散歩者goo 

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昨日記130920(金)(園芸 プール 古代の朝鮮と倭 )

2013年09月21日 12時00分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:快晴―mm 31.4  20.6℃ 50% 1.9m西南西

昨日は、早い時間から順調に昨日記を書いていた。
一昨日は目立ったこともなく、昨日記に書く内容が非常に乏しかったので、すぐに終わると信じていた。
ところが、書き出して園芸のことや読書のことを書いているうち、調子に乗ってどんどん書きだした。
特に読書に関しては、読んでいる事柄の倭と古代朝鮮のことの概要に触れたため、丸でテーマを決めたブログになってしまった。
結局2100字余りのブログになってしまった。
当然、調べたりする時間も入れて2時間半余りかかってしまい後の作業に支障が出た。

昨日は肉を切らしていて、複数のスーパーに買出しに出たりして更に時間をとられた。
夕方から、夜は面白そうなTVがないので、天満橋のカフェに行き、2時間余り読書した。

古代朝鮮の墳墓関係の本を再読したが、様々な弥生から古墳時代にかけての倭の状況や、古代朝鮮(新石器時代―初期鉄器時代・原三国時代・三国時代)の状況の、今まで読んだ関係文献の断片的知識が頭の中で渦巻いていた。

昨日の、昨日記の終わりの記載を見ると、大量の渡来人が来て日本を占領したのではないかと勘違いされるかもしれないが、今の考古学的な事実では、大量の渡来人の集団が来て次々と、集団で縄文人を追放し征服したのではなさそうだ。
無論一部では、渡来人と縄文人の間でた戦いがあったのも事実だが、多くの渡来人は縄文人とも共存し、混血して稲作文化を受け入れたその子孫が渡来系弥生人として、日本の弥生文化を創っていったようで、渡来系弥生人の子孫が、弥生時代を作ったようだ。(多くの女性も含めて船で朝鮮から日本まで逃げるということは大変な事態で、物理的にも当時大量に渡来することは、かなり困難ではなかっただろうか。それでも北九州の一部の集落遺跡には、全員渡来人(女性も含め)と見られる遺跡があるという。)
縄文人と渡来系弥生人は、生業の形態も違い、狩猟採集をする縄文人は山手に住み、渡来系弥生人は水田稲作のため低湿地の河川の近くに住んでいた。
弥生時代の始めのころは、縄文人と渡来系弥生人が混じっていたようだし、渡来系弥生人は、徐々に広がって行ったらしい。

夜は、FBを見た後読みかけの長編小説を読んで寝た。

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