塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

Weekdayの麺処巡り 麺壁九年 で 浅利と賀米昆布の冷やし

2024-08-28 12:19:14 | 麺_2024
 上井草1丁目にある「中華そば 麺壁九年」のXを拝見すると、本日
から期間限定麺「浅利と賀米昆布の冷やし」1,200円が振る舞われる
とか。では、伺いましょう。

 2020年3月10日に創業された同店は、姉妹店出来て現在3店舗。
どちらも独自のコンセプト麺を提供されている。

 登場した一杯、ビジュアルが素晴らしい。賀米昆布でとろみがつけ
られたスープに、菅野製麺所の特注全粒粉麺がすらりと麺線を並べ、
それぞれの具がまとめられて配色されている。一見しただけで食慾が
増してくる。

 特製チャーシューを丸めたり浅利貝の工夫や、さりげなく置かれた
アオサや紫蘇の蕾など、どれも口に含むと心躍る。美味しく頂いた、
ご馳走様。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 光悦の大宇宙 古今和歌集断簡

2024-08-28 05:25:38 | ミュージアム巡り_2024
 次は、上部が「古今和歌集断簡(本阿弥切)」(平安時代、伝小野道風
筆、彩䇳墨書、16.3/27.1cm、一幅、京都国立博物館所蔵)、下部が同
じく「古今和歌集断簡(本阿弥切)」(同、15.8/29.7cm)は、光悦が愛蔵
したと伝わることから「本阿弥切」と通称される古筆切。
 元は舶載の唐紙に書写された古今和歌集の小ぶりな巻子本で、全20
巻の内巻10の残巻と11の残巻を継いだ1巻と、巻14の大部分を残す1
巻を光悦が所持していた。筆者は平安時代の三蹟の一人、小野道風と
伝承されるが、その書風は道風の時代から下り、平安時代院政期のも
のと推定される。
 光悦が道風の筆跡に関心を持っていたことは「寄進状」(京都・本法
寺所蔵)のとおりだが、光悦の書風が本阿弥切から影響を受けたかどう
かは定かでない。ただし、本阿弥家では平安古筆の蒐集が盛んとなり、
その中に本阿弥切のような唐紙の調度手本が数多くあったことは確か
なようだ。
TNM(台東区上野公園13-9)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Weekdayの麺処巡り カネキッチンヌードル で 冷やし酢橘

2024-08-27 13:00:51 | 麺_2024
 まだまだ酷暑が続く今日この頃、向かった先は南長崎5丁目の「カ
ネキッチンヌードル」。こちらで冷やしを頂きます。

 限定メニューを見ると「酢橘の冷やしらあめん」1,400円がありま
した。三河屋製麺の特注麺を大盛りで頂きます。

 輪切りの酢橘が涼を呼びます。昆布水で少しとろみのついたスープ
が麺と絡んで、喉元からヒンヤリと氷の世界をイメージさせます。夏
は柑橘類の一杯がピッタリ、美味しく頂きました。ご馳走様。

 
カネキッチンヌードル
豊島区南長崎5−26−15−2F
11:30〜14:50 水曜定休日

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 光悦の大宇宙 寄進状

2024-08-27 05:32:58 | ミュージアム巡り_2024
 続いて、「寄進状 紫紙金字法華経并開結付属」(江戸時代、本阿弥光
悦筆、紙本墨書、33.5/47.1cm、一幅、京都・本法寺所蔵)。
 平安時代の書写と推定される「紫紙金字経」は、寄進状の中でも“道
風之法華経一部”と書かれ、青貝で装飾された箱と机とともに寄進する
と記してある。日付は正月13日、宛先は“本法寺御役者、宿坊法雅坊 
床下”とある。本法寺二十三世・日近上人によって元禄8年(1695)に表
装され同寺に伝存する。
 光悦が小野道風の筆跡として写経を寄進しているとおり、平安時代
の三蹟の一人である道風に強い関心を抱いていたことは、光悦が愛蔵
した「本阿弥切」からも伺える。本品は、道風筆とは異なった独特の
光悦書風で書かれている。慶長年間後半の書と推定される。
TNM(台東区上野公園13-9)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージアム巡り 光悦の大宇宙 書状 久円老宛

2024-08-26 05:17:30 | ミュージアム巡り_2024
 続いては、「書状 久円老宛」(江戸時代、本阿弥光悦筆、紙本墨書、
27.3/41.9cm、一通、TNM所蔵)は、“久円老”への返信とともに、
近況を知らせた書状。この久円老とは、他の書状にも登場する“九円”
と同一人物で、江戸への飛脚に関係する人物と推測される。 “竹庵
老”の文字もあり、こちらは上林竹庵家の宇治茶師・上林政信と考えら
れる。
 膳所での“御馳走”(もてなし)と述べられ、膳所藩主・菅沼定芳との
関係が伺える。光悦はそのもてなしに気力が尽き果ててしまったとも
述べ、今年の内は参上できないと断り、もし仰せとあれば来年に、と
結ばれている。
 この筆致から、仕事が老体にこたえている様子の文面で、寛永年間
中頃の光悦70代に入ってからの書状と判断できる。
 江戸時代の偉人300名の書状を集めた手鑑「尽壁帖」(池田成彬著・
1910年刊行)の中に、光悦は近衛家と小野道風の書流に学び “平安三
筆” の一人として称されたと紹介されている。
TNM(台東区上野公園13-9)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする