老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

巨大ITの問題点と「データ主権」  その① ~斎藤幸平氏について~

2021年06月16日 19時14分42秒 | その他

(今日も一日中雨でしたが、最近のコロナによる外出自粛と降雨のために、自然とPCに向き合う時間がなり、前から気になっていたことを纏めてみました)

 約1か月前の5月14~19日に、このブログで「脱炭素と脱原発」というテーマで、私が感じている所を書き込みましたが、その際に“成長を追い求める現在のシステムではやはり人類の将来はない”という事に思い至り、あえて

 “先進国の多くの国民は、現在より少し位不便な生活でも対応できるはずです。SDGsの事を真剣に考えるなら、恵まれている立場の人たちがある程度生活レベルを落としても、世界中のもっと多くの人が少しだけでもよりましな生活が送れるような仕組みを考えても良いのではないでしょうか。”という風に私なりの思いを書きました。

 一方では、口では格好エエことを言っても、「人間の進歩という事をどの様に考えているのか?」「経済の成長による生活レベルの向上こそが大切なのではないか?」「少なくとも、生活の質を落とすことなんか、全く考えられない・・・」という多くの人が抱えている疑問に、明確に理論的に反論できるだけの知識がなくてイラついていました。 

 

 そんな時に、本屋でふと目についた斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」(集英社)を購入して読み始めました。著者はまだ34歳という若い経済思想家で、現在は大阪市大准教授です。

 「資本論」といえば共産主義のバックボーンとなったと言われているカール・マルクスの著作で、私たちが学生時代は誰もが一度は読破を志した本です。

 私も読みかけてはみたものの理解には到らず、その内に共産主義の具現とされていたソ連への失望やソ連の衰退と共に読破を諦めた記憶があります。
また、その後の資本主義国の目覚ましい発展とともに、世界的にも共産主義は資本主義には対抗できないシステムであると思われるようになり、この著作も忘れ去られるようになっていました。

 しかし、斎藤氏は、このカール・マルクスの「資本論」や以後の色々な論文を掘り起こし、それを基に、
・資本主義は人と地球環境を搾取しながら際限なく成長を追い求めるシステムであるとし、現在の経済システムを否定し
・社会の資産や技術はコモンとして社会で共有し管理すべき富だと考える事に拠り
・脱成長でも、地球の環境を守りながら充分にやっていける
という内容の著作です。

 この書物には、脱炭素/脱原発問題を含める環境問題や、最近のコロナウイルス問題も含まれていて、私はまだ完全に理解するには読み込めていません。
何れある程度理解出来ればその時点で概要を紹介させて頂くつもりですが、今暫く時間がかかりそうです。


 そんな時、毎日新聞で5月21日と25日の2回に亘り、毎日新聞の村尾哲記者が斎藤氏にインタビューする形で、巨大ITシステムの持つ問題点を纏められており、上記の同氏の著作とも共通する内容で大変興味深く読ませてもらいました。


 何とかパソコン(文書作成やメール/ブログと色々な検索機能)と携帯電話(通話のみ)は使っているが、色々なSNSやアプリとか、いわゆる「便利機能」を使いこなせていないというか、何か胡散臭さを感じて本能的に拒絶している私には納得できる所が多い内容で、その主なポイントについて新聞記事を引用しながら紹介しましょう。 


 数回にわたる書き込みとなりますが、お付き合いいただければ幸甚です。(まさ)