前夜から朝にかけてすさまじい雨が降った。(5月20日の昨日記に記載)
昼前には雨は小降りになった。
トイレは雨漏りで水浸しになった。
このトイレは50年ぐらい前に汲み取り式便所から、地域単位で水洗化していった。
それ以前の私が小中学生の頃は、バキュームカーが来て、各家庭の糞尿壺にたまった糞尿を、吸い取っていたし、小学生の頃は、各家庭の糞尿壺の糞尿をひしゃくに掬い取って肥え樽に入れ、それを天秤棒でかついて、トラックに積まれた糞尿の収集タンクに渡された板を上がって、収集タンクに入れて集めていた。
当時は一部は農家の肥料として使い、残りは大阪湾に廃棄していたらしい。
私が小さかった頃は家の少し北のほうには、田んぼがひろがっていて、田んぼの真ん中に肥え壺(ドツボ)があり、そこから肥しをとって、作物にかけていた。
その後耕作放棄地が出ると野原になるが肥え壺はそのまま残り、たまに子供がはまっていた。
無論そんなものにはまると、臭くて大変なことになり、たぶん衣類はすべて捨てたのだろう。
トイレを水洗化するときに新しい便器を取り付けるが、各家庭のトイレなすべて土もりして埋められ、、表面をセメントで固め、その上に配管と便器を置いた。
普通トイレには排水溝があるが、このトイレに排水溝があるのか覚えていない。
大量に雨漏りしても、水につからないところを見れば、排水溝があるのだろう。
そういえば雨漏りした水は小便器の排水配管上の位置にあるコーナーに流れている。
トイレの床全面に、両親がビニタイルを置いたのでよくわからない。
トイレに関しては長屋のため隣家が裏庭に、部屋を作ったが、トイレと壁1枚で仕切られている。
トイレの壁は80年以上前の土壁だが、非常に老朽化している。
トイレの屋根は、雨漏りのため5-6年以上前に私が点検したが、天井から屋根瓦にかけて多くのネズミの出入り口の穴が開けられていた。
そのうえ、隣家の引接の部屋の屋根がトイレと直角の切り妻造りで、トイレと接する部分が破風(端面)になっているのだが、その仕舞の施工が下手なうえに、モルタルで破風のシールにしているが、モルタルが割れて、少しの吹き降りでも雨漏りがするのだ。
それ以外にも母親の依頼で言われるままに改良した個所もあり、非常に使いづらくなっているし隣家との土壁は、雨漏りで落ちている。
隣家のほうは、たぶん部屋のほうで仕切り版を張っているらしい。
トイレの雨漏りの話から脱線した。
とにかく昼前にべとべと状態のトイレの床をトイレットペーパーを使って、床のどろどろの汚れを取りながらきれいにしたが、大変な作業だった。
むろんきれいにしたといっても、普通のトイレからは全く想像できない汚れ方であるが、80年以上の積み重ねで、経済力もないので一新することもできず仕方ない。
夕方雨も止んだのでスーパーに買い出しにでかけたが、帰宅と同時に再び雨が降り出した。
7時半ごろTVで生活保護の現状のドキュメントを放送していた。
私自身、生活保護もしくはそれ以下の生活を送っているので、真剣に視聴した。
実は自己破産する前、民生委員に生活保護の相談に行ったことがあったが、借金があるので生活保護は受けられないといわれ、激しい絶望感に襲われたことがあった。
借金しなければ生活できないから、生活保護の相談に行ったのだ。
その論理は、いまだにわからない。
区役所にも相談に行ったが、小口借入制度は教えてくれたがそれ以上のことは、何も指導してくれなかった。
結局友達に保証人になってもらい、当面の生活資金数十万円を借りた。
暗い思い出だ。
その友達には非常に感謝し後日完済したが、いまだに月8万円の生活しかできないので、恩返ししたいのだができそうにない。
今は貧困生活しているが、高卒後から脱サラする40歳までは、サラリーマン(設計開発技術者)として、働き実績を上げ貯金や株をして、4千万円以上所有していた。
脱サラ後、アメリカに1年半余り語学留学しその後南米を回り民芸雑貨を集めて帰るまではそれなりに余裕のある生活をしていた。
しかしその後、喫茶店や民芸雑貨店や画廊を10年以上経営して借金生活に陥り、数百万円の借金返済に追われ、10年以上前に自己破産した。
今は貧困生活ながら、工夫して生活を楽しんでいる。
ただここ数年なまけ癖がついたようで、その克服が課題だ。
現状では年金だけで、自炊すれば最低限の生活は可能で、なまけて暮らしても何も問題ないのだが、それでは面白くないのだ。
そういう意味では、この昨日記を書くのも、また読書するのも、ジムに行くことも、私にとっては必要で意味あることだ。
昼前には雨は小降りになった。
トイレは雨漏りで水浸しになった。
このトイレは50年ぐらい前に汲み取り式便所から、地域単位で水洗化していった。
それ以前の私が小中学生の頃は、バキュームカーが来て、各家庭の糞尿壺にたまった糞尿を、吸い取っていたし、小学生の頃は、各家庭の糞尿壺の糞尿をひしゃくに掬い取って肥え樽に入れ、それを天秤棒でかついて、トラックに積まれた糞尿の収集タンクに渡された板を上がって、収集タンクに入れて集めていた。
当時は一部は農家の肥料として使い、残りは大阪湾に廃棄していたらしい。
私が小さかった頃は家の少し北のほうには、田んぼがひろがっていて、田んぼの真ん中に肥え壺(ドツボ)があり、そこから肥しをとって、作物にかけていた。
その後耕作放棄地が出ると野原になるが肥え壺はそのまま残り、たまに子供がはまっていた。
無論そんなものにはまると、臭くて大変なことになり、たぶん衣類はすべて捨てたのだろう。
トイレを水洗化するときに新しい便器を取り付けるが、各家庭のトイレなすべて土もりして埋められ、、表面をセメントで固め、その上に配管と便器を置いた。
普通トイレには排水溝があるが、このトイレに排水溝があるのか覚えていない。
大量に雨漏りしても、水につからないところを見れば、排水溝があるのだろう。
そういえば雨漏りした水は小便器の排水配管上の位置にあるコーナーに流れている。
トイレの床全面に、両親がビニタイルを置いたのでよくわからない。
トイレに関しては長屋のため隣家が裏庭に、部屋を作ったが、トイレと壁1枚で仕切られている。
トイレの壁は80年以上前の土壁だが、非常に老朽化している。
トイレの屋根は、雨漏りのため5-6年以上前に私が点検したが、天井から屋根瓦にかけて多くのネズミの出入り口の穴が開けられていた。
そのうえ、隣家の引接の部屋の屋根がトイレと直角の切り妻造りで、トイレと接する部分が破風(端面)になっているのだが、その仕舞の施工が下手なうえに、モルタルで破風のシールにしているが、モルタルが割れて、少しの吹き降りでも雨漏りがするのだ。
それ以外にも母親の依頼で言われるままに改良した個所もあり、非常に使いづらくなっているし隣家との土壁は、雨漏りで落ちている。
隣家のほうは、たぶん部屋のほうで仕切り版を張っているらしい。
トイレの雨漏りの話から脱線した。
とにかく昼前にべとべと状態のトイレの床をトイレットペーパーを使って、床のどろどろの汚れを取りながらきれいにしたが、大変な作業だった。
むろんきれいにしたといっても、普通のトイレからは全く想像できない汚れ方であるが、80年以上の積み重ねで、経済力もないので一新することもできず仕方ない。
夕方雨も止んだのでスーパーに買い出しにでかけたが、帰宅と同時に再び雨が降り出した。
7時半ごろTVで生活保護の現状のドキュメントを放送していた。
私自身、生活保護もしくはそれ以下の生活を送っているので、真剣に視聴した。
実は自己破産する前、民生委員に生活保護の相談に行ったことがあったが、借金があるので生活保護は受けられないといわれ、激しい絶望感に襲われたことがあった。
借金しなければ生活できないから、生活保護の相談に行ったのだ。
その論理は、いまだにわからない。
区役所にも相談に行ったが、小口借入制度は教えてくれたがそれ以上のことは、何も指導してくれなかった。
結局友達に保証人になってもらい、当面の生活資金数十万円を借りた。
暗い思い出だ。
その友達には非常に感謝し後日完済したが、いまだに月8万円の生活しかできないので、恩返ししたいのだができそうにない。
今は貧困生活しているが、高卒後から脱サラする40歳までは、サラリーマン(設計開発技術者)として、働き実績を上げ貯金や株をして、4千万円以上所有していた。
脱サラ後、アメリカに1年半余り語学留学しその後南米を回り民芸雑貨を集めて帰るまではそれなりに余裕のある生活をしていた。
しかしその後、喫茶店や民芸雑貨店や画廊を10年以上経営して借金生活に陥り、数百万円の借金返済に追われ、10年以上前に自己破産した。
今は貧困生活ながら、工夫して生活を楽しんでいる。
ただここ数年なまけ癖がついたようで、その克服が課題だ。
現状では年金だけで、自炊すれば最低限の生活は可能で、なまけて暮らしても何も問題ないのだが、それでは面白くないのだ。
そういう意味では、この昨日記を書くのも、また読書するのも、ジムに行くことも、私にとっては必要で意味あることだ。