素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『白洲家の流儀』

2011年01月27日 | 日記
 庭のスイセンがちらほらと咲いてはきたが、連日の寒さにまだこごえている感じである。「お水取りが終わらないとだめやね」というのが決まり文句のようにあちこちで耳にする。

 昨日の映画はMOVIX京都で見たのだが、同じビルに紀伊國屋書店があり、上映まで1時間ほどあったのでブラブラと見てまわった。目的もなく書架に並べられた本を眺めていくのは楽しい。新刊本には知らない作家がたくさんいたり、大学の頃読んだ岩波新書が復刻されていたりなかなか興味深かった。

 不思議とこういう時向こうから飛び込んで来る本があるのだ。今回は2冊。白洲信哉著『白洲家の流儀』と諸田玲子著『お順』である。夕食後、さして見たいテレビもなかったので『白洲家の流儀』を読み始めた。白洲信哉さんの父は白洲次郎と正子の次男、母は小林秀雄の一人娘である。孫から見た三人の祖父母をテーマに本を書いて欲しいという依頼があって書かれた本である。

 白洲次郎と白洲正子の二人がなぜ今注目されているのだろうか。ということに対して“まえがきにかえて”の中で信哉さんはこう述べている。

 祖母の正子は著書の『かくれ里』で、「日本の国そのものが、世界のかくれ里的存在といえるのではないだろうか」と書いている。そんな日本が、近代西洋の物質万能主義に「追いつき、追い越せ」で100年たった。しかし、「欧米を追いかける時代」から「日本の伝統や文化を見直す時代」に入ったのではないだろうか。多くの人が「何かが変だ」ということに気づき始めているように思う。

 多くの人の中に、私も入っている。自分のアンテナにひっかかるものは、万葉集を始めとする古典、能・狂言、落語、浪曲、歌舞伎、旧街道、寺社仏閣、仏像などである。そういうものにふれたりする中で、自分の中に確固たるものを持ちたいという思いがある。

 半分ぐらいまで一気に読んだが、とても面白い。明日から週末にかけて、もっと寒さが厳しくなると予報では言っている。近くの中学校でも1年生がインフルエンザで学年閉鎖したそうだ。家にこもるのが一番!かな?
コメント
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