散歩者goo 

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昨日記1404116水(ジム・筋トレ&インタバル インクルシブ・カフェ 評価問題)

2014年04月17日 12時41分51秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
薄曇 21.6/7.3℃
16日も午後からジムに行き筋トレを行った。
調子はいい。
まだ動かす回数は増えないが、(例、テストプレス45kg12回)軽くなった感じである。
そのうち、回数が増え15回に達する種目が出るだろう。
15回に達して何度もクリアできれば、荷重をUPさせる。
いまだに体力がUPしつつあるのを実感している。
腹筋の鍛え方が足らないので、20回前後しか出来ない。
腹筋も、一日何度もやれば徐々に回数を増やせると思うが、実行はなかなかできない。
筋トレ後、インタバルを行った。
時速8kmのスピードで走りながら休み、10.5kmで15秒程度走り、時速13kmで走れるだけ(10秒―30秒程度)走り、それを5-6回程度繰り返した。
13kmは足がもつれる可能性のあるスピードだ。(若い人にとっては低速?)
数回走って、時速13kmにも慣れてきた。
次回は、スピードを上げてチャレンジしたい。
ジムから帰宅後も、疲労は無かった。

帰宅後、プロテイン等を補給した後、すぐにインクルーシブカフェという催しに出かけた。

以前から何度か、この催しに参加している。
障がい者アートに関する勉強会で、大阪市立大学都市研究プラザが主催している。
ギャラリーをしていた頃に、塔本シスコさんや塔本賢一さん・ひろこさんが主宰する絵画教室に通う、障がい者の生徒さんの展覧会をしたことがきっかけで、アールブリュットに強く関心を持つようになった。
その後FBの友達からのインクルーシブカフェの案内をもらい、参加するようになった。
会の趣旨は、会の案内によると『「障がい者の芸術表現」をテーマにいろいろな立場の人が自由に話し合う場』ということである。
この勉強会の参加者の大半が障がい者施設や、障がい者教育関係の人達で、やまなみ工房やアトリエコーナスといった、障がい者アートの世界では、トップランナーの一つでもある施設からも多くの参加者がいる。

今回の講師は、甲南大学文学部准教授の服部正氏だった。
服部氏は最近『山下清と昭和の美術―裸の大将の神話を超えて』という研究書を出版されて、新聞の書評でも取り上げられていた。
服部氏は昔ギャラリーにも来られたこともあり、ゆっくりとお話したことは無かったが、顔見知りではあった。

今回の勉強会は、この本の内容をベースに行われた。
本は、かなり分厚い本だ。
山下清に関しては、映画やTV等でも面白おかしく取り上げられて知る人も多く、当時は人気者であった。
しかし、服部氏達の研究により山下清を取り巻く、施設・マスコミ・評論家・社会の動きを詳細に見ていくと、様々な側面が見えてくるようだ。
勉強会では、関係者や、評論家の投稿文章をそのまま取り上げ、関係者や評論家のその当時の考え方を浮かび上がらせた。
その根底には、現在にも通じる問題も多く含まれるし、山下清の評価も改めて問われるのかもしれない。
服部氏は、学芸員の経験も長く、アールブリュットに関連する展覧会も企画された。
山下清の作品が、評論家から厳しい評価を受けている理由についても、考えさせられる。

自発性か教育・誘導されたものかといった問題も、現在にも通じる問題である。
簡単な話、健常者の美術家でさえ、最低限美術活動の初期の頃は、先生の指導や模倣から始まる。
しかも、現代美術でさえ、多数の作家は模倣者であることが多い。
真のアバンギャルドというべき前衛的な芸術創造者は、少数なのだ。
このような側面を考えると、簡単に結論が出る問題ではない。
ましてや、評価・評論には絶対というものは無いと私は思っていて、評論家の持つ価値観次第で、その評価は大きく変化するが、評論家の持つ価値観自体が、時代の空気に流される。
そもそも理工学は別にして、文化芸術は、人間の持つ価値観が中心に組み立てられるのであって、価値観が違えば評価できないのだ。
例えば、歌謡曲の評論家がハードロックの評論を出来ないし、浮世絵の評価が現代アートを評価出来無いのと同じである。
仏教美術も現代アートも評価出来る人は、それぞれの全く違った価値観の文法文脈を勉強し、それぞれの分野の芸術のパラダイムを身に着けている人なのだ。
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