以下の一文はFBへのコメントに返信したもので、自分なりの考えを述べたものなので掲載します。
歴史的には、日本人はずっと海外進出に積極的でした。
弥生時代後期から古墳時代にかけて、鉄を求め日本人が伽耶をはじめ朝鮮半島南部に出かけ、多くの足跡を残していて、日本人の多く住む地域や、古墳時代には前方後円墳も残されています。
古墳時代には朝鮮半島に民間人の倭寇(海賊が韓半島内陸に進出?)が侵略を繰り返し、政権間(斉明天皇の頃)では百済の支援<663年>に乗り出していますし、秀吉は韓半島経由で大陸侵攻を企て、関ケ原後の鎖国までは朱印貿易で多くの日本人が海外に出ています。
明治以後戦前までは、覇権主義で海外進出をしたし、戦後はバブル期は多くの企業が海外に進出しました。
現在も日本はグローバル企業をいくつも持っているて、海外に多くの工場を持ち、商社は多くの国で大規模な資源開発を進めているので、とても一歩引いているとは思えません。
先日も、オーストラリアの褐炭を原料に未来のエネルギーである水素を製造し、それを輸送するための水素運搬船「すいそふろんてぃあ」が公開され、今年中にオーストラリアから水素を運ぶ実証実験を行うことがニュースになっていました。
これからもその流れは続くと思います。
零細企業だったユニクロは、今ではグローバル企業になっています。
日本の神道は経典のような教義が無く、古墳時代からの先祖崇拝=氏族崇拝=氏神の祭祀を受け継いでいますが、同時にアミニズムの側面もあり、飛行機神社・・・とか見てもわかるように何でも神社に祀りますが、これはアイヌの信仰とまったく同じに見えます。
アイヌは縄文時代まで本土と同じ文化を持っていました(本土には同じ民族?の蝦夷がいて、大阪の枚方でに首塚?がある東北の阿弖流為<アテルイ>の乱と坂上田村麻呂との関係は有名<平安時代の蝦夷の乱>)が、弥生時代は続縄文文化になり、10世紀ごろ?になってアイヌ文化が成立したと考えられています。
アイヌの人も、神道と同様万物に霊が宿っていると考えていて、霊は空中を漂っていると考えています。
霊の寄り付くところが、神籬(ひもろぎ 依り代)であり山や木や物です。
日本人も人形や筆や針や様々なものを供養しますが、これは神道の行事で仏教の輪廻の思想ではなく神道のアミニズムの一種ではないかと私は思っています。
もともと日本人は、仏教伝来以降神仏共存し折り合いをつけるための天地垂迹説<平安時代以降?>を明治の廃仏毀釈まで信じていました。したがって、神社と寺が対になっていました。
奈良春日大社の神主は、興福寺の僧侶が務めていたそうで、最近興福寺の僧による春日大社の社参復活がニュースになっていました。
こうしたことを考えると、日本の海外進出と宗教は関係ないと思います。
それより、日本はもうかるために何でもするという実利中心の発想があるのかもしれません。
ただ、江戸時代以降の経済発展は、儒教の質素倹約や労働は美徳といった、プロテスタント的精神が作用し、江戸時代には資本主義的経済(米相場 市場経済・・・)が成立したと見ています。
ウエーバーの指摘した、プロテスタントの神の恩寵を得るため、遊ばすストイックに働き、その結果を資本に回し再投資するという構造は、儒教の精神の構造、質素倹約し、贅沢を戒め、まじめに働くという構造と非常に似ています。
欧米では、資本主義が海外進出の原動力ですが、ウエーバーが指摘するように、プロテスタンティズムが資本主義と関係しているのではないでしょうか。
ただし大航海時代の海外進出は、資本主義的側面がなく、植民地収奪により利益を得ようとする帝国主義的欲望だと思います。
明治以後は、欧米の資本主義と富国強兵=帝国主義的な手法をまねて、欧米と同じ土俵に立つ努力を重ね、欧米と同じ立場に立って海外進出をしたと思います。
歴史・考古学・民族学(このブログは左記リンクのカテゴリー別「歴史・考古学・民族学」ホルダーに収納しています。)
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歴史的には、日本人はずっと海外進出に積極的でした。
弥生時代後期から古墳時代にかけて、鉄を求め日本人が伽耶をはじめ朝鮮半島南部に出かけ、多くの足跡を残していて、日本人の多く住む地域や、古墳時代には前方後円墳も残されています。
古墳時代には朝鮮半島に民間人の倭寇(海賊が韓半島内陸に進出?)が侵略を繰り返し、政権間(斉明天皇の頃)では百済の支援<663年>に乗り出していますし、秀吉は韓半島経由で大陸侵攻を企て、関ケ原後の鎖国までは朱印貿易で多くの日本人が海外に出ています。
明治以後戦前までは、覇権主義で海外進出をしたし、戦後はバブル期は多くの企業が海外に進出しました。
現在も日本はグローバル企業をいくつも持っているて、海外に多くの工場を持ち、商社は多くの国で大規模な資源開発を進めているので、とても一歩引いているとは思えません。
先日も、オーストラリアの褐炭を原料に未来のエネルギーである水素を製造し、それを輸送するための水素運搬船「すいそふろんてぃあ」が公開され、今年中にオーストラリアから水素を運ぶ実証実験を行うことがニュースになっていました。
これからもその流れは続くと思います。
零細企業だったユニクロは、今ではグローバル企業になっています。
日本の神道は経典のような教義が無く、古墳時代からの先祖崇拝=氏族崇拝=氏神の祭祀を受け継いでいますが、同時にアミニズムの側面もあり、飛行機神社・・・とか見てもわかるように何でも神社に祀りますが、これはアイヌの信仰とまったく同じに見えます。
アイヌは縄文時代まで本土と同じ文化を持っていました(本土には同じ民族?の蝦夷がいて、大阪の枚方でに首塚?がある東北の阿弖流為<アテルイ>の乱と坂上田村麻呂との関係は有名<平安時代の蝦夷の乱>)が、弥生時代は続縄文文化になり、10世紀ごろ?になってアイヌ文化が成立したと考えられています。
アイヌの人も、神道と同様万物に霊が宿っていると考えていて、霊は空中を漂っていると考えています。
霊の寄り付くところが、神籬(ひもろぎ 依り代)であり山や木や物です。
日本人も人形や筆や針や様々なものを供養しますが、これは神道の行事で仏教の輪廻の思想ではなく神道のアミニズムの一種ではないかと私は思っています。
もともと日本人は、仏教伝来以降神仏共存し折り合いをつけるための天地垂迹説<平安時代以降?>を明治の廃仏毀釈まで信じていました。したがって、神社と寺が対になっていました。
奈良春日大社の神主は、興福寺の僧侶が務めていたそうで、最近興福寺の僧による春日大社の社参復活がニュースになっていました。
こうしたことを考えると、日本の海外進出と宗教は関係ないと思います。
それより、日本はもうかるために何でもするという実利中心の発想があるのかもしれません。
ただ、江戸時代以降の経済発展は、儒教の質素倹約や労働は美徳といった、プロテスタント的精神が作用し、江戸時代には資本主義的経済(米相場 市場経済・・・)が成立したと見ています。
ウエーバーの指摘した、プロテスタントの神の恩寵を得るため、遊ばすストイックに働き、その結果を資本に回し再投資するという構造は、儒教の精神の構造、質素倹約し、贅沢を戒め、まじめに働くという構造と非常に似ています。
欧米では、資本主義が海外進出の原動力ですが、ウエーバーが指摘するように、プロテスタンティズムが資本主義と関係しているのではないでしょうか。
ただし大航海時代の海外進出は、資本主義的側面がなく、植民地収奪により利益を得ようとする帝国主義的欲望だと思います。
明治以後は、欧米の資本主義と富国強兵=帝国主義的な手法をまねて、欧米と同じ土俵に立つ努力を重ね、欧米と同じ立場に立って海外進出をしたと思います。
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