シアルダーの駅の構内でのボランティアは一時中止していることを知らされた。
駅で働いていた韓国のボランティアの子が警察に呼ばれて「何をしているんだ。観光ビザだから働けないだろ」そう言われたらしい。
暫くの間、駅周辺を回っているとのことだった。たまにシスターと一緒にプラットホームを歩いているらしい。
こうした危険はいつでもあった。
ボランティアは働くということで、実は観光ビザでは出来ないのが当たり前である。
以前、書いたこともあるが、空港でボランティアをする{Work}という言葉を使っただけでマザーハウスに二度警察から連絡が行き、その頃、マザーの移動のための飛行機などを手配していたシスターに二度パスポートを渡し、そのシスターがうまく処理をしてくれたこともあった。
心のなかではこうした恐怖心があったのも事実だ。
国の病院などではなおさらだった。そこで捕まったら、強制送還されるかもしれないことも実は覚悟しながら働いていた。その日が自分の人生のなかで最後のカルカッタになることも考えながら働いていた。
それと同時に誰かが守ってくれているとも信じながら働いていた。
自分の病院での仕事はステーションの仕事をまとめているジムと知っていたし、MCのナンバー4、カウンセラーのSr,ニルマラマリアも知っていた。そして、神さまも、きっとどうにかしてくれるだろうと信じていた。
駅で新しく働くボランティアは常に駅の構内でインド人から声をかけられることに注意していた。
「何をしている?どこから来た?」など、声をかけられる場合はとてもナーバスにサラなどはなっていた。
一度、サラといるときに、自分はそう聞かれた人に丁寧にここでしていることを言うと、隣いたサラにも、その人は同じようなことを聞いた。
サラは最初嘘を付こうと少しあたふたしていたが、自分は大丈夫だよ、ほんとうのことを言えばいいと話したこともあった。結局、そのインド人とは握手をして別れた。
カナダ人のデイブも同じことを悩んでいた。
いつも自分は彼らに言った。
相手を観て答えることをするように。そして、笑顔で必ず対処するようにと。
大切なことは相手に不安や不満、不信感を抱かせないようなあたたかな態度で接するということである。
しかし、路上での仕事に慣れていない者は、それはとても難しいものであったと思う。
前々回の駅の仕事の初日にこんなことがあった。
カーリーガートに患者を運ぶ途中、タクシーの運転手はカーリーガートを知らず、そして、道も間違えた。
初日だったので、自分は静かにしていた。そして、患者を運ぶのに運転手には、道を間違えるまで何も話しはしなかった。
ハウラーのニューブリッジの道を行こうとしたので、自分は止め、ちゃんと話しをした。Uターン禁止の場所を無理に引き返した瞬間、前からスピードを上げたバイク一台走ってきた。
自分たちのタクシーを横切った瞬間から、彼が怒りに震えているのが分かった。
そのバイクに乗っていたのは非番の警官で、自分たちの乗っているタクシーを止めた。
目を大きく見開き怒り狂った顔をして、自分たちを怒鳴りつけた。
タクシー運転手はUターン禁止のところをUターンしたことを怒鳴りつけられ、ボコボコに殴られ、鼻と口から血を流し、泣きながら誤っていた。
「パスポートを出せ!お前たちは何をしているんだ!」怒り狂った顔はその怒りを留まらせず、乗客であるはずの自分たちを怒鳴り続けた。
自分はとにかく冷静に誤り続けた。口答えはせずにただ静かに誤った。心のなかでは、これでボランティアはお終いかなって思ってもいた。
一緒に乗っていたのはアイルランドとノルウェーの女性だった。そして、カーリーに運ぶ患者だった。
インドではこうしたケンカや何かのアクシデントがある場合、すぐに人が集まる。集まってきたインド人のなかで冷静な者がいたため、自分たちは違うタクシーを拾い、カーリーに向かうことが出来た。
しかし、深く心に傷付いたのは、そのドライバーがどうなったかがほんとうに心配なった。ライセンスを奪われてはいないか?そうすれば、養うべき家族はどうなってしまうのか?どんな怖い思いを今もなおしているのだろう?
胸が激しく痛み続けた。
カーリーガートに着いて、すぐにノルウェーの女性にタバコを吸ってくると言い、そとに出た。彼女は自分の対応の仕方をほんとうに褒めてくれた。
初日の息苦しい仕事だったが、信頼感を得ることが出来たことがいくばくかの救いでもあった。
路上で働くということは、こうした危険と常に伴う。だからこそ、笑顔の大切さを仕事中はなおさら一緒に働く人たちに伝えてきた。
感情的になることでうまく行くものも行かなくなってしまうことが多いだろう。そして、いつも自分の思う通りには行かない。ならば、自分が何を思う通りにしようとし、出来ないことでどんな感情が生まれてきているのか、そこから、どう回避行動をしているのか、してきたか、そうした自分を知ることの意味の大切さを語ってきた。
時はいつでも流れている。
きっとまた彼らが思うように働けることを祈る。きっとそうできる。