セコビッチが亡くなった一年後。
彼の八月の誕生日にリー子と自分でお墓参りに行った。
セコビッチの母親が八王子の駅まで迎えに来てくれていた。
墓地はとても大きく自然に囲まれたいい場所にあった。
坂道を暑い暑いと言いながら登ってお墓まで着いた。手を合わせると少しほっとした。
それから、三人で食事をした。
運転をしていたセコビッチの母親はお酒を飲まず、自分たちだけ飲んだ。
まずは自分が何をしてきたかなど、母親に聞かれ、それをお話していった。カルカッタのことなども話した。
話していく上で自分も聞いていった。
母親は抑うつ状態だった。毎日あまり眠れずに疲れ果てていた。どうにか仕事は出来ているということだった。
セコビッチのことをたくさん話していた。しかし、亡くさせてしまったことをほんとうに悔やんでいた。その罪を抱え込むことによって、息子への愛を感じられているかのように。その罪で自分を苦しめれば苦しめるほど、息子の痛みに近づいていけるかのように。
抑うつ状態の最中にいた。
母親はそのとき、セコビッチの弟と二人で暮らしていた。この状況は弟にも、もちろん良くないだろうと感じていた。しかし、こうした時間がなければ、大切な人を失ったことを受け容れることが到底出来ないのだろう。
「セコビッチはおかぁーさんを苦しめたいとはまったく思っていないでしょう」
話しを聞いているほかは、唯一の事実を話すしかなかった。しかし、それは分かりきっていることでもあるが、それを受け容れる前に、それよりも、罪悪感、痛み、苦しみのなかでいることを選んでいた。その方が逆に落ち着いた心境に近かったのだろう。
物語る必要があった。物語ることによって、いつか悲しみがあたたかさに落ち着くようなときが来ることを願った。
リー子はこうした別れ・苦しみの話しを母親とすることが今までなかったから、話せてよかったと言っていた。
リー子はセコビッチが亡くなる二ヶ月前に父親もガンで亡くしていた。
その半年前、父親の余命が宣告されていた。
その頃、飲んだときに、リー子は父親のこと、セコビッチのことを話していた。
とても悩み苦しんでいた。それでも、どうにか、自分を保とうとしていた。
いつも思う。健気に生きるその姿に心が奮える。素晴らしいと思う。いろんなことを学ばさせてくれる。
彼の八月の誕生日にリー子と自分でお墓参りに行った。
セコビッチの母親が八王子の駅まで迎えに来てくれていた。
墓地はとても大きく自然に囲まれたいい場所にあった。
坂道を暑い暑いと言いながら登ってお墓まで着いた。手を合わせると少しほっとした。
それから、三人で食事をした。
運転をしていたセコビッチの母親はお酒を飲まず、自分たちだけ飲んだ。
まずは自分が何をしてきたかなど、母親に聞かれ、それをお話していった。カルカッタのことなども話した。
話していく上で自分も聞いていった。
母親は抑うつ状態だった。毎日あまり眠れずに疲れ果てていた。どうにか仕事は出来ているということだった。
セコビッチのことをたくさん話していた。しかし、亡くさせてしまったことをほんとうに悔やんでいた。その罪を抱え込むことによって、息子への愛を感じられているかのように。その罪で自分を苦しめれば苦しめるほど、息子の痛みに近づいていけるかのように。
抑うつ状態の最中にいた。
母親はそのとき、セコビッチの弟と二人で暮らしていた。この状況は弟にも、もちろん良くないだろうと感じていた。しかし、こうした時間がなければ、大切な人を失ったことを受け容れることが到底出来ないのだろう。
「セコビッチはおかぁーさんを苦しめたいとはまったく思っていないでしょう」
話しを聞いているほかは、唯一の事実を話すしかなかった。しかし、それは分かりきっていることでもあるが、それを受け容れる前に、それよりも、罪悪感、痛み、苦しみのなかでいることを選んでいた。その方が逆に落ち着いた心境に近かったのだろう。
物語る必要があった。物語ることによって、いつか悲しみがあたたかさに落ち着くようなときが来ることを願った。
リー子はこうした別れ・苦しみの話しを母親とすることが今までなかったから、話せてよかったと言っていた。
リー子はセコビッチが亡くなる二ヶ月前に父親もガンで亡くしていた。
その半年前、父親の余命が宣告されていた。
その頃、飲んだときに、リー子は父親のこと、セコビッチのことを話していた。
とても悩み苦しんでいた。それでも、どうにか、自分を保とうとしていた。
いつも思う。健気に生きるその姿に心が奮える。素晴らしいと思う。いろんなことを学ばさせてくれる。