こんな時間(夜中)に米を炊いてはいかんのですが、
猫が今日はいつも以上に邪魔をしてパソコンが開けられないので、
買ったばかりの小さい鍋で米を炊いてみる。一合入れてみたけど、多かった。
この鍋だと半合ちょっとくらいまでだな。
5.5号サイズと書いてあったけど浅い形なので、お水は300ccでほぼ満タン。
400で蓋からあふれそう。ラーメンなら、割って半分サイズかな。
ダイエットに良いかもしれませんねぇ。
炊飯器がないので、普段はフィスラーの鍋で炊いてて、
それは小型で高さがあって炊き込みご飯にもいいし、乱暴に扱っても割れないし
温度差でも割れないし、重宝してるんですけど、
小さい鍋で湯豆腐の晩酌などをしたくなったのです。
土鍋で熱いと猫もさわれないはずだし。
(熱々のマグカップや湯気もくもくの熱い茶碗には近寄らないけど、
同じものでも冷めたら寄って来るのよ。
熱さを保つ土鍋なら、少しはゆっくり食べられるかなぁと。)
せっかくならご飯も美味しくて炊ける良い土鍋の小さいやつがほしかったけど
気にいるのがなくて、とりあえず安くてジャマにならないやつを買ったのでした。
277円。(安物買いを自慢するのは関西人の習性です。)
秋に作ってみた懐かしの東南アジアクレイポットライスもちゃんと土鍋でやりたいな。
煲仔飯というか、東南アジアのクレイポットライスね。近いうちにそれもやろうと思う。
お米を研ぎながら思い出したんだけど、
前夜、お風呂で読んでた本に、料理って何て贅沢なことだろうと書いてあって、
ほんとだなぁと、しみじみ思う。
毎日毎日休まずに量やバランスを考えて作り続けないといけない食事ではなく、
余裕のあるときに好きなものだけを気ままに作るのは本当に楽しいし、
そういうときはお米を研ぐ指先の感覚から楽しめる。
サラサラとした米が水に濡れて、触るとぎゅっという感触になり、
指先や手のひらで研ぐときの濡れたつぶつぶの感触。とぎ汁の乳白色。
鍋に入れて水を加えて、吸水させる間の、少し乳白色の残る水に透ける米の粒。
揺れる水面。
きれいなぁ楽しいなぁ、ああこれは贅沢な楽しみだなぁ、と思う。
お出汁を取るのに、昆布を水につける、乾いた昆布の匂い。表面の白いさらさら。
水を吸って柔らかくなった昆布と、水に移るまだ冷たくほのかな匂い。
火をつけてぷつぷつとついてくる気泡。立ち上ってくる昆布の香り。
沸く前に取り出して火を止めて鰹節を入れるときの、
昆布に比べて格段に派手な鰹の香りだちにはっとしながら。
お湯の中でひらひら踊る鰹節を見る。ああ、手も目も鼻も楽しい。
ただ、こんなことが五感で楽しく感じられ、料理って贅沢な遊びだなぁと思えるのは、
時間や体力や気持ちに余裕があるときだけなんですよね。
疲れているときの義務だとわたしには楽しめない。楽しめなかった。
おでんの大根の面取りとか、かなり好きなんだけど、
忙しいときはそんな余裕なかったもんな。
残りの人生はもうずっと、自分勝手でわがままな余裕のある料理人でいよう。
猫が今日はいつも以上に邪魔をしてパソコンが開けられないので、
買ったばかりの小さい鍋で米を炊いてみる。一合入れてみたけど、多かった。
この鍋だと半合ちょっとくらいまでだな。
5.5号サイズと書いてあったけど浅い形なので、お水は300ccでほぼ満タン。
400で蓋からあふれそう。ラーメンなら、割って半分サイズかな。
ダイエットに良いかもしれませんねぇ。
炊飯器がないので、普段はフィスラーの鍋で炊いてて、
それは小型で高さがあって炊き込みご飯にもいいし、乱暴に扱っても割れないし
温度差でも割れないし、重宝してるんですけど、
小さい鍋で湯豆腐の晩酌などをしたくなったのです。
土鍋で熱いと猫もさわれないはずだし。
(熱々のマグカップや湯気もくもくの熱い茶碗には近寄らないけど、
同じものでも冷めたら寄って来るのよ。
熱さを保つ土鍋なら、少しはゆっくり食べられるかなぁと。)
せっかくならご飯も美味しくて炊ける良い土鍋の小さいやつがほしかったけど
気にいるのがなくて、とりあえず安くてジャマにならないやつを買ったのでした。
277円。(安物買いを自慢するのは関西人の習性です。)
秋に作ってみた懐かしの東南アジアクレイポットライスもちゃんと土鍋でやりたいな。
煲仔飯というか、東南アジアのクレイポットライスね。近いうちにそれもやろうと思う。
お米を研ぎながら思い出したんだけど、
前夜、お風呂で読んでた本に、料理って何て贅沢なことだろうと書いてあって、
ほんとだなぁと、しみじみ思う。
毎日毎日休まずに量やバランスを考えて作り続けないといけない食事ではなく、
余裕のあるときに好きなものだけを気ままに作るのは本当に楽しいし、
そういうときはお米を研ぐ指先の感覚から楽しめる。
サラサラとした米が水に濡れて、触るとぎゅっという感触になり、
指先や手のひらで研ぐときの濡れたつぶつぶの感触。とぎ汁の乳白色。
鍋に入れて水を加えて、吸水させる間の、少し乳白色の残る水に透ける米の粒。
揺れる水面。
きれいなぁ楽しいなぁ、ああこれは贅沢な楽しみだなぁ、と思う。
お出汁を取るのに、昆布を水につける、乾いた昆布の匂い。表面の白いさらさら。
水を吸って柔らかくなった昆布と、水に移るまだ冷たくほのかな匂い。
火をつけてぷつぷつとついてくる気泡。立ち上ってくる昆布の香り。
沸く前に取り出して火を止めて鰹節を入れるときの、
昆布に比べて格段に派手な鰹の香りだちにはっとしながら。
お湯の中でひらひら踊る鰹節を見る。ああ、手も目も鼻も楽しい。
ただ、こんなことが五感で楽しく感じられ、料理って贅沢な遊びだなぁと思えるのは、
時間や体力や気持ちに余裕があるときだけなんですよね。
疲れているときの義務だとわたしには楽しめない。楽しめなかった。
おでんの大根の面取りとか、かなり好きなんだけど、
忙しいときはそんな余裕なかったもんな。
残りの人生はもうずっと、自分勝手でわがままな余裕のある料理人でいよう。