昨日ツクシ(土筆)のことを書きましたが、ツクシはシダ植物のトクサ科に属するスギナの胞子茎で、スギナは地下茎だけでなくこの胞子茎から飛散させる胞子によっても繁殖し、強い繁殖力を持っています。(植物に携わる人間の習性として、一応触れておきます。)
また、私はツクシの漢字「土筆」が非常に気に入っており、ツクシをイメージするのに何と相応しい漢字かなあと思ってい案す。
前置きはさておき、本題に入ります。
私が小さい時は丁度食糧難の時で、例え大したおかずにはならないツクシとはいえ食べられるものを採取してくるのは、子どもの役目でした。
そのおかげか、今でもツクシを見つけるのは、まだまだ上手いと自負しております。
昨日も、淀川の堤防でツクシを採っていると、同年代と思われる散歩の人が数人「もう、出てますか?」と声掛けながら、ツクシ採りに加わられましたが、やはり同じような経験があるのかなあと思いました。
万葉集の時代では若菜を摘むのは若い女性となっていますが、最近では高齢者の懐古からでしょうか…
このツクシのことを書いている時に気になったのが、ツクシの呼び名です。
私が物心ついたのは、疎開先の兵庫県宍粟郡山崎町(現、宍粟市)でしたし、母の実家があった関係で私たちが神戸に住み出してからも大学に入るまでの休みの間は殆ど山崎で過ごしていたと思います。
同地では、ツクシのことは「ホウシコ」と呼んでいましたが、胞子で増えるツクシにしては、相応しい名前でしょう。(パソコンで調べると、この呼び名は何も播州に限ったことではなく、四国などでもあるようです)
ついでながら、播州では、春先に良く見つけてはおやつ代わりに食べていたイタドリ(スカンポ)は、「エッタン」と呼んでいました。
また、当時はまだ数が少なく子供たちの夏の憧れでもあったクマゼミは「カタビラ」と呼んでいました。透き通ったクマゼミの羽から経帷子を連想した優雅な呼び方だと思います。
さらに、このような昔の言葉の事を書いていると、気になりだしたのが祖母が良く使っていた、オクモジ(つけもの)、オミオツケ(味噌汁)、コウコ(たくあん)などの、今は殆ど聞かなくなった言葉です。
気になって調べて見ると、どうやら「コウコ」は播州の方言の様ですが、「オクモジ」や「オミオツケ」は播州の方言ではなく、女房言葉と呼ばれる古い優雅な言葉の名残の様です。
“播州の山奥でなぜ?”ということになりますが、山崎町は本多家山崎藩(1万石)の城下町として発展した町ですし、祖母は確かその山崎藩の家老の一族…とか聞いたこともありますので、女房言葉の一部を知っていたのかも知れませんが、この女房言葉とやらは今でも使われている言葉も多く、結構面白そうなので、更に調べた上で、別途お知らせします。(まさ)
また、私はツクシの漢字「土筆」が非常に気に入っており、ツクシをイメージするのに何と相応しい漢字かなあと思ってい案す。
前置きはさておき、本題に入ります。
私が小さい時は丁度食糧難の時で、例え大したおかずにはならないツクシとはいえ食べられるものを採取してくるのは、子どもの役目でした。
そのおかげか、今でもツクシを見つけるのは、まだまだ上手いと自負しております。
昨日も、淀川の堤防でツクシを採っていると、同年代と思われる散歩の人が数人「もう、出てますか?」と声掛けながら、ツクシ採りに加わられましたが、やはり同じような経験があるのかなあと思いました。
万葉集の時代では若菜を摘むのは若い女性となっていますが、最近では高齢者の懐古からでしょうか…
このツクシのことを書いている時に気になったのが、ツクシの呼び名です。
私が物心ついたのは、疎開先の兵庫県宍粟郡山崎町(現、宍粟市)でしたし、母の実家があった関係で私たちが神戸に住み出してからも大学に入るまでの休みの間は殆ど山崎で過ごしていたと思います。
同地では、ツクシのことは「ホウシコ」と呼んでいましたが、胞子で増えるツクシにしては、相応しい名前でしょう。(パソコンで調べると、この呼び名は何も播州に限ったことではなく、四国などでもあるようです)
ついでながら、播州では、春先に良く見つけてはおやつ代わりに食べていたイタドリ(スカンポ)は、「エッタン」と呼んでいました。
また、当時はまだ数が少なく子供たちの夏の憧れでもあったクマゼミは「カタビラ」と呼んでいました。透き通ったクマゼミの羽から経帷子を連想した優雅な呼び方だと思います。
さらに、このような昔の言葉の事を書いていると、気になりだしたのが祖母が良く使っていた、オクモジ(つけもの)、オミオツケ(味噌汁)、コウコ(たくあん)などの、今は殆ど聞かなくなった言葉です。
気になって調べて見ると、どうやら「コウコ」は播州の方言の様ですが、「オクモジ」や「オミオツケ」は播州の方言ではなく、女房言葉と呼ばれる古い優雅な言葉の名残の様です。
“播州の山奥でなぜ?”ということになりますが、山崎町は本多家山崎藩(1万石)の城下町として発展した町ですし、祖母は確かその山崎藩の家老の一族…とか聞いたこともありますので、女房言葉の一部を知っていたのかも知れませんが、この女房言葉とやらは今でも使われている言葉も多く、結構面白そうなので、更に調べた上で、別途お知らせします。(まさ)