぼくはまだ早いと思ったけど
妻の意向でピアノを始めることになり
公園ママの口コミでお願いしたのがミツだった。
最初の印象はあんまりない。
年上だとわかってたし、いくらぼくだって
子どものピアノの先生を どうこういう気持ちで見たりしない。
息子はピアノに全く興味がなく、ミツを手こずらせたが
一年目の発表会を見ると、妻は大満足でミツにお礼をすると言い張り
有名フレンチレストランの夕食を予約してきた。
でも当日、息子が熱を出し、キャンセルするのも店に悪いからと
ぼくとミツにふたりで行かせた。
そして、その夜からぼくはミツのところにいるのである。
唐突だったし、子どももいるのにひどい男だと言われる。
全くその通りだなぁと思う。
その夜、何かドラマチックなことがあったわけではなく
ロマンチックな流れになったわけでもなく
レストランからの帰り道、駅までの間にミツの家があって
そこで急にお腹が痛くなっただけのことだった。
トイレを貸してもらうことになり飛び込んだけど
かなり長い間出られなかった。
そりゃ、恥ずかしくて困ったけど仕方ない。
熱い昆布茶を入れてもらって、トイレに何度かこもりながらも、
なんとなく話が弾んで、朝になってしまった。
結婚して以来、朝帰りなどしたことがなかった。
仕事は妻の父親と一緒だから、ぼくの行動は全部把握されてたし
妻の父親は若い頃アメリカに住んでいたことがあるせいか
家庭を何より大事にする人で、家族で夕食を食べられる時間に仕事が終わるよう
いつも上手くスケジュールを組んだ。
ぼくは営業だから、取引先と食事をすることも多かったけど
義父がそんなだから、取引先もこの会社は夜が早いと言うのが暗黙の了解で
あまり遅くまで付き合わされることはなかったのだった。
そこへ、朝帰りである。
朝になり、ミツがさすがに眠そうな顔になってきても
帰らなきゃと思いつつ、あれこれ面倒なことになるな、と思うと
中々立ち上がることができず、
ミツもミツで、ぐずぐずしているぼくに無理に帰れとも言わないので
そのまま何となくミツの家に住み着いてしまったのだった。
もちろん、その後いろいろあったけど
とにかくミツは何も言わず、ぼくはぼくで家族や面倒からできるだけ逃げ回って
何も解決しないまま10年が過ぎた。
自分でも、なんてだらしない男だろうと思う。
だらしないというか、情けない男だな。その結果ひどい男。
ぼくが転がり込んでから、ミツはピアノの先生ができなくなってしまった。
そりゃそうだ、公園ママの口コミはすごいのだ。
それで、ピアノの先生の他に、
ときどきピアノのあるレストランで演奏してたツテで、
家から電車で20分くらいの小さなバーでアルバイトをはじめた。
最初はそこのピアノを弾きながら雑用をしていたのだけど
バーテンダーがやめたのをきっかけに、彼女がずっとカウンターの中で
バーテンをするようになったのだった。
その後、改装の時にピアノは売ってしまって
彼女はもう、家でしかピアノを弾かなくなってしまった。
ぼくは自分がだらしなく居着いたせいで
彼女の人生がどんどん薄暗くなっていくようで申し訳なくてかわいそうで仕方ない。
仕方ないと思いつつ、ドーナツを揚げながら半日だけ働いて
後は本を読んだりしてるだけの生活を変えることもできないのだった。

ミツと二人きりの時、彼女は随分甘えん坊になる。
はたから見たら見苦しい眺めだろうなぁと思う。
40歳過ぎの女と、少し若い甲斐性のない男が、
手入れされてない雑草ぼうぼうの庭のある古い平屋で
ミッちゃん、タァちゃんと呼び合って、
毎日窓辺のソファに並んで腰掛け、見つめながらおしゃべりしたり
何となく手を握り合ったりしてるのだ。
ミツがぼくのどこを気にいったのかわからないけど 、
なぜかぼくみたいなダメ男は案外モテて、結婚する前もよく告白とかされたものだ。
ダメ男ではあるけど、二股かけたり、浮気したりしたことはない。
いや、ミツのことが、妻からみたら浮気ということになるのだろうか。
そう思うと、またミツがかわいそうになる。
ぼくの自分勝手な思い込みじゃないと思うけど
だからといってミツが不幸とも思えない。
ミツは朝方仕事から戻るとお化粧を落としながら
店での話を全部してくれる。
ぼくは相づちをうちながら、
彼女の話が終わるまでドーナツの準備をしながら聞いてる。
そして揚げたての一番おいしそうなのを
丁寧に入れたブラックコーヒーと一緒にミツにあげる。
すると、タァちゃんのドーナツ、毎朝一番に揚げたてを食べられるなんて
タァちゃんのドーナツのファンの人に申し訳ないわ、と必ず言う。
ぼくのドーナツには確かに常連さんがいるけど、ファンと言う程のものでもない。
雨が降ると、まあいいか、となるのか買いにきてくれないし
自分で言うのもなんだけど、ぼくのドーナツは特別ではない。
普通の、普通程度においしいドーナツで
その辺のチェーン店より特においしいとも思えない程度だ。
何しろ研究とか探求とかが苦手なぼくだから
これで売れるなら、これでいいや、と思ってしまい
普通のドーナツの域から決して出ないのだ。

・・・・・・・・・・・・・
続く
(続きは多分来週くらい。でも面白いのかどうかわかりません・・・)

昔の電話

2010-03-27 | 作り話
用事なくてもいつでも電話してこいよ、と
用があって電話するたび言ってくれたのに、
用のない電話をそのひとにかけたことは
一度もなかった。
一日24時間ずっと、
その人のことしか考えられなかったのに。
いや、その人のことしか考えられなかったから、
いつ電話していいのかわからなかったのだ。

仕方なく
その人のいない時間にわざと電話した。
携帯電話のない時代、
無機質な呼び出し音から
その人の気配をかぎ取ろうとした。
無機質な呼び出し音に安心したのは
自分の気持ちを誰にも悟られる心配がないから。
誰にも悟られず、でも
その人の番号につながっていられるから。

どうでもいい相手と本当に大事な相手にだけは、
やさしい人で
わたしは特別大事にされてるのをわかってたのに、
知らないフリしかできなかった。
どんなに大事にされてても、
絶対わたしの気持ちには足りないって知ってたから。

家を飛び出したとき
うちにきてもいいよって言ってくれたけど
少し困っているのがわかっていたので
その言葉がすがりたいほどうれしかったのに
大丈夫、行くとこあるから、と断った。

多分どんな無理を言っても
それで困ったとしても
きっと何でもきいてくれただろうと今はわかる。
その頃は、わかっていたのに
信じることができなかった。
その人を、ではなく
その人に大事にされる自分を。

徹夜明けの朝
冴えないカフェバーで
疲れきって
言葉少なく食べるブランチでさえ
人生最高の瞬間の一つだったけど
同時に
最悪の瞬間でもあった。
その人が同じように感じていないと知っていたから。

若くて、
人生の終わりは何億光年も先で
帰り道の心配などしたことがないそのひとに
どこまでもついて行くことはできないとわかってて
少しずつ離れるようになったけど

でも、近くの町に暮らしていれば
今も同じ空気を吸ってるのだと思い
その人の吐いた息が
すぐ目の前にも漂っているように感じ、

パリに住めばパリの空も同じ空で
やっぱりその人の空と繋がっていると思い、
その人に触れた空気の何億分かの一くらいは
リュクサンブール公園の木陰の風に混じっているように感じ、

東南アジアで過ごしていた時は
毎夕のように降るスコールの音に
その人の部屋で聞いた
その人のシャワーの水音を重ね、

学生運動激しいソウルにいれば
肌に目に、ぴりぴり痛く、涙の止まらない催涙ガスの中にも
その人のタバコの匂いを思い出すものがあるかもしれないと
走り逃げる学生の中で一瞬立ち止まってしまうのだった。

その人の妹になりたかった、母親になりたかった、娘になりたかった、
犬になりたかった、シャツになりたかった、傘になりたかった。
なんでもいいから、ずっとその人といられるものになりたかった。
あまりに好きで、何を求めていいかわからなかったので
とにかく、当たり前に、その人のそばにいられるものになりたかった。
それ以上、何を求めていいかわからないほど
好きでした。

・・・・・・・・・
フィクションというか、
覚え書きのようなものです。

「作り話」カテゴリーのこと

2010-03-26 | 作り話
このブログの右側
カレンダーと新着記事の下にカテゴリーって欄がある。
その、一番下にあるのが「作り話」。
3つしか書いてないけど、ここは
要はフィクションのお話の場所です。

ドーナツの話を書いた時に
久しぶりにいくらでも書けそうに思って
「作り話」のカテゴリーを作ったのに
その後、ぷっつり(笑)。

モノを書くというのも
習慣の部分があって
ブログの、毎日の小さい感想のようなものは
この数年で、いくらでも書けることがわかったけど
フィクションの小説や散文や詩は
素人には、どんどんは書けないものですね。

文章はしつこく推敲する方です。
ブログは書きっぱなしだけど
創作のときは、すごくしつこい。
妥協の塊のような性格なので、すぐ、ま、いいや、って思うくせに
見るたびに、ここの文章、ちょっと
どうにかならないかな、と思うのは、ずっと続きます。
推敲って難しい。
きれいになりすぎると、違うなぁと思って
わざとぎこちない文章を残したり
わざと違和感のある助詞を使ったりすることもある。

子どもの頃小説家になりたかったけど
ならずによかった、と思います。
ライターのアルバイトをしたことがあって
今思うと、あれが一番自分に向いてる仕事だったかもという気はする。
その頃は小説が書きたくて、ライターの仕事に興味もないし
取材とか外で人とたくさん関わるのが苦手で
続けなかったんだけど。

最近は絵も描いてないし、楽器もあまり弾いてない。
何かを伝えたいという気持ちが薄くなっちゃって
淡々と静かに生きられたらそれでいい気分なんだけど
逆にそれくらい静かな気持ちの方が
創作にはいいかもしれないと思い
また文章を書こうか、という気に
ちょっとなっています。

ツイッターもしてるのですが
フォローしてる人の中に恋してる女の子がいて
その子のリアルタイムの呟きを読むと
切なくなって
ああ、こういうことを書きたいなぁと思うのです。

とはいえ、お店のことや子どものことで
あたふたバタバタの毎日で
やっぱり何も書けないままかも。

10月1日午後3時

2008-10-03 | 作り話
午後3時と言えば
条件反射的におやつの時間
と思う。
おやつ食べなくても。

でも
15時と言うと
お昼から少したった頃、とか
午後の真ん中辺、とか
夕方にはまだ早い、とか思う。

そんな午後3時の15時に、
自転車に乗っていると、
半年前から閉店中の
7階建てスーパーの向こうの空が、
暗い、
の一歩手前くらいの
深い深い青さで、
反対側の空と何度も比べてしまう。
地平線近くの空は
強い風に飛ばされた雲が
すかすかと溜まっていて
青も浅い軽い色で
同じ3時の同じ空なのに
何度も何度も比べて見てしまう。

ああ、3時だ、と思い
ドーナツを買って帰る。



すみません、写真は
違う日違う時間違う場所のものです・・・。

続ドーナツシリーズ(またまた長文です)

2008-04-22 | 作り話
ベッドの中までチョコレートの匂いだろうか、と
最初に会った時、思った。
極上のカカオ、
ロシアの秘密。


その頃、
仕事は面白くないわけじゃなかったけど
何年も忘れられない人がいて
オフィスのコンピュータや インクの匂いは その人を思い出させるので、
仕事の後、 何か別のことをしないでは、家に帰れなかった。

ソムリエの講座には半年通ったけど 資格試験を受ける前にやめてしまった。
ワインの香りが、その人を思い出させたから。
カベルネもメルローもシラーズも シャルドネもピノノワールもシャブリも
どんなワインも
その人の姿を いろんなバージョンで思い出させるばかりだったから。

フラメンコ教室には1年通った。
踊れば踊るほど 、たくさんの夜がよみがえり
そのどの夜にも、その人の影がいたのだった。
そして発表会があるというので、 その前にやめてしまった。
その人でいっぱいの
わたしの血管の色を、匂いを、
昼間の公民館のホールで 家族連れの観客にさらすわけにはいかなかったから。

フラワーアレンジのクラスもとってみた。
どんな可憐な花も
オキーフの絵のような妖艶さで迫ってきて、
その香りが やっぱり、その人を思い出させるので
体験クラスだけで逃げ出してしまった。
その人とどんな花も 一緒に見た記憶はないのに 、
春、風に浮き上がるたんぽぽの綿毛でさえ 頼りなげな匂いを感じ、
そして、その人を思い出す。

ネイルアートの教室はもっとひどかった。
二人ペアで、相手の爪を塗る時、塗られたネールに嫉妬してしまうのだ。
その色に、その匂いに、
今、その人と一緒にいるかもしれない 知らない女性を感じて 落ち着かなくなり
結局、3回しか通えなかった。

中国茶の教室も同じことだった。
その人と中国茶を飲んだことなど一度もないのに
煙ったような、時には花のような、お茶の香りが立ち上がるたびに
その人のうなじや肩甲骨を思い出して 、
そこにくちびるを這わせたときに返ってきた 自分の息を思い出した。
しんとした瞑想的で清潔な雰囲気の教室で
一人耳を赤く染めているわけにもいかず
あわててお茶菓子を口に入れると
それは干した杏で
その湿って柔らかい感触が、わたしの耳をもっと赤くさせてしまうのだった。

いろんなお稽古が全部無駄だとわかると
習い事ではなく夜のアルバイトをしてみることにした。
といっても、お酒を飲むようなところではなく
明るいチェーンのドーナツ屋である。
ドーナツの甘い匂いの中で、はじめて
その人のことを苦しくなく思い出すことができそうだった。
夜のお客は若い子ばかりで、みんな馬鹿に見えた。
それも、ちょっとほっとすることだった。

このドーナツ屋の並びには、老舗のチョコレート専門店があった。
2月14日を中心に、日本に大量に入ってくる外国の高級チョコレートではなく
神戸では知らない人のない、戦後から続くチョコレート屋である。
元々、外国人による家族経営で、初代オーナーは亡命ロシア人だったということで
パルナスの歌を思い出すような、
ロシアのメランコリックな空気漂うチョコレートの専門店だ。
舶来という言葉がよく似合っていた。

ある日、そのチョコレート専門店でチョコレートイベントの貼り紙があった。
セミナーと書いてあるが専門的な講義ではなく、
そこの3代目だか4代目だかが、自社の宣伝のためにするイベントらしく
無料で試食とおみやげつき。
昼間の開催だったけど、丁度、前の週に会社の泊まり合宿があって
その振り替え休みが取れる日だったので 、申し込んだ。

セミナーは、西宮の駅から10分くらい歩いた
川沿いにある料理教室の大きな部屋で開催された。
ゴールデンウィーク直後の平日午後は、 熱いほどの陽気で、
レースのカーテンを通して 教室中明るく白っぽかった。
参加者は全員女性で 、家事手伝いの若い子や専業主婦、
ほんの少し女子大生のような子もいた。

教室は最初から甘いチョコレートの匂いが漂っていたけれど
講師役の40代くらいの男性が、わたしの後ろから現れ、教室を横切った時
教室のチョコレートとは別の 、甘い風が起こった。
しっとりと冷たく湿った、深い深い森を思い浮かべるような
落ち着いた甘い風。
手でつかめそうなくらい、強い印象なのに
目を見開くと、気配だけ残して消えてしまいそうな、
甘い風。

髪は落ち着いたグレーで、目も同じ色。
二分の一、四分の一だろうか、白く乾いた肌、厚みのある体の後ろに
日本ではない、涼やかな大陸の風景が見える。
何より、日本人がチョコレートのお風呂に入ってもこうはならないと思われる
深い深い緑の甘さがあった。

わたしは、彼の真っ白なシャツが、
これほど甘い香りにも染まらず、清潔に白いことに驚き
そして思ったのだ。

ベッドの中までチョコレートの匂いだろうか。
爪の中まで、髪の1本1本まで
チョコレートの匂いだろうか。
まつげのひとゆれも
片頬だけの微笑みも
甘い匂いをまき散らすのだろうか。
そしてシーツのしわのひとつひとつに
チョコレートの香りの、深く冷たい森が潜んでいるのだろうか。

チョコレートにまつわる簡単な話が終わって
出されたのはチョコレートフォンデュだった。
6人でワンテーブルの各テーブルにひとつずつ
フォンデュチョコレートのはいった大きなル・クルーゼの鍋が置かれ
そのまわりに一口大に切って、 くしに刺した果物やケーキが並べられた。
アルバイト先で毎日イヤになるほど見て、食べてもいる ドーナツも、
一口大になってくしに刺さっていると、まるでドーナツらしくなかった。
その、もとは丸く輪っかだったドーナツのかけらを
たっぷりのチョコレートにつけて食べると
それは、ますますドーナツらしくなくなって
わたしは何だか愉快になった。
愉快になって、
耳を赤く染めることなしに
チョコレートの匂いの深い森を潜ませたベッドを夢想した。

そして
匂いの記憶のない人を
あらゆる匂いで思い出し続けた日々が
ようやく終わりそうだと気づいたのだった。

ザ・ドーナツ・ローテーション(長いです・・・)

2008-04-15 | 作り話
先週、雨の中、友達と放課後のだらだらおしゃべりのような
ゆるくて楽しいおしゃべりをしているとき
ドーナツと揚げ油の話になって、
友達は何かがおりてきたらしく(笑) その後彼女が一気にお話を書いたのです。
かわいくてきゅんとして元気が出る、女の子のための素敵なお話でした。

で続きを書けとの指令があって 、でも続きは難しいので別バージョンで書きました。
切ない恋愛ものにするはずが、全然違う地味な話になっちゃったけど。
かなり長いので、コーヒーとドーナツでも用意してから読んでね。
フィクションです。

・・・・・・

猫舌なのでコーヒーはいつもカフェオレなんだけど、ドーナツのときだけはブラックがほしくなる。
ツインピークスのせいじゃないけど、ってのは嘘で、やっぱりツインピークスで刷り込まれたのかも。
あのドラマは衝撃だった。
今みたいに海外ドラマが普通に見られる時代じゃなくてケータイもインターネットもまだって頃だった。

お父さんが映画好きで、いろんなビデオが家にあったので、デビッド・リンチという監督の名前は知ってたけど
親と一緒に見る雰囲気じゃなさそうだから、夜中に放送してたツインピークスも最初の方は見てなかった。
でも第1話が放映された頃にお父さんの病気が見つかって、すぐ入院しちゃって、お母さんも忙しくなったから
3話くらいからひとりで見られるようになったんだっけ。

じりじりしながら続きを待ってたなぁ。
お話とは別に、しょちゅう出て来るチェリーパイやドーナツに
夜中の食欲を刺激されて困ったのは、わたしだけじゃないはず。
特にドーナツ。アメリカの田舎の、きっと大味で甘いんだろうドーナツ。
それが、やっぱり大雑把なマグカップに入ったブラックコーヒーと一緒にうつると
それはそれは強力な魅惑の食べ物セットに見えるわけですよ。
お父さんもお母さんもいなくて、弟はすっかり眠りこけてる一人の夜中に
ううう、ドーナツドーナツドーナツってなっても、暗くて遅くて、買いに行けないし、思いはつのるばかり。
昼間は忘れてるんだけどね。

お父さんは入院中、お母さんも仕事と病院と忙しいから
弟と自分のご飯はわたしが作らなきゃいけなくなったけど、
何買ってどう作っていいかわからないから、お母さんが宅配のご飯セットみたいなの頼んだ。
半分調理してある材料が毎日届いて、説明書通りに作ったら、普通の夕ご飯ができるようになってるヤツ。
お母さんのお手伝いを時々してたから難しくはなかったし
友達に、毎日作るの大変だよ、なんてため息まじりに言うのがちょっと得意だったから、
部活で疲れてても、苦じゃなかったなぁ。
弟もわたしも好き嫌いが多かったけどお母さんの料理と味もメニューも違うのが面白くて、割とちゃんと食べたと思う。
嫌いな魚も食べるようになった。
特に好きだったのは鮭の南蛮漬け。
軽く粉振って揚げた揚げたて鮭を酢をきかせた液にすぐつけると、じゅうっと音がするのが面白くて
弟を呼んで、すごいね、揚げたては熱いんだねぇなんて言いながら、じゅうじゅう音を聞いた。

でも大きな問題がひとつだけあった。
うちは、揚げ油は新しい油を足しながら何度も使うんだけど、お魚揚げちゃうと、油がお魚の匂いになっちゃって
野菜もお肉も揚げられなくなるので、ちゃんと順番があるのである。
油をすっかり新しくしたときには、まずドーナツを揚げるのである。
お母さんがいたときは昼におやつに揚げてくれて、その夜は野菜の天ぷらに決まってた。かき揚げとかね。
一番好きなのはお芋の天ぷらだった。大体の子どもがそうじゃないかな。
ほんのりドーナツの甘い香りがついてもそれはそれでおいしいんだよね。

次の日とは限らないけど、油が悪くなる前、数日のうちに、コロッケとかとんかつとかが出る。

それから、また数日のうちにお魚のフライやカツ。

お母さんのご飯はおいしかったけど、今から思うとレパートリーは結構決まってた。
でも子どもだったから何の疑問もなく、ドーナツの日は天ぷら、天ぷらの後は串カツとかで、
最後は魚って言うローテーションを当たり前と思ってたんだな。

それが、
このローテーションを崩すのである、宅配の献立は。
夕方家に帰ってから、その日の献立を見て、お魚揚げなきゃいけなくて、
油新しいのにぃ、と思ってもどうにもならない。
あわててドーナツの種作ったとしても
ドーナツの種は柔らかいので、冷蔵庫で休ませないとドーナツ型に抜けないし
弟はお腹すいたってうるさいし、ああ、もういいやってお魚揚げちゃうわけよ。
ドーナツなんて型で抜かなくても、柔らかい生地のままスプーンですくって揚げてもよかったのに
応用の利かない子どもだったから、忸怩たる思いで、新しい油でキスのフライ揚げたりしてたわけです。

そして、
夜中にどんなにツインピークスのドーナツセットの誘惑が強くても
この、うちのローテーションを平気で崩す宅配献立に支配されてたために
ドーナツを作る訳にいかなかったのであーる。
あらかじめ考えて用意することもできたはずだけど
ツインピークス的陰影の全くない中学生の生活はどたばたと忙しいので
昼間はそんなことすっかり忘れているのである。

ツインピークスの放映が終わると同時に、お父さんが退院した。
ツインピークスの終わり方は意味がよくわからなくて
いや、最初から最後までわからないことだらけで、こんなにもやもやわからないのに
こんなに引き込まれるとは一体これは何なんだ的な感慨と、じんわりと不気味でこわい気持ちだけ残ったけど
お父さんが退院後もしばらく家にいたので、わたしと弟は何となくうれしくて機嫌良く過ごした。
わたしは、お母さんが作ったことのない料理をいろいろ作れるようになったのが自慢で
お母さんの料理にあれこれ注文を付けたりした。
生意気な娘に料理の不満を言われても、かしこいお母さんは、うまくわたしをおだてて
自分が家にいるときでもわたしに料理をさせることが増えた。
宅配の献立をやめたあとも、わからないことはお母さんに聞けるので
宅配献立で作ったメニューやお父さんの好物など作りたいものをはりきって作った。
揚げ物のローテーションも、元通りに守れるようになって、ドーナツも作るようになった。
そして、ドーナツのときは魅惑のドーナツセットということで、ブラックコーヒーを飲むようになった。
ドーナツで甘くなった口を、コーヒーでちょっと苦くして、またドーナツを食べる。
コーヒー飲むと眠れなくなるよってお母さんは言うけど、朝早いし、部活で疲れてたりするし、
どんなにコーヒー飲んでも夜はちゃんと眠くなってぐっすり眠れたので気にしなかったけど
眠れないとかより、ブラックコーヒーが苦くておいしくなくていつも半分残していた。

特に、自分でいれるブラックのネスカフェは、おいしくなかった。
でも、コーヒーメーカーで一人分だけコーヒー入れるのが面倒くさいから
いつも、寝室で休んでいたお父さんの分と二人分作った。
ぴかぴかの一年生の弟はコーヒーは飲めないし、お母さんは紅茶派だったし。

お父さんの部屋にドーナツとコーヒーを持って行くときは、いつも弟が
ドはドーナツのド♬って歌いながらついてきたなぁ。

何回も何回も、そうやってドーナツ食べた気がするけど、よく考えてみると2、3回だったかもしれない。
ローテーションがあるからね、揚げ物には。

退院して2ヶ月くらい家で休んで、すっかり元気になったお父さんは、すぐに、いなくなってしまったから。

最初、転勤で単身赴任になったんだってお母さんが言ってたけど、嘘だった。
そういう嘘ってすぐばれるのに、何でそういうこと言うかな。
弟はともかく、わたしはデビッド・リンチ夜中に見てる年だったんだよ。
デビッド・リンチ見てても、お父さんとお母さんの関係がおかしくなってることに
気がつかないくらいの子どもではあったけど。
いや、気づいてたのかもしれない。
弟とドはドーナツのド、なんて歌いながら、本当はちょっとわかってたのかもしれない。

お母さんはどんなことでお父さんを思い出すのかな。
わたしは、お父さんと一緒に食べたドーナツとブラックコーヒーで思い出すのは普通かもしれないけど、
ツインピークスDVD発売、とか、再放送決定、とかでも思い出しちゃう。
お父さんのいないときに一人で夜中に見てたのにね。
そして、ドーナツからお魚に至る揚げ物ローテーションの最中も、やっぱり思い出す。
弟とじゅうじゅう音を楽しんだ、鮭の南蛮漬けでも思い出す。
ドレミの歌でも思い出す。

思い出すだけで寂しいとかあんまり思わなかったし、その後、お父さんとは一度も会ってないから
お父さんの顔も、写真の中のお父さんでしか思い出せないくらいだけど。

ツインピークスから15年以上たって、わたしはもう、生活に陰影のないどたばた忙しい中学生じゃない。
コーヒーの味はわかるようになったし、手早くドーナツも作れる。
ドーナツで男は釣れないけど、鮭の南蛮漬けでは、けっこう釣れるってわかる程度には大人になった。

ツインピークスは今みてもやっぱりわからないけど、
ドーナツとブラックコーヒーの魅惑の組み合わせと
揚げ物ローテーションは不滅だな。

・・・・・・・

長文読んでくれてありがとう。お疲れさまでした。