自分の器や世界観を広げないとあすかの可能性も自分の器や枠の範囲に留めてしまう可能性があると感じるので。
様々な方々とお話ししたり、アートに触れたりして行くと、自分で見たり聞いたり感じたりして、自然と素直に自分の世界観を広げられたりするんですよねっ。
テニスの試合というのは、走らせる、下がらせる、時間奪う、振り遅れさせる、ミスさせる、などなど色々なモノを組み合わせて自分で好きなように創造できるアートのようなものです。
僕は昨日、子ども達に色や絵具で表現しましたが、
"僕はみんなに色々な色の絵具を渡して少し絵の描き方を教えているだけで、その様々な色の絵具を使って試合では自分の好きな絵を描けば良いんだよ。試合は自分の好きなように作る(デザインする)モノだから。"
という話をしました。
(実際には絵具を渡す、というより絵具の造り方を教えている、という方が近い表現かもですが。)
僕はベースのショットやその使い方、基本的な部分は教えますが、そういう部分を自分で理解したら後はやろうがやるまいが選手の自由で、自分の好きなように試合を組み立ててプレーすれば良いと思います。
その選手の試合はその選手のもので、選手が自由に描くアートです。
僕があすかの絵にそこは現実と色が違うから変えなよ!
と言ったらあすかは降りて来た色を見えたところに自由にのせていく色彩豊かで学問的な調和ではなくナチュラルな感性の色の調和、と言われるアートは存在しなくなります。
絵の具は揃えてあげても特に本番の試合に関して周りがとやかく言うモノではないと僕は個人的には思います。
(もちろん僕の個人的な意見なので色々な意見や方針があると思いますので、何かが正解で何かは不正解、という訳でもないと思います)
テニスというスポーツをより理解する上でも練習のとかは提案はしますけどね〜
試合は選手それぞれの個性の表現をするので、未熟な部分も含めてアートだと思います。
ですので、試合を見るのは常に興味深いですし、どんな酷い内容の試合でもアートです。
きっと今年も様々な想像からの創造を見せてもらえると思うので、たのしみにしてます!