素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

アジア杯準決勝・韓国戦に釘付け

2011年01月26日 | 日記
 1月14日のブログで 『サッカーアジア杯カップ予選は、いろいろ論評されているが、私は日本チームはそんなに悪くないと思っている。負けないチームになっていくことが大切。』と書いたが、準決勝の韓国戦を見て直感は正しかったと思った。久しぶりに試合に釘付けになった。TV観戦で午前様になることはついぞなかった。ザッケロー二監督の就任挨拶からその後の動きをマスコミを通じてしかわからないが、とても自然体であると感じる。変な力みもなくチームづくりをしているように思える。誰が出ても戦力の変わらないチームづくりが見え、それらが選手にも反映していると感じる。

 ただ、個々の局面での個人の弱さは見えたので必ず壁に突き当たると思うが、チームとしてそこを乗り越える期間の我慢が日本のメディアやサポーターにあるかが課題だと思う。

 今日は午後から京都に出て映画を見てきた。

 歌舞伎座さよなら公演記念ドキュメンタリーである。2009年、歌舞伎座の建て替えによる休場が決まり、歌舞伎座さよなら公演が始まり、その舞台に出演した名優たちの歌舞伎座への思いを語り、名場面の舞台と稽古場風景や楽屋の日常、美術、音曲、衣裳、かつら、床山、小道具、大道具など舞台の裏方も捉え、さまざまな角度から歌舞伎座を映しだしていた。3時間におよぶ大作だが時間を忘れて引き込まれた。

 たまたまだが建て替えになる歌舞伎座の出来たのが昭和26年ということもあり、60歳になったばかりの私にとっては今日この映画に出会えたことは不思議な縁を感じた。仲人に感謝である。自分なりにこれからも自分を磨くことをしていこう。という気持ちがさらに強くなった。 

 
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60歳に到達

2011年01月25日 | 日記
 世間的には区切りの年齢になった。今日、退職共済年金請求の書類を書き郵送したが、年齢欄に60と記入すると少し違う自分になったように感じた。しばらくすれば慣れてしまうだろう。

 考えてみれば人間は自分がこの世に誕生するまでのことと誕生後3年ほどのことは何一つ知らない。そして、物心がついてくると周りの人の会話の中や写真から記憶にない自分の誕生前後の物語をつくるのである。暖かい物語をつくることができる人は幸せである。

 自分の誕生した㍼26年の世の中の動きを好奇心で調べてみた。戦後の混乱期を脱し、新しい動きが始まった時期だと思う。 

01/03 第1回NHK紅白歌合戦放送.
01/24 山口県で老夫婦惨殺(八海事件).
02/14 東京に猛吹雪.交通機関ストップ.
03/04 第1回アジア競技大会,インドで開催.日本は5競技に参加.
03/09 三原山大爆発(4.16再爆発).
03/31 結核予防法公布.
04/01 米屋の民営復活.
04/11 マッカーサー,連合軍最高司令官を罷免される.後任リッジウェイ中将.
04/19 ボストンマラソンに日本初参加.田中茂樹優勝.
04/24 国電桜木町事件,死者106人.
05/03 皇居前広場で政府主催憲法記念式典挙行.総評500人デモ,37人検挙.
05/05 児童憲章制定宣言.
05/08 IOC,日本の復帰を決定.
06/03 NHK,テレビ初の実験実況中継(プロ野球放送)
06/07 文化財保護委員会,第一次新国宝181件を指定.
06/20 政府,第一次追放解除(政財界人2958人)発表.
06/21 ユネスコ,日本の正式加盟承認.
07/02 朝鮮戦争休戦交渉の影響で,証券・繊維相場暴落.
07/04 文部省,第一次教職追放解除298人発表.
07/06 アナタハン島で敗戦を知らずにいた日本兵19人と"女王"、比嘉和子帰国.
08/01 日本航空発足.
08/06 政府,第二次追放解除発表(1万3904人).
09/01 民間放送(中部日本・新日本)開局.
09/04 サンフランシスコ講和会議開会.8日対日講和条約,日米安全保障条約調印.
09/10 「羅生門」,ベニス国際映画祭でグランプリ受賞.
10/01 全国紙,朝夕刊セット発行を再開.
10/04 出入国管理令・入国管理庁設置令公布(11.1施行).
10/14 ルース台風,死者・不明1200人.
10/19 日米親善野球開幕
10/28 メモリアルホール(旧国技館)で日本人初のプロレス試合(力道山対ブラウンズ)
11/02 公娼復活反対協議会結成.
12/18 三越スト.
12/21 大山郁夫,スターリン平和賞受賞.


 私自身もジグザグと歩んだ60年であった。たくさんの偶然の積み重ねの結果現在の自分がある。自然と感謝の念が湧いてくる。

 
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大阪維新の会

2011年01月24日 | 日記
 今日の毎日新聞に、橋下知事の支持率が62%であるという世論調査の結果が出ていた。08年6月が66%、09年1月が69%、10年1月が70%なので就任3年目を迎えた今、少しかげりがでてきたといえるのか?地域政党「維新の会」を立ち上げへの戸惑いが反映しているのかもしれない。大阪維新の会は約3割の支持にとどまっている。4月の統一地方選挙に向けて、大阪に住むかぎり好むと好まざるとにかかわらず橋本知事を代表とする“大阪維新の会”の動きを無視するわけにはいかないだろう。交野でも30代の若い候補者が一人で本人と書いたタスキをかけて、1軒1軒ビラを入れている姿をみかける。ポスターを貼っている家も少しづつ見かけるようになってきた。

 ただ来年2月に任期満了になるが、今までの流れを考えれば44%の人が思っている「任期を全うして知事2期目に立候補」して民意を問うことが筋のように思う。関西広域連合をつくり、大坂都構想を押し進めようとするならば4年は必要であろう。ただ、東京と大坂は歴史の中で育まれて来た土壌が違うということを強く思うようになってきた。歴史的にも大阪市、堺市は自治の精神が根強くいきているように思える。そこにくさびを打とうとしているのだが、どうなるか?微妙なところである。

 総論が大きすぎて正直理解できない。これからどんどん話題にあがってくることはまちがいないのでしっかり考えていきたい。民主主義は自分の頭で考えることを抜きにしては成り立たない。
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獅子窟寺に寄り道

2011年01月23日 | 日記
河内森の駅からくろんど池への行き方には私市から月の輪の滝を経て入るコース、かいがけの道を通り傍示を抜けていくコース、神宮寺から石仏の道を通るコースなどあるが、中でも1番ハードなのが獅子窟寺からの山越えで入るコースである。25,6年前の学年の秋の校外学習で、クラス毎に違ったコースを選択してくろんど池に行くという案が提案された。今のように携帯電話道もなく、道もまだ整備されていなかったのでクラス単位に動くことはリスクも多かったが、私も30代前半であったし、大半が20代であったので「いけいけ」精神で決まったように思う。

 私のクラスは1番遠回りになるコースを選び、新任3年目の男の体育教師のクラスが獅子窟寺の山越えコースを選んだ。ハードだが最短距離なので1番にくろんど池に着くだろうと思っていたし、若い担任もはりきっていた。私のクラスは「なんでこんな遠回りを選んだの?」と生徒からブーイングをうけながらくろんど池を目指した。ちょうど12時前に予定通り着き、全クラスそろっただろうと思ったら、山越えコースのクラスが到着していないという報告を受けた。結果としては山中で道に迷い1時間以上さ迷い、昼食も山の中で食べて、みんなが帰り支度に入った頃ようやく合流できたのである。トランシーバーしかなかったので担外の教師が方々に散り、連絡をつけるのに大変な思いをした。

 その前に獅子窟寺に下見に行った時、トイレは使うな、境内は静かに通るようにと邪険に言われたこともあって、それ以来獅子窟寺は鬼門であった。

 河内森の近くにある“ゆうゆうセンター”に用があり、2時間ほど時間にゆとりがあったので獅子窟寺に行ってみようと思い立った。山に入ると道は結構急な登り坂になる。自転車を押して20分ほど上がると仁王門跡に着いた。

      そこからはさらに道が急勾配になっていたので、自転車を押すことはやめて、仁王門跡の所に置いて、本堂に向かった。ほとんど記憶に残っていないのだが、ずい分整備されてきれいになっているという感じがした。

  国宝・薬師如来坐像が安置されているのだが、10cmほど開いた戸の隙間から姿を拝めるようになっていた。寺伝によると、1300年前役小角(えんのこづめ)という修験者が金剛山からここの岩窟へ来て、薬師浄土を開いたという。

 境内には、獅子窟と呼ばれる巨石や修験場とみられる岩場が残っている。

   

岩を両手で抱いて自分の願いを1つだけ3回唱えると叶えてくれるという天福石(大黒石)もあった。災いを転じて福となすということからつけられた名前だそうだ。お願いをしたかいがあってさっそく今日の17:24にハッピーなメールが入った。

 ちょうど時間が来たので、一気に自転車で山を下りたのだが、ブレーキが焼けないかなと心配するほどだった。近くの岩船神社も巨石が祀られていて、岩場巡りができると聞いているので行ってみようと思う。
 

  


 

 

  
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健康の極意は「歩く」ことか

2011年01月22日 | 日記
 娘と孫が午後から沖縄のみやげを取りに来るというので、ジムには朝から行くことにした。近頃は1日の体のリズムから考えると午後に強めの運動をしたほうが合理的なので午前中のジムは久しぶりである。沖縄旅行以後19、20日では30分5km(時速10km)、60分9kmという今の自分にとっては最高に厳しいノルマをクリアできている。昨日は気分転換に山歩きをしたので足のほうは少し重いが今日もクリアして3回連続をねらった。30分5kmは少し余裕でクリアしたが、残りの30分に入るとやはり足のほうが厳しくなってきた。途中歩きを入れて回復を図りラスト10分で追い込み何とか60分9kmをクリアした。明日は完全休養である。

 最近NHKの“ためしてガッテン”では「血管の若返り」“爆笑問題のニッポンの教養”では「ミトコンドリアで若返れ!」を放送していたが、つまるところ「腹八分目にして、よく歩く」ことが血管を若返らせ、細胞のミトコンドリアを増やすことになる。ということで格別新しい方法ではなく、日常地道に体をよく動かすことしかないという結論であった。

 大学時代、応援団に入っていたのだが、その時の練習が“健康法”の視点から見ると理にかなっていて今の私のベースをつくったのではと考えるようになった。

 合宿のスケジュールは、朝6時から30分間正座して黙想。その後体操、腕立て伏せ、腹筋運動をしてから5kmのランニング。朝食の後9時から12時まで“基礎トレーニング”と称するもの。大きく3つに分かれていて、①立った姿勢での腕ふり→その時はとてもつらかったが、肩周りの関節や筋肉には良かったと思う。今に至るまで肩こりを知らない。②しこを踏む姿勢での腕の振り→しこを踏む姿勢は下半身を鍛えるトレーニングの代表スクワットと同じ効果がある。③発声→大きな声を出すことは精神衛生にとても良いし顔の筋肉も鍛えられる。この3種類を少しの休憩をはさみながら3時間ダラダラとするのである。当時は「サッサとすませて早く休みにすれば良いのに、いじめや!」と思ったが、今流行のスロートレーニングであった。

 午後は14時から17時まで“演武”。「青龍白虎」をはじめ歴代のメンバーがつくり継承してきた型を見よう見真似で覚えるのである。これは速いテンポの太極拳と考えてよい。20時から21時が型の不十分な部分の特訓。私は腕の回転の右左が苦手であった。そして22時消灯。

 これが将来の健康な体の土台になるとは夢にも思っていなかった。
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