散歩者goo 

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ネズミ・イタチ・ネコの仕事場・遊び場・休憩所130906

2013年09月06日 23時45分24秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今年の夏の前に、便所の屋根を修理した。(昨日記130618  130716)
豪雨でも降ると大変なことになると思ったからだ。
先日の豪雨でその予想は的中し、少なくとも修理したところは漏らなかった。

以前にも書いたように、雨漏りは、便所の屋根にネコやネズミやイタチが、出入り口を作ったり、獲物を追いかけたり、暇つぶしに隙間を引っかいて広げたりするのが原因だ。
無論それ以前に、建物の老朽化が第一の原因であることは言うまでもない。

その便所の屋根には、夏になるとナンテンの葉を屋根から裏路地に伸ばし、花が咲きその後赤い実がなるが、秋から冬にかけては、ヒヨドリや冬鳥が実を食べにやってくる。

ブドウも、害虫にやられなければ、うっそうと屋根一杯に隙間無く葉を茂らせ、沢山の実を付ける。
ブドウの実がなると、その実を目当てにネズミか来て、我が物顔に塀やブドウの幹を走り回り、長屋の天井も走り回る。
そのうえ毎年、ブドウが豊富に実ると、ブドウの実を食べたネズミが元気になり、繁殖し数が増した。

その結果、寝ていると、夜中に天井裏で運動会をしてチューチューとなきながら走り回るので困ったことが、何度もあった。
たまにイタチもネズミを狙って天井を走り回ることがあった。
天井裏を走る音が全く違う。
イタチが来ると、しばらくは、天井でのネズミの運動会は収まった。

便所の屋根の上に伸びたバラの幹は、南天やブドウの葉の茂みを付きぬけて空に伸び、四季咲きのため春夏秋冬、時期が来ると、天空で大きなピンク色の花を付ける。

夏は、前述のように放置すると植物の葉が茂った便所の屋根は、体の小さいネズミやイタチにとっては、涼しいの憩いの場となる。
更に、体の大きい野良ネコは、夏は草木がジャングルのように生い茂る場所には入れないようだが、秋から冬になり葉が落ちると、日向ぼっこを楽しみに我が家の便所の屋根に上る。

出入り自由で餌もくれる隣家への行き帰りに、我が家の便所の屋根で日向ぼっこを楽しむようだ。

ネコはかわいいし好きな動物だが、便所の屋根のネコの休憩所を放置すると、暇つぶしに瓦を動かして雨漏りの原因になったり、糞尿を垂れ流したり、ノミやダニを届けてくれるので、放置できないのだ。
現に、ネコの通り道やたまり場では、瓦がずれたり、雨漏り防止用のシートがズタズタに破れたり、柱が削られたりで、大きな被害を蒙っている。
そのため、秋から冬になると、いつも便所の屋根をチェックし、ねこが日向ぼっこをしているのを見つけ次第、棒で追っ払ったり、水をかけたりするのが私の日課になっている。

裏庭には、冬になるとウグイス、メジロ、シジュウカラ、ジョウビタキ、ツグミ、シロハラ、が毎年来るし、まれにムシクイ類が来るが、ネコがいると、いつも飛んでいるスズメやヒヨドリでさえ来なくなる。

ネコのみならず、ネズミ・イタチ・は通路を確保するため、瓦等の隙間があれば、隙間を広げ、餌の獲得のため侵入口を作るらしい。
事実、数年前、便所の屋根裏をチェクしたとき、4箇所ほどネズミが便所の天井板をかじって丸く穴を開けた通路が、上に向かってあいていて、そのあたりには雨漏りの痕跡があった。
こうしたことが、便所の雨漏りの直接原因となっていたようだ。
その意味で、私にとっては、ネコも、ネズミも、イタチも敵である。

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昨日記130905木(ジム21分間3km 読書)

2013年09月06日 12時36分58秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴0mm 27.9  20.2℃ 73% 1.9m北北東

昨日は、ここ数日の雨で食料品を買出しに行かなかったため、食材が無くなり、あわてて買出しに行ったり、冷凍ご飯もなくなったため、ご飯を炊いて十数食分に小分けにして冷凍したりと、家事に時間をとられる日であった。

そんなときに、朝のワイドショーを見て感じたことを、ブログにしているうちに、話がいろいろ加わって2000字近いダラダラと長い文章を、作ってしまった。

いつものように、午前中に昨日記以外のブログを書くと、その時間の分だけ午後の予定がずれ込むことになる。
昨日は、お昼ご飯は何とか昼過ぎに食べたが、その時に冷凍ご飯がなくなっていることに気付き、食事前に炊飯作業をしてから昼食をとった。
食事後、昨日記を書き、ご飯が炊き上がったことは知っていたが、昨日記を書いてから、十数食分に計量盛付して冷凍した。
一連の作業を終えると、とりあえず気になっていた食材の買出しのため、3つのスーパーを自転車で往復した。
最近は、安売りをうたい文句にしていた1kmほど離れたスーパーの生鮮食料品の多くの価格が上がったので、以前はそこをメインに多くの野菜や肉や卵を買っていたが、最近はそのスーパーで買う品数は大きく減った。
そのスーパーの近くに高級タワーマンションが出来たので、安くなくても買ってくれるようになったのだろう。
とにかく、限られた年金収入で最大限安い食材を探し出すことで、少しでもより良い食生活をしようと日々努力している。

一昨日は、ランニングで予想以上に体力が低下していることに気づかされ、これから数ヶ月間は、体力向上させようと、これから出来る限りジムにいくことを決意した。
そういうわけで、食材買出し後はとにかくジムに行こうと思っていた。

ジムでは、準備運動を終えると既にトレッドミルは満員になっていた。
仕方なく筋トレをやっている間に、トレッドミルが空いたので、走った。
昨日は、歯を食いしばって、時速8―9kmで21分余り約3km走った。
足に疲れを感じたし、息も上がった。
幸い今日は、疲労感は無いがジムには行かない。

ジムから帰宅後、するべき食事準備が出来ていない。
しかし今読んでいる本が面白いので読書をするか炊事をするか迷ったが、TVの思い白い番組も無いので、カフェに行って読書することにした。

本を読んでいて、著者の仏教に関する理解が低いのに気付いた。
ウエーバーの研究姿勢と比べると、この本の著者は多くの学者の文献を読みこなし評価批判しつつ、名著といわれ、多くの文献に引用されるこの本を書いたが、個々の事例に対しての考察と実証性が、ウエーバーほど深くないのかもしれないと感じた。(未だ読み通してないのでこの感想は早計かもしれない。)

この本では、多くの学者の名前を挙げ評価していたが、私は多少名前は知っていても、著作を読んだことの無い学者が多く、全く知らない学者の名前がほとんどだ。
逆に言うと、個々に名前の挙がった学者の著作もしくはダイジェストぐらいは、教養として知っておくべきことなのだろうと思った。

もう一つ興味をひいたのは、文化文明論だ。
歴史学や考古学や文化人類学では、文化文明についてよく議論される。
著者の指摘では、ドイツの学者を除き、文化と文明は同一もしくは差が無いという学説で一致しているという。
私が考古学に係わり始めたころ、講師からこの問題に関し詳しい解説があってよく覚えている。
考古学関係の本では、この問題に触れられていることが多く、日本の学者はそういう意味ではドイツ系に近いのかもしれない。

この問題に関して、ある哲学的事実に気付いた。
それらは、美術・芸術にも関連する問題で、今までもその考えの断片を述べている。
フーコー等の学問のカテゴリーの問題や構造関連の言説にも関連する話だが、また別の機会に書いてみたい。

この本は、未だ始めのほうしか読んでいないので、これからの学説の展開が楽しみだ。

帰宅後、食事の準備もして居らす、食事は夜10時過ぎになるし、寝る直前まで食事作りの作業にも終われ、今日にもその作業は持ち越され、これを書いた後も作業をする予定だ。

それでも昨日の読書は収穫だったし、眠気も催さず学説を批判的に読めたのが良かった。
無論この本が名著といわれるだけあって、多くの指摘が納得の行くものであり、刺激を受ける。

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