老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

市川昆監督の戦争映画  その②  ~「ビルマの竪琴」(1956年公開 日活)

2017年08月26日 21時38分31秒 | その他
 竹山道雄が唯一執筆した児童向けの作品を市川昆が監督した余りにも有名な作品です。ストーリーを要約すると、


 ビルマの山奥で戦う日本軍のある小隊では、音楽学校出身の隊長が隊員に合唱を教え込み、隊員達は歌うことによって隊の規律を維持し、行軍の中も慰労し合い、さらなる団結力を高めていました。
ある夜、小隊は宿営した村落で印英軍に包囲されるが、敵を油断させるために『埴生の宿』を合唱した所、敵が英語で『埴生の宿』を歌い始め、両軍は戦わないまま相まみえ、小隊は敗戦の事実を知らされて降伏し、捕虜収容所に送られることになる。

 しかし、更なる山奥では降伏を潔しとしない日本軍がいまだに戦闘を続けており、彼らの全滅は時間の問題だったため、彼らを助けたい小隊長はイギリス軍と交渉し、降伏説得の使者として、現地人に似ている水島上等兵が竪琴を携えて赴くことになる。

 だが、水島は説得に失敗し仲間の待つ捕虜収容所に向うが、道中で無数の日本兵の死体と出会い、愕然となる。
帰国することに心を痛め、日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地に留まろうと決意し、日本への帰国を諦め白骨を葬って巡礼の旅を続ける道を選ぶ。

 日本への帰国が決まった隊員達は、先日すれ違った青年僧が水島ではないかという思いを捨てきれず、彼を引き連れて帰ろうと毎日合唱を繰り返すと共に、隊長は、「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませたインコを青年僧に渡してくれるように収容所に出入りの物売りの老婆に頼む。

 出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱する。ついに青年僧はこらえ切れなくなったように竪琴を合唱に合わせてかき鳴らす。彼はやはり水島上等兵だったのだ。
隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。日本人の多くが慣れ親しんだその歌詞は、「今こそ別れめ! いざ、さらば」と詠う別れのセレモニーのメロディー。

 翌日、帰国の途につく小隊のもとに、1羽のインコと封書が届く。そこには、水島が降伏への説得に向かってからの出来事が克明に書き綴られており、インコは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのでした。



 安井昌二、三国連太郎、北林谷栄らの演技と共に、最後の「ビルマの 土はあかい 岩も またあかい」というキャプションが妙に心に残っています。


(注1)
元々この映画は第1部と第2部に分かれており、その段階では水島上等兵が僧侶になる経緯については、(部隊の説得に失敗して倒れている所を、原住民に助けられたが、人身御供になる所で自然異変などがあり、原住民から水島に僧衣と、位の高い僧しか持つことができない腕輪を贈られた)というような少し違う設定があったるようです。
現存するのはこの第1部と第2部を編集した“総集編”らしいのですが、この総集編の“僧侶として、ビルマに残る”という決意に至る経緯には大きな違和感は感じません。

(注2)
1985年に同じく市川昆の監督で、東宝で石阪浩二、中井貴一主演の同名の映画が製作されました。
モノクロがカラーに変っているだけで、内容的には上記の映画と殆ど同じでした。また北林谷栄さんが前の映画と同じ役で出演されていたのには驚きました。(まさ)