四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

久しぶりに生涯学習の世界に・・・昨日は第五次総振委員会で北本市の歴史など学ぶ

2016-04-05 19:25:25 | 日記

●生涯学習研究で長い付き合いのある神戸学院大学教授の今西幸蔵氏から久しぶりに連絡頂き、インタビューでお目にかかったのが去年の9月。私の北海道での生活や生き方、生涯学習への出会いとその後のかかわりに等についてインタビューを受けました。その報告書ができたと恵送していただきました。「地域形成への生涯学習的アプローチ2」の研究成果報告書です。今西氏は、これまでの自分を「具象の世界で活躍されながら、どこかで抽象の世界を見つめているように感じてきた」と表現しています。それは、私が子供のころの映画を観る漫画を描くという視覚による世界認識かもしれない。やがて概念として具象化されるが、それは文字を使用することによって、地域形成というレベルでの具象認識に行ったと感じたと述べています。そうなのかなー…と今西氏の客観的な見方を素直に受け止めます。

 

●昨日、第五次北本市総合振興計画審査特別委員会は、市民団体の竹村氏と市の歴史・文化財に造詣の深い岡田氏のお二人からお話をいただきました。竹村氏からは、第五の計画に不足している部分について指摘を受けるとともに、新たなご提案をいただきました。不足の部分は、これまでの計画や他市の計画にある市の位置、沿革、何より北本市の現状と課題に、そしてそれを受けた将来展望、まちづくりの目標といった、第五次計画の背景が抜けていることについて、これでは計画全体の正当性の根拠が見えてこないと。また、北本市が担える国家的使命について言及されました。

●岡田氏からは、市の歴史についてご講義頂きました。生活の舞台としての地形について、大宮台地の持つ地域特性は、これからのまちづくりに生かすべきであると。交通の要所としての船運や元宿、北本宿駅の開業、圏央道、上尾道路へと続く可能性について。石戸村長吉田時三郎の偉業、戦後の合併(常光村)、工場誘致と工場移転。この移転が街の勢いを失い人口減少問題の遠因になった。吉田時三郎は、村づくりは人づくりと、100年先の人材を育成た。岡田氏の講義の中で、関東大震災の後、安全な住まいを作るということで浦和市鹿島台地と大戸台地を開発した。このことについて特にピンときたことがありました。

●竹村氏の「北本市が担える国家的使命」とは、地震研究者か指摘する30年以内に起きる可能性のある首都圏大地震で、人的災害を最小限に食い止めるため、地震に強い北本市の特性を生かし、災害に強い街への移住。危険回避先として北本市の役割です。岡田氏の講和の中で、関東大震災後の浦和市鹿島台地の開発の事例を重ね、首都圏大地震に備える国家的使命の一つである、人的被害の軽減策(危険の移転)として、首都圏に居住する人を、安全な北本市への移住を促すプロジェクトを計画し、「北本市が担う国家的使命」としてアッピールすることは、インパクトのある情報発信になる。こういう発想から次のまちづくりの可能性が広がるのであろうと、メモを取りながらイメージしました。両氏とも、地域振興策の一つとして、北本市が負担できる範囲内の新駅建設について言及しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする