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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「3」にまつわる話

2010年12月25日 | 日記
 「3分間の女の一生」の帰りの電車の中、真っ先に思ったのは中学時代の思い出。一時期ボクシングに夢中であった。1962年にファイティング原田がポーンキングピッチに勝ち世界フライ級の王座につき、減量の失敗からリターンマッチですぐに奪われたチャンピョンベルトを翌年海老原博幸が取り返すなど格闘技としてボクシングは人気があった。友人の家におじゃまして、座布団をグローブのようにつけボクシングの試合に興じていた。その時感じたのは『3分間は長い!』ということである。特にトレーニングと称してシャドーボクシングを交互にやったりしたが、3分間打ち続けるのは結構しんどい。5ラウンドでもしようものならフラフラである。図体の大きい中学生がドタバタしたわけでうるさかっただろうし、畳もずいぶん傷んだのではないかと思う。寛容な心に感謝である。ボクシングの試合時間3分は絶妙の長さであることを体感した。

 確かに人間生活の中で3分というのは多くの所で基本単位になっている。そもそも『3』という数字が人間にとっては特別な数ではないかとも考えた。われわれの暮らす世界が“縦、横、高さ”の三次元であるし、“天、地、人”“陸、海、空”“心、技、体”“知、情、意”“上、中、下”“過去、現在、未来”“序、破、急”“生産、流通、消費”“第一次産業、第二次産業、第三次産業”“ホップ、ステップ、ジャンプ”“守、破、離”“分裂質、躁鬱質、粘着質”“見ざる、聞かざる、言わざる”“正、反、合”など人間および人間生活に関するとらえ方には『3』が基本のものが多い。色も三原色であるし、音楽の和音も三が基本。キリスト教では三位一体。三段論法が説得の基本。三人娘、御三家などトリオで売り出すのも芸能界の定番。

 と考えると『3』を意識することが人類の長年の知恵といってもいい。われわれは無意識のうちに考えたり、使ったりしているがもっと意識的に活用することで問題点を解決する道が見えてくるかもしれない。

 ごちゃごちゃした情報を3つの順番(流れ)に分けるとか3つのランク(クラス)に分けるとか3つのゾーン(パターン)に分けて整理して考える。第三者の目で見てみる。2つの相容れないものを合わせて3つ目のものを作り出すとかいろいろ考えられる。それらのことは“柔軟に考える”ということにつながるのでは。

 というようなとりとめのないことをJR伊丹から星田の間の40分弱の間考えていたのである。
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