昨日書き込みした「北」「北国」というテーマの下書きをしている時に、毎日新聞(11月21日付)で評論家の池上彰氏と作家の五木寛之氏の対談を目にしました。
私の大好きな作家である五木寛之氏について少し紹介させていただきたいと思ったのですが、これを始めると非常に長くなりますので、今回は簡単に、下記の紹介で止めておきます。
・私より10歳程年上で、1966年の「さらばモスクワ愚連隊」で強烈なデビューをされ、その後「蒼ざめた馬を見よ」で、直木賞を受賞されましたが、何といっても代表作は、伊吹信介を主人公とする「青春の門」でしょう。
・また、北朝鮮で終戦を迎え、帰国途中で肉親を亡くされるという過酷な環境を経験された影響もあると思いますが、作家として脂ののっている1981年からは執筆活動を一時休止し、龍谷大学の聴講生となり、仏教史を学ばれ、浄土真宗に帰依されたという経歴で、それ以後の作品には、彼の代表作の一つとなる「親鸞」以外にも、宗教観や被差別者の実態に触れる著作も多くなりました。
・一言だけ、私の全く個人的なことですが、1981年版映画「青春の門」のイメージソングとして広まった山崎ハコが唄っていた「織江の歌」(作詞:五木寛之、作曲:山崎ハコ)の曲はよく覚えています。博多弁というよりは筑豊弁というべき歌詞で、中でも“信ちゃん、信介ちゃん うちはあんたに逢いとうて…”というメロディーと歌詞は、いまだに浮かんできます。
さて、今回の主題の同氏と池上彰氏との対談のことですが、主なテーマはジェンダー(社会・文化的に形成された性差)意識の高まりに伴う表現の難しさについてでしたが、この中で五木氏は“自分自身が注意しているつもりでも「女流作家」とか、「女々しいい」「雄々しい」などを無意識に使うことがある”。
これらは幼い頃から身に染みている「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」で、“正直言うと自分の中にこれほどの偏向や偏見が詰まっているのかと気づくと絶望的になる”というようなニュアンスの発言もされています。
確かにご指摘の通りで、私なども今まではツレアイとの関係を含めた女性のことや、介護のことについてもある程度理解をしているつもりでしたが、いざツレアイの認知症が進むと自分の中のアンコンシャスバイアスが色々と表面化してしまうことに気づき、唖然としたことが何度もあり、この五木氏の発言は痛いほど理解できます。
また、この対談の中で、五木氏はアフリカ系米国人のボクシング選手であったカシアス・クレイ(後に、ムハンマド・アリに改名)との対談にも触れ、彼が言葉の問題について、“ブラックマーケット(闇市)、ブラックリスト(指名手配)、ブラックメール(脅迫状)などという言葉があるように、生活の中で『黒=悪』との観念があり、みんながこのような言葉を使っている限り自分たちは絶望的だ…”と話したことも紹介されています。
デザインや服飾の分野では「カラーイメージ」という専門分野があるように、夫々の色が持っているイメージが当然あり、「暖色」とか「寒色」とかいう分類もありますが、これと同様に東西南北という方位についてもそれぞれのイメージがあるのは仕方ないことでしょう。
前回触れた、「北」または「北国」を織り込んだ歌謡曲が多いのも、このアンコンシャスバイアスに由来する部分が多い事を改めて思った次第です。(まさ)
きょうは昼前に淀川河川敷にテニスに行ったのですが、雲一つない西の空に月齢23.2の下弦の月に近いお月さんが見えました。