以前、スペイン語が分かれば、ポルトガル語やイタリア語が聞いておおよその意味が分かるということを、南米人の友達から聞いていて、確かめると多くの南米人も同じ意見だった。
特に、ポルトガル語とスペイン語はよく似ていて、スペイン人とポルトガル人が話しても7-80%ぐらいお互い理解できるといっていた。
事実英語学校では、スペイン語の南米人達とポルトガル語のブラジル人が、それぞれの母国語で普通に会話していた。
なるほど、同じラテン語系のイタリア語(私は少し入門編のTVを見ただけだが)の文法はほぼ同じで、単語も似たものが多いように見えた。
ということは、スペイン語とラテン語系のポルトガル語・イタリア語・フランス語は、スペイン語の訛りの強い方言のようなものではないかと、英語学校に行った頃(約30年近く前)から考えていた。
ところで、昨日YouTubeを見ていて、アイヌ語関連の言語学のビデオがあったので、考古学的な問題からも興味があったので視聴していると、それに関連してお勧めビデオで「日本には言語が9個ある」というビデオが紹介されていた。
在日外国人の言語を含めるにしては、中途半端な数字なので疑問を持ち、そのYouTubeを視聴した。
その講演会のビデオでは、国立国語研究所によると、日本には言語が9個あるというのだ。
聞いてわからない言葉は、方言でなく違う言語であるということらしい。
詳細は。末尾のYouTubeのリンクを参照されたい。
これを視聴して、おおよそ、以前から持っていた疑問が正しかったのかもしれないと納得した。
その講演会では、ユネスコが方言や日本国内の日本語ではない言語が、消滅の危機にあるという。
確かに、大阪弁ですら、私が幼いころ近所の高齢者が話していた大阪弁の丁寧語は、耳にしなくなったし、使わなくなった。(大阪弁と河内弁は違う。)
また、講演会で指摘していたように、青森弁や鹿児島弁も調べると、違う言語に相当するかもしれないという話は興味がある。
言語は文化の根源でもあり、文化と言語は切り離せられないし、民族問題とも関係する。
民族とは何かという問題も関連するのだが。
少なくとも民族=人種ではない。例えばユダヤ民族は今や多人種の民族ともいえる。
ハンチントンの「文明の衝突」でも論じられているが、民族の構成要素は、多くあり、土地風土、人種、言語、宗教、歴史といったことが複雑に絡み合い、たぶん明確に分けることは難しい。
特に日本のように人種的に混血が少ない民族は少ないのかもしれないし、人種=民族ではない場合も多いようだ。
多くの民族は歴史的にも混血を重ねていて、日本人も縄文人=日本人ではなく大量の渡来人=朝鮮・中国・南方と混血していることは、考古学的にも生物学的(=遺伝子)にも明らかである。
日本は地政学的に見ても、また様々な文化的・生物学的に見ても、東アジアの吹き溜まりの地である。
よく、こうした話をすると日本を貶める話という輩もいるが、現実と科学的・学問的事実を認めず、自分達の歴史的根拠のない価値観(宗教を含む)だけを信じ、偉大な日本と叫ぶのは、今の中華思想の中国や北朝鮮と同じで、天動説を唱えるに等しいと考えている。
それでも、私は客観的に日本を見つつ、日本の風土や国民性に誇りを持っているが、愛国心を押し付ける偏狭な民族主義や排他主義には反対する。
歴史的に見ても、作られた民族主義により多くの戦いが起き、多くの犠牲者と不条理な抑圧が起きている。
それらは、作られたもので、ある種の信仰でもあり、そこには自分の信じる根拠のない価値観だけがあり理性はない。
人類は、アフリカの母から発生し、中東あたりでネアンデルタール人とも混血し(ヨーロッパインド人にはネアンデルタール人の遺伝子が一部含まれているが、東アジア人には含まれないという最新研究の学説があると聞く。コロナ関連のNHKの科学番組で紹介された。)、全世界に拡散し風土に合わせ適応し、多様化していったので、そもそも人類は皆兄弟なのだ。
ことばのミニ講義「日本にはいくつ言語があるか?」
https://www.youtube.com/watch?v=YGOUN7FUmJQ
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特に、ポルトガル語とスペイン語はよく似ていて、スペイン人とポルトガル人が話しても7-80%ぐらいお互い理解できるといっていた。
事実英語学校では、スペイン語の南米人達とポルトガル語のブラジル人が、それぞれの母国語で普通に会話していた。
なるほど、同じラテン語系のイタリア語(私は少し入門編のTVを見ただけだが)の文法はほぼ同じで、単語も似たものが多いように見えた。
ということは、スペイン語とラテン語系のポルトガル語・イタリア語・フランス語は、スペイン語の訛りの強い方言のようなものではないかと、英語学校に行った頃(約30年近く前)から考えていた。
ところで、昨日YouTubeを見ていて、アイヌ語関連の言語学のビデオがあったので、考古学的な問題からも興味があったので視聴していると、それに関連してお勧めビデオで「日本には言語が9個ある」というビデオが紹介されていた。
在日外国人の言語を含めるにしては、中途半端な数字なので疑問を持ち、そのYouTubeを視聴した。
その講演会のビデオでは、国立国語研究所によると、日本には言語が9個あるというのだ。
聞いてわからない言葉は、方言でなく違う言語であるということらしい。
詳細は。末尾のYouTubeのリンクを参照されたい。
これを視聴して、おおよそ、以前から持っていた疑問が正しかったのかもしれないと納得した。
その講演会では、ユネスコが方言や日本国内の日本語ではない言語が、消滅の危機にあるという。
確かに、大阪弁ですら、私が幼いころ近所の高齢者が話していた大阪弁の丁寧語は、耳にしなくなったし、使わなくなった。(大阪弁と河内弁は違う。)
また、講演会で指摘していたように、青森弁や鹿児島弁も調べると、違う言語に相当するかもしれないという話は興味がある。
言語は文化の根源でもあり、文化と言語は切り離せられないし、民族問題とも関係する。
民族とは何かという問題も関連するのだが。
少なくとも民族=人種ではない。例えばユダヤ民族は今や多人種の民族ともいえる。
ハンチントンの「文明の衝突」でも論じられているが、民族の構成要素は、多くあり、土地風土、人種、言語、宗教、歴史といったことが複雑に絡み合い、たぶん明確に分けることは難しい。
特に日本のように人種的に混血が少ない民族は少ないのかもしれないし、人種=民族ではない場合も多いようだ。
多くの民族は歴史的にも混血を重ねていて、日本人も縄文人=日本人ではなく大量の渡来人=朝鮮・中国・南方と混血していることは、考古学的にも生物学的(=遺伝子)にも明らかである。
日本は地政学的に見ても、また様々な文化的・生物学的に見ても、東アジアの吹き溜まりの地である。
よく、こうした話をすると日本を貶める話という輩もいるが、現実と科学的・学問的事実を認めず、自分達の歴史的根拠のない価値観(宗教を含む)だけを信じ、偉大な日本と叫ぶのは、今の中華思想の中国や北朝鮮と同じで、天動説を唱えるに等しいと考えている。
それでも、私は客観的に日本を見つつ、日本の風土や国民性に誇りを持っているが、愛国心を押し付ける偏狭な民族主義や排他主義には反対する。
歴史的に見ても、作られた民族主義により多くの戦いが起き、多くの犠牲者と不条理な抑圧が起きている。
それらは、作られたもので、ある種の信仰でもあり、そこには自分の信じる根拠のない価値観だけがあり理性はない。
人類は、アフリカの母から発生し、中東あたりでネアンデルタール人とも混血し(ヨーロッパインド人にはネアンデルタール人の遺伝子が一部含まれているが、東アジア人には含まれないという最新研究の学説があると聞く。コロナ関連のNHKの科学番組で紹介された。)、全世界に拡散し風土に合わせ適応し、多様化していったので、そもそも人類は皆兄弟なのだ。
ことばのミニ講義「日本にはいくつ言語があるか?」
https://www.youtube.com/watch?v=YGOUN7FUmJQ
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