アサダは自分の友達のほとんど会った。
文化学院の共通の友達はもちろん、自分の小中の地元の友達、高校の友達、山谷のボランティアの友達、カルカッタで会った友達。
そして、多いに飲み笑った。
アサダが亡くなった病院には不思議なことに、アサダの命日が誕生日の自分の友達の医者がアサダが亡くなってから、沖縄の孤島で仕事を終えてから、仕事をするようになった。
今はガン患者も看ている。
もちろん、その友達もアサダには会っている。だから、その病院で働くときは「アサダさんのことを思い、働かせてもらいます」と言っていた。
アサダの病室では彼の中高の友達に一度会った。
薬の副作用で顔は晴れ上がってうまく喋れないアサダに少し引いていたようだった。
なので、自分はおもしろトークをしては、ドッカンドッカン、笑いを取った。あのときのトークはきれていた。初対面なアサダの友達もかなり笑っていた。
そのときのことがあり、葬式会場から、火葬場まで行くのに文化の友達やアサダの会社の人たちはバスに乗れたが、アサダの中高の友達はバスに乗れず、どうしようか迷っていた。
自分は彼らに声をかけた。「あとからおいで。行こう。」
地元の彼らは車で来ていたから、あとから来れた。
彼らも最後までアサダを見送りたかった。骨を拾い上げたあと、「声をかけてくれてありがと」彼らは言ってきた。
これはアサダが仕組んだことだろうと思っている。一つひとつが何か繋がっていたように思える。
「Tetsuアニィ、よろしく!」そんな言葉を感じたのかも知れない。
自分はアサダの死に目には間に合わなかった。
あの雨が上がるのを待っていたからだ。空を何度も見上げて待っていたからだ。
雨が上がるのを待たずに行けば、死に目には間に合った。
しかし、自分は雨が上がるのを待った。
アサダは「それは勘弁してくれよ。恥ずかしいしよ。これが最後じゃないだろ」って思ってたのかな。
死に目に間に合わなかったことは、なんとなく受け容れられていた。しかし、なんとなく心残りにもなっていた。
自分が病院に着く10分ちょっと前にアサダは息を引き取っていた。病棟に行くと、ナースも何人か涙を流していた。
息をしていないアサダがその場の時間を止めているかのように、とても静かだった。
終わったんだ。戦いは終わったんだ。痛み苦しむことはもう無いんだ。そう思った。
最後は家族と彼女に見守られて息を静かに引き取った。
それで良かったな。アサダ。そう思った。
アサダが望んでいるように毎年、みんな集まり、馬鹿笑いをする。お前がいつでも一つにしてくれる。
自分たちの命がある限りそうしてくれる。
理想ではない最後の状態だったかもしれない。それでも、それは誰の理想なのか?お前は孤独だったかもしれない。しかし、自分は思う。お前はお前自身をお前らしく最後まで立派に生き抜いた。それは言葉で表せば、どうしても安くなってしまうものであり、自分の内側にはっきりと在り続ける。それをこれからも出来るだけ輝かしていく。
お前との出会いはすべて良かったよ。アサダ、ありがと。
アサダと自分の物語りは、いつまでも続く。終わりはない。新しく描き始めることもあるだろう。まだまだ楽しみはある。
夏はまだこれから。そんな思いでいる。そんな思いで今を自分は生きている。