塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

Weekdayの麺処巡り ジャポネ で ジャリコ

2024-08-22 15:34:14 | 麺_2024
 本日は、先日渋谷でオープンした麺処へ向かおうとしたものの、突
然の豪雨に見舞われたので、急遽変更して銀座へGO。

 銀座ING3にある路メンスパの「ジャポネ」へ。昼前だったが並び
もわずかで、直ぐに着席。「ジャリコ」大盛り800円をコール。

 厨房は3名態勢で、それぞれ手際よくミッションが進められる。こ
こではいつも大盛りで、食べ終わると“横綱”でもいけたな、と思わせ
るほど完食。
 路メンスパで量も多くコスパなお店では、ここが一番。美味しく頂
いた、ご馳走様。

 雨も上がったところで、新宿御苑へ。娘の用事を済ませ、苑内にあ
るスタバで「サンシャインパインフラペチーノ」を頂き、涼みながら
古木に癒やされた。

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ミュージアム巡り 光悦の大宇宙 書状 加式少様宛

2024-08-22 04:44:29 | ミュージアム巡り_2024
 続いて、「書状 加式少様宛」(元和元年・1615、本阿弥光悦筆、紙本
墨書、一幅、TNM所蔵)は、「賤ヶ岳七本槍」で知られる戦国武将・加
藤嘉明の嫡男・明成に宛てた書状。
 明成の官途名は式部少輔で“加藤式部少輔”を略して「加式少」と書
かれている。内容は、明成から贈られた樽と麦麺の礼を述べるととも
に、“すちけ”による書き物の遅延と長らく訪問していないことを詫び
たもの。この“すちけ”とは、筋肉のけいれんを起こす筋気のこと。
 光悦は慶長17年(1612)から中風を患い、その頃から書風が変わった
と言われているが、元和元年の時点で思うように書けなくなった手の
不調を、中風ではなく筋気と認識していたようだ。
 書状の筆致にも筋気の影響が見られる。全体的に字間が詰まりがち
で、字粒が小さい。収筆は穂先を表さずに止める箇所が多く見られ、
穂先を押さえ込んだような運筆だ。
 書状の日付は、“後六五日”、すなわち閏6月5日で、光悦の存命中
に閏6月があるのは元和元年のみであるため、確実な作成年が判明す
る。
 そしてもう一幅、「書状 加式少様宛」(江戸時代、本阿弥光悦筆、
紙本墨書、28.1/46cm、一幅、TNM所蔵)も同じく、明成に宛てた
正月14日の書状。文中で“左馬助様”と呼んでいるのは明成の父・嘉
明。注文を受けた茶碗ができあがり、届けた見本の茶碗は“山新七”
(飛脚業務に携わる人物)の取り次ぎで返却したことと、本品はでき
あがり次第江戸に送る旨が記されている。
 この返し書きに“五明”を進上すると述べた後に、「少◯風気二御
座候へ共、物を書申候」と記されている。この空白の“◯”は、後世
の人の手で“中”の文字が削り取られたようで、光悦が中風を患って
いたことを示す書状として注目されている。
 そのような状況の中でも光悦は、依頼を受けた作品の揮毫を丹念
に進めていたようで、中風との闘いに奮闘努力する姿が偲ばれる。
TNM(台東区上野公園13-9)

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