散歩者goo 

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昨日記140425金(工業高校同窓会)

2014年04月26日 13時40分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 24.3/12.1℃  
朝から、昨日記を早めに仕上げ、正午から開かれる、工業高校の同窓会に出かけた。
私の母校は、無くなっている。
一応、形を変更して新しい高校として継続している。
当時あった、放射線とか自動制御や鋳造といった施設はもう無いのだろう。

我々は、その学校の2期生で、モデル校として全国的に注目されていた。
募集も、大阪府全域からの募集で、評価は定まっていなかった。
中学校の母校に対する評価も、かなり高いレベルと評価したり、並の高校と評価したり、様々であったようだった。
教師も若い先生や、ユニークな先生も多かった。
卒業生で文科系に進んだものもいた。
専門科目のカリキュラムは、当時最先端のことを扱っていたので、通常の工業高校に無いものの方が多く、短大か大学の教科書を使用したり、プリントによる授業もあった。
大学へ進学したものも1-2割いて、それ以外、会社に入社してから大学の研究機関に入り、大学教員になったものとか、国立大にストレートに入り、民間企業で働いた後に、大学教授になった者もいる。
卒業時には、ほとんどの卒業者が大企業や、有望な中小企業へ就職した。
私は、大手通信会社に内定したが、右耳聴力の問題で採用内定後取り消され、大手家電も二次試験で、経歴書に父母のところに隣の受験生が祖を書いていたので、つられて後から書き入れて、面接で聞かれ落とされた。
落ちるはずが無いのになぜ落ちた、と先生から問われ恥ずかしかった。(一緒に受けた者は全員合格)
当時無名の継電器関係の中小企業だったオムロンからも募集が来ていた。
そんなことがあって就職試験にかなり出遅れ、最終的に当時の理化学機器の中小企業の町工場T社(現在、社名変更し、環境試験装置の会社E社)に入った。
入社試験の時は、余りにも町工場らしいので、落ちようと思っていたが合格したので、学校に断りたいと申し出たところ、必ず入社せよとしかられた。(他にもオムロンとか、今で言うベンチャー企業に行きたかった。)

T社に入社後、技術部の設計研究部門に所属した。
その後設計部門は大卒のみ採用となった。
当時、会社は入社試験の代わりとしてインターン制を設け、入社希望者に課題を与え、私も仕事の傍ら、大学4年生の研究を指導するよう指示された。
そのとき大学生の実力はたいしたことがないと思った。

T社の設計部門は大学卒ばかりになり、高卒の先輩や同僚も全員夜学に通いだしたので、私も夜間の短大に行き卒業した。(残業等もあり、充分勉強できなかった。)
短大に行き、大学の授業がどんなものか、凡そつかんだことは、大きな成果だった。
大学になると基礎を学んだ後は、自分で勉強して研究するものであることを理解できた。
更に、そのことは文科系を含む異分野に対しても全く同じだと気づいた。
それは、後の技術者生活にも大きな自信になり、専攻分野と違うことに対しても、問題に直面すると、積極的に勉強し研究する態度が身につき、その後の製品の研究開発や、趣味の古代史考古学の学びにも多いに役立っている。

私が10年ほど勤めて、最先端の設計技術を身につけてその会社を円満退職したが、その後10年ほどしてその会社は東証一部に上場した。
入社当時そんなことは夢にも思わない古い町工場であったが、技術部長のお陰て、10年後には世間から注目される最先端の技術を持つ会社に成長していた。(宇宙産業にも関連)
(その会社ではその後、工業高校の後輩が社長候補になったという話も聞いたし、私の直属の上司だった2人が社長になった。)


ついつい思い出話が長くなったが、昔のクラスメートは、いまや70歳前後となり、ほとんどの者が一線を退いている。
電子工業科の2クラス合わせて、80名(内女子3名)のうち、先生1人を含め16名が出席し旧交を温めた。
途中、同級生で元大学教授のK氏が趣味でやっているギター演奏があった。
席上、学生当時の古い白黒写真を見せられたが、例えば比叡山への遠足で私も映っていたが、記憶に無い。
古い思い出の資料は、PCに保存し、整理し思い出す努力をしないと、関係者がいなくなると、記憶は永遠に消滅する。

この原理は、歴史というほどの物でなく、個人の生きた証、に関係することだろう。
人が生きれば、それだけの足跡がある。
そして、生き物は必ず死ぬ。
そして墓が残る。
だが、記録が無ければ、その個人の記憶は消えてしまう。
その人の記憶が、家族・友人・教え子や次の世代の人の記憶に残ること、残すことの意味とか哲学的宗教的意味も考えさせられる。

それに関連して、キーワードとして次の言葉が、頭の中で思い浮かぶ。
多分永遠の課題であり、悟りにも関連することだろうが、私は無常観に支配されているわけではないというより、だから精一杯今を充実するように生きようと思っている。(他人が充実した生き方をセットしたり、教えてくれるわけでなく、自分で考え見つけ、創り出すものであろう。)
有縁・無縁・死ぬ時は一人=孤独死・孤立死・無常・幸若舞敦盛・名を残す・歴史・一期一会・今を生きる・実存・則天去私
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