カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

ひまわり。

2008-07-16 11:46:25 | Weblog

 今日も暑い。夏らしい日だ。

 セミの声も、空の色も、風も心地よい。

 自転車で仕事へ向かう途中にひまわりが何本か咲いている。

 青空に向かって、大きくて勇ましく、そして、どことなく、優しくあたたかいその姿に心は一瞬息を吹き返す。

 ひまわりが陽のまわりを追いかけるように、自分は何を追いかけるのか?何を見詰めているのか?

 風吹き抜けるまで考える。

 そのときは止まっていない。ペダルはこいだまま。風は頬をすりぬけていく。

 また新しい風のなかを自分は向かっていく。

 すべてを包み照らす太陽の下で。
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命日。その2。

2008-07-15 11:44:06 | Weblog
 セコビッチが亡くなった一年後。
 彼の八月の誕生日にリー子と自分でお墓参りに行った。

 セコビッチの母親が八王子の駅まで迎えに来てくれていた。
 墓地はとても大きく自然に囲まれたいい場所にあった。

 坂道を暑い暑いと言いながら登ってお墓まで着いた。手を合わせると少しほっとした。

 それから、三人で食事をした。
 運転をしていたセコビッチの母親はお酒を飲まず、自分たちだけ飲んだ。

 まずは自分が何をしてきたかなど、母親に聞かれ、それをお話していった。カルカッタのことなども話した。

 話していく上で自分も聞いていった。
 母親は抑うつ状態だった。毎日あまり眠れずに疲れ果てていた。どうにか仕事は出来ているということだった。
 セコビッチのことをたくさん話していた。しかし、亡くさせてしまったことをほんとうに悔やんでいた。その罪を抱え込むことによって、息子への愛を感じられているかのように。その罪で自分を苦しめれば苦しめるほど、息子の痛みに近づいていけるかのように。

 抑うつ状態の最中にいた。

 母親はそのとき、セコビッチの弟と二人で暮らしていた。この状況は弟にも、もちろん良くないだろうと感じていた。しかし、こうした時間がなければ、大切な人を失ったことを受け容れることが到底出来ないのだろう。

 「セコビッチはおかぁーさんを苦しめたいとはまったく思っていないでしょう」
 話しを聞いているほかは、唯一の事実を話すしかなかった。しかし、それは分かりきっていることでもあるが、それを受け容れる前に、それよりも、罪悪感、痛み、苦しみのなかでいることを選んでいた。その方が逆に落ち着いた心境に近かったのだろう。

 物語る必要があった。物語ることによって、いつか悲しみがあたたかさに落ち着くようなときが来ることを願った。

 リー子はこうした別れ・苦しみの話しを母親とすることが今までなかったから、話せてよかったと言っていた。

 リー子はセコビッチが亡くなる二ヶ月前に父親もガンで亡くしていた。
 その半年前、父親の余命が宣告されていた。

 その頃、飲んだときに、リー子は父親のこと、セコビッチのことを話していた。
 とても悩み苦しんでいた。それでも、どうにか、自分を保とうとしていた。

 いつも思う。健気に生きるその姿に心が奮える。素晴らしいと思う。いろんなことを学ばさせてくれる。

 
 
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命日。

2008-07-14 17:49:34 | Weblog
 アサダの命日は七月十七日。
 その日で六年経つ。

 毎年、命日の前に集まり、そして、命日は仕事をしているか、一人でいることが多かった。

 その期間がとても寂しかったことを思い出す。

 命日の一年後、夜中にアサダの彼女から電話がかかってきた。
 「誰と話していいか、分からなくなったから」そう言って、涙を交えながら長電話をした。

 その彼女も今は自分の知らない人と結婚して子供もいる。
 久しぶりに今回会った。いろいろとあるだろうが、幸せそうで良かった。

 変わらないものはない。常に変わっていく。

 リー子も来た。リー子はもちろん文化学院の友達。とても綺麗な子だ。
 リー子の彼はセコビッチと呼ばれていた。
 初めて、リー子から彼を紹介され、飲みに行き、飲んでいる間にセコビッチということになった。どんな過程だったか忘れたが、ただ笑っていたことだけ覚えている。

 アサダも自分も誰かの彼氏彼女で紹介され、いつも新しく友達になることをほんとうに楽しんだ。
 
 それから、セコビッチは白血病が発病した。

 セコビッチとリー子がアサダの見舞いに来たときのことをよく覚えている。一生懸命に応援していた。
 
 余命を知っている自分にはほんとうに辛かった。

 そのセコビッチも二年前の七月十七日に亡くなった。

 何の因果だが、そんなことは分からない。ただ二人とも、お笑い、プロレス好きだから、天国で楽しくやっているだろうと、みんなでは話している。

 セコビッチはお笑いを目指していた。

 セコビッチの相方はまだ夢を見ているだろう。葬式のとき、セコビッチの前で涙を堪えてネタをしていた。

 彼はまだ売れていない。セコビッチも心配しているだろう。

 {つづく}
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昨日は。

2008-07-13 11:54:13 | Weblog

 ほんとうに暑かった。みんな口を揃えて、「嫌がらせだ!」言って笑っていた。アサダの墓のまえで飲んでいるビールの缶が暑くなるくらいだった。

 久しぶりにみんなに会えたのは、ほんとうに楽しかった。みんなでたくさんアサダの話しをして笑った。

 何にも変わっていないような雰囲気があった。しかし、みんなのなかには変わったことがたくさんあるのが事実。この六年間。それはいろいろとあっただろう。

 アサダの集まりは、それを瞬時にあの頃に戻す。そして、アサダがいないことを何度も確認しなくてはならない朝が来る。

 今朝が目が覚めれば、祭りのあとのような寂しさがあった。たばこを吸いながら、それを味わった。

 「この寂しさは愛だよ。アサダ」

 寂しさをあたためる。ゆっくりとじんわりあたたかくなるところを感じる。

 そして、歩き出すから、自然に歩き出すから。

 なんの気兼ねもなく、楽しく会えるその集まりはかけがえのないもの。

 それをいつも頂いていることに、また気付いた。
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今日は。

2008-07-12 10:40:11 | Weblog

 アサダの七回忌。

 毎年、集まる命日の近くの週末はとにかく暑い。この暑さがほんとうに悲しく思えた何年かもあった。それは今思えば必要なときであった。

 日々、人は何かの形であれ、癒されていくことを覚えたようでもある。

 今日もほんとうに暑い。
 
 アサダの妹ともこは言う。「おにぃちゃんの嫌がらせ!そして、暑いなか集まる自分たちを見て、絶対笑っている」

 久しぶりに会えば、「暑いねー!暑いねー!」連呼しかない。「もう!アサダ!あちぃーよ」自分は言う。

 そして、みんなでアサダの思い出を話して笑う。

 仕事、舞台の本番、舞台稽古、病気、ドラマの衣装合わせ、母親の介護などで来れなくなった友達の思いもまとめて、アサダに会いに行く。

 ここ何日間か、よくアサダのことを思い出している。人を笑わせることがうまくて、笑うことが好きだった奴の冗談を思い出しては、一人で笑っている。

 毎年、夏になると、決まって、自主制作の映画を撮ろうということで話しが盛り上がった。とりあえず、映画のタイトルから決めていって、最後には笑いになる。
 そして、いつも飲んで酔ってお終い。

 今ではみんなが揃えば、楽に映画も取れるだろう。みんなのなかにはCGも作れる奴もいるし、カメラもある。

 まぁ、それでも、飲んでお終いだろうが。

 アサダが亡くなってから、だんだんとやっと分かってきたことは。
 それは一人ひとりがほんとうに違った形、違った時の流れを取りながら、アサダとの別れを受け容れて行っている。そして、アサダからの声を聞いているだろう。

 みんなが正しい。そこには唯一の答えはない。

 そして、それが分からなかった自分もいた。そのことも認められるようになった。

 今日はまた寂しくなるかな?どうかな?
 
 こうして、みんなに会えるは、自分の命がある限り、アサダからの贈り物であることは間違えない。

 とにかく、ビールを飲んで、みんなのアサダへの想いを聞いてこよう。

 そして、今日は飲みすぎるだろう。

 

 

 
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根気強く。

2008-07-10 12:09:58 | Weblog

 ゆっくりと自身の身に付けていったものは根強くあり続ける。

 簡単に手に入ったものは、また簡単に消えていくかもしれない。

 思い通りにならないことは思い通りに何をしようとしているのか、それに気付く手がかりになりえる。

 目に映るものがすべてではない。

 心で動き、心で観て、心で感じる。

 そこに何か誤りがあるのなら、そこを正し、そこを見詰め、そこを育て、そこを生きさせてあげていくことが必要になる。

 耕してあげればいい、精魂込めて、お米・作物を作る人のように。

 自分の心に向き合うことをすればいい。雨や風に悩まされることもあるだろう。しかし、そこから離れずに根気強くいれば、美しいものが出来るだろう。

 他人を違っていい。同じでなくていい。

 この世の中が、それを支え、見守っている。

 あなたはかけがえのない一人である。
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セミの声。

2008-07-09 12:32:01 | Weblog

 昨日、今年初めてのセミの声を聞いた。

 なんだかウキウキしてくる。その声に誘われ、スイカの味、祭りの賑わい、花火、海、山、川が心のなかで色濃くなり、夏を歓迎している。トム・ソーヤーになりたくなったりしてくる。

 すべて子供のときからのものだ。

 アイスを食べ過ぎてお腹をよくこわした。それでも、アイスを変わらず美味しかった。

 今は飲みすぎて二日酔いになっても、それでも、また飲んでしまう。ここはとっても似ている。

 分かっていることさえ、出来ないことがあるのもいいのではないか。そう思う。

 一昨日、カブト虫のメスを捕った。というか、歩いていたらいた。小さいときはクワガタ捕りにはよく言った。カブト虫を見つければ、ラッキーと思った。その感覚を味わった。

 カブト虫は仕事場のお子さんがいる人にあげた。喜んでいた。「今度、オスを」そう言って笑っていた。

 だんだんと分かっていく。子供から大人に変わるのではない。子供のままに大人になっていく。大人のなかには小さな子供がいる。

 こうした自身の内側にいる子供を大切にすることが良い。この小さな子供が大きく今もこの自分に言いたがっているものはたくさんあるだろう。その声を聞いてあげること、ほんとうに大切である。

 それは自分の心に静かに耳を傾けることである。

 青空に上がる入道雲をみるのがとっても好きだ。その理由は見つからないが、きっとあるだろう。

 そこには笑顔が溢れているような気がしている。

 遠くから風にのって、今、セミの声が聞こえてくる。
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大雨。

2008-07-08 11:31:36 | Weblog

 大雨注意報が川崎、横浜に出ている。

 雷も遠くから聞こえている。少し窓のそとの雨を見ていた。

 この雷の音は夏がもうすぐそばに来ているサイン。深く息をして、雨の香りを胸のなかにとり込んだ。

 この雨、悪くない。好きだなって思った。

 昨夜は週末飲みすぎたから、お酒は休刊日にしようと思っていた。それでも、知人から、「帰ったら、一杯やるでしょ。とりたての枝豆があるから、美味しいから少し持っていきなさい」「あっ、そうですか。ありがとうございます」そう言ってもらった。

 そして、休刊日にはならず、枝豆と焼酎を楽しんだ。気持ち焼酎はいつもよりも少なめにした。

 休刊日は今日にしよう。

 また、この気持ちも夜には変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。そんなところがある。それはそれでいいとも思っている。

 紀元一世紀のギリシアの哲学者{奴隷であったが解放され、ローマで哲学を教えた}ストア派の学者エピクテートスの言葉。

 「人はものごとによって混乱させられるのではなく、その受け取り方によって混乱するのである」

 ほんとうにそうである。
 その受け取り方は一人ひとり違う。昨日、書いたように抱えきれないものの下ろし方も一人ひとり違う。

 自己がどうあるかを知っていく、気付いていくことが救いになり、そこには、また誰かの愛が必要である。

 あなたが柔らかくあたたかく心があれるように。
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悲しいこと。

2008-07-07 11:40:28 | Weblog

 ほんとうにどう対処をしたらいいか、答えがまったく見えないようなときがある。

 何のために。何の理由で。何の表れで。

 昨夜遅く、仕事場の男の子が話しをしにきた。仕事から、そのままでは到底、家には帰れないような心持ちだったようだ。

 いつでも、自分の想像を超えたものが表れる。それが苦しいものであれば、第一に拒否をするだろう。

 人は抱えきれないものは意識せずとも下ろそうとする。その下ろし方は人によってさまざまだろう。
 次にしっかりと向いていけるように、正しくその下ろし方をその人自身が身に付けられるように少し支える。

 そう出来るように願う。
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酔いつぶれて。

2008-07-06 15:29:01 | Weblog

 昨日は山谷の帰りにニルマル宅で飲んだ。
 酔いつぶれて寝た。チワワのしょうちゃんと仲良く寝ていたらしい。

 MCのシスター方でボランティアをしている谷口さんも来た。

 酔いつぶれて寝る前までマザーの話しや日本のMCの問題なども話し合っていた。

 いつでも、どこでも、問題はある。自分のなかにもあるだろう。しかし、否定的なことばかり口走り、憂さを晴らすようなことから愛は生まれない。

 その問題から教わるような態度であることは良いだろう。それに向き合えるような勇気が愛を生むかも知れません。

 山谷では多くのおじさんたちが抱えきれないような苦しみを持っている。そして、ときに憂さを晴らしたいと、それをあらわにすることもある。
 彼らが抱える、抱えているものが憂さを晴らすことによって、ほんの少しでも軽くなるのであれば、それを晴らしてもらうことをする。
 どんな苦しいことでも言葉に表すことによって、その形を変え始める。その大切さを知り感じることによって、自分たちの態度はどうあるか、どうあるべきかは自分たちの問われていることである。

 昨日、あの死にたいと言っていたおばちゃんに会った。
 少し和らいだ顔をしていたことに安堵した。先週よりも元気そうな顔に安堵した。

 こうしたことを感じる自分の内側には、元気が良い、元気がないと悪い、そうした思い込みがあることを感じていた。
 もちろん、元気であることは何よりだろう。しかし、元気を装うことはとても辛いことである。
 
 元気でない人としっかりと向き合えることをした方が良いだろう。元気がないことをしっかりと受け止めてあげることが良いだろう。そうしたあたたかな態度が何かを変えていく。

 元気がなくてもいい、無理に元気を出さなくてもいい。その人のありのままと向き合えるような自分でいたい。そして、その人にはありのままであってほしいと望む。

 気が付けば、いつも目の前の人から教わっている。

 二日酔いの今朝、ニルマル宅でシャワーを浴びた。
 両足の親指には変わったマニキュアがあった。
 左にはへのへのもえじ。右にはスマイル。

 落書きが問題視されているが、これは変わったマニキュアなので、特におとがめなしにした。

 変わったマニキュアをしたまま、亀有のニルマル宅から帰ってきた。下駄をはいているので、罰ゲームのような感じも何気にもあらずだったが、楽しい思い出を身体の一部にしたまま帰ってきた。
 
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