続いては、「書状 久円老宛」(江戸時代、本阿弥光悦筆、紙本墨書、
27.3/41.9cm、一通、TNM所蔵)は、“久円老”への返信とともに、
近況を知らせた書状。この久円老とは、他の書状にも登場する“九円”
と同一人物で、江戸への飛脚に関係する人物と推測される。 “竹庵
老”の文字もあり、こちらは上林竹庵家の宇治茶師・上林政信と考えら
れる。
膳所での“御馳走”(もてなし)と述べられ、膳所藩主・菅沼定芳との
関係が伺える。光悦はそのもてなしに気力が尽き果ててしまったとも
述べ、今年の内は参上できないと断り、もし仰せとあれば来年に、と
結ばれている。
この筆致から、仕事が老体にこたえている様子の文面で、寛永年間
中頃の光悦70代に入ってからの書状と判断できる。
江戸時代の偉人300名の書状を集めた手鑑「尽壁帖」(池田成彬著・
1910年刊行)の中に、光悦は近衛家と小野道風の書流に学び “平安三
筆” の一人として称されたと紹介されている。
TNM(台東区上野公園13-9)
27.3/41.9cm、一通、TNM所蔵)は、“久円老”への返信とともに、
近況を知らせた書状。この久円老とは、他の書状にも登場する“九円”
と同一人物で、江戸への飛脚に関係する人物と推測される。 “竹庵
老”の文字もあり、こちらは上林竹庵家の宇治茶師・上林政信と考えら
れる。
膳所での“御馳走”(もてなし)と述べられ、膳所藩主・菅沼定芳との
関係が伺える。光悦はそのもてなしに気力が尽き果ててしまったとも
述べ、今年の内は参上できないと断り、もし仰せとあれば来年に、と
結ばれている。
この筆致から、仕事が老体にこたえている様子の文面で、寛永年間
中頃の光悦70代に入ってからの書状と判断できる。
江戸時代の偉人300名の書状を集めた手鑑「尽壁帖」(池田成彬著・
1910年刊行)の中に、光悦は近衛家と小野道風の書流に学び “平安三
筆” の一人として称されたと紹介されている。
TNM(台東区上野公園13-9)