とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 202 『異国の丘』 ~異国の丘~

2017-07-26 23:27:42 | 日記
吉田正。この大作曲家の原点を振り返りたいと思います。

『異国の丘』 ~異国の丘~



吉田 正(よしだ ただし、1921年1月20日 - 1998年6月10日)は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家。死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞。
生涯作曲数は2400曲を越える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げ、日本歌謡史の黎明期を支えたひとりである。

略歴

1921年(大正10年)1月20日、茨城県多賀郡高鈴村(現在の日立市)に生まれる。
1939年(昭和14年)3月、日立工業専修学校卒業。
1939年(昭和14年)4月、増成動力工業株式会社に入社。
1942年(昭和17年)1月、満州国黒河省漱江に展開していた陸軍水戸歩兵第二連隊に入隊。
1944年(昭和19年)急性盲腸炎のためペリリューの戦いに参戦せず満州に残る。
1945年(昭和20年)10月、敗戦と同時に、ソビエト連邦シベリア地区に抑留される(シベリア抑留)。従軍中に作曲した『大興安嶺突破演習の歌』に、抑留兵の一人が『昨日も今日も』と言う詩を付け、よみ人しらずで抑留地に広まり歌われる。(後の『異国の丘』)
1948年(昭和23年)8月、NHKラジオの素人のど自慢でシベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い話題となる。
1948年(昭和23年)8月、ラジオ放送直後、舞鶴港に復員。半月の静養の後、話題も知らず入隊前の会社に復帰。
1948年(昭和23年)9月、佐伯孝夫が補作詞し、『異国の丘』としてビクターレコードより発売。
1949年(昭和24年)4月、日本ビクターに専属作曲家として入社。
1960年(昭和35年)12月、『誰よりも君を愛す』で第2回日本レコード大賞を受賞。
1962年(昭和37年)12月、『いつでも夢を』で第4回日本レコード大賞を受賞。同賞では後にその功績をたたえ『吉田正賞』を制定した。
1968年(昭和43年)12月、第10回日本レコード大賞特別賞受賞。
1969年(昭和44年)4月、芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1982年(昭和57年)11月、紫綬褒章を受章。
1989年(平成元年)日本音楽著作権協会会長に就任。
1990年(平成2年)12月、第32回日本レコード大賞功労賞受賞。
1992年(平成4年)4月、勲三等旭日中綬章を受章。
1993年(平成5年)3月、日本放送協会放送文化賞受賞。
1993年、日本作曲家協会会長に就任。
1997年(平成9年)日本作曲家協会名誉会長に就任。
1998年(平成10年)6月10日、肺炎のため死去。享年77。叙・従四位。作曲家としては3人目となる国民栄誉賞を受賞。日立市名誉市民として顕彰された。
2004年(平成16年)生誕の地である茨城県日立市のかみね公園に『吉田正音楽記念館』開設。
2005年(平成17年)日立市内の常磐線の駅(大甕駅-十王駅)の発車メロディに吉田作曲のメロディーが採用される。

代表作

歌謡曲

異国の丘(1948年/竹山逸郎・中村耕造)
東京の星空(1951年/吉岡妙子)
雨の夜のスーベニール(1951年/吉岡妙子)
落葉しぐれ(1953年/三浦洸一)
街のサンドイッチマン(1953年/鶴田浩二)
赤と黒のブルース(1955年/鶴田浩二)
おばこマドロス(1955年/野村雪子)
東京の人(1956年/三浦洸一)
好きだった(1956年/鶴田浩二、和田弘とマヒナスターズ) - 1959年にはマヒナがハワイアン風にカバー。
哀愁の街に霧が降る(1956年/山田真二)
有楽町で逢いましょう(1957年/フランク永井)
夜霧の第二国道(1957年/フランク永井)
東京午前三時(1957年/フランク永井)
夢みる乙女(1957年/藤本二三代)
泣かないで(1958年/和田弘とマヒナスターズ) - マヒナのオリジナル曲第1弾である。
好きな人(1958年/藤本二三代)
グッド・ナイト(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ)- 松尾和子のデビュー曲。
東京ナイト・クラブ(1959年/松尾和子&フランク永井) - 松尾和子のデビュー曲。
誰よりも君を愛す(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ) ○第2回日本レコード大賞
僕の東京地図(1959年/曽根史朗)
潮来笠(1960年/橋幸夫) - 橋幸夫のデビュー曲。○第2回日本レコード大賞(新人賞)
再会(1960年/松尾和子)
おけさ唄えば(1960年/橋幸夫)
喧嘩富士(1960年/橋幸夫)
夜がわるい(1960年/松尾和子)
花の大理石(マーブル)通り(1960年/藤本二三代)
木曽ぶし三度笠((1960年/橋幸夫)
磯ぶし源太(1961年/橋幸夫) ○第3回日本レコード大賞(作詞賞受賞曲)
南海の美少年(天草四郎の唄)(1961年/橋幸夫)
沓掛時次郎(1961年/橋幸夫)
江梨子(1962年/橋幸夫)
悲恋の若武者(1962年/橋幸夫)
慕情のワルツ(1962年/橋幸夫)
寒い朝(1962年/吉永小百合)
若いやつ(1962年/橋幸夫)
あした逢う人(1962年/橋幸夫)
いつでも夢を(1962年/橋幸夫&吉永小百合) ○第4回日本レコード大賞
花の折鶴笠(1962年/橋幸夫)
中山七里(1962年/橋幸夫)
伊豆の踊子(1963年/吉永小百合)
美しい十代(1963年/三田明)
二人の星をさがそうよ(1963年/田辺靖雄)
後追い三味線(1963年/榎本美佐江)
若い東京の屋根の下(1963年/橋幸夫&吉永小百合)
光る海(1963年/吉永小百合)
嫁ぐ日まで(1963年/吉永小百合)
舞妓はん(1963年/橋幸夫)
白い制服(1963年/橋幸夫)
通天閣の灯(1963年/橋幸夫)
若い歌声(1963年/橋幸夫&吉永小百合)
雨の中に消えて(1963年/吉永小百合)
お嬢吉三(1963年/橋幸夫)
赤いブラウス(1964年/橋幸夫)
そこは青い空だった(1964年/橋幸夫&吉永小百合)
青いセーター(1964年/橋幸夫)
霧の中の少女(1964年/久保浩)
恋をするなら(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
ごめんねチコちゃん(1964年/三田明)
ゼッケンNO.1スタートだ(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
若い二人の心斎橋(1964年/三田明&吉永小百合)
チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム(1965年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
キューポラのある街(1965年/吉永小百合)
若い翼(1965年/三田明)
明日は咲こう花咲こう(1965年/三田明&吉永小百合)
おまえに(1966年/フランク永井)
恋人ジュリー(1966年/三田明)
夢みる港(1966年/橋幸夫&吉永小百合)
勇気あるもの(1966年/吉永小百合&トニーズ)
恋と涙の太陽(アメリアッチ)(1966年/橋幸夫)
海に泣いている (1966年/トニーズ)
シンガポールの夜は更けて(1966年/橋幸夫)
殺陣師一代(1967年/橋幸夫)
愛の世界 (1967年/吉永小百合&トニーズ)
恋人たち (1967年/吉永小百合&トニーズ)
娘たちはいま(1967年/吉永小百合)
恋のメキシカン・ロック(1967年/橋幸夫)
佐久の鯉太郎(1967年/橋幸夫)
花太郎笠(1968年/橋幸夫)
和歌山ブルース(1968年/古都清乃)
加茂川ブルース(1968年/フランク永井)
夜明けの二人(1968年/橋幸夫)
赤い夕陽の三度笠(1968年/橋幸夫)
乙女川(1968年/橋幸夫)
鯉名の銀平(1969年/橋幸夫)
傷だらけの人生(1970年/鶴田浩二) ○第13回日本レコード大賞(大衆賞)
子連れ狼(1971年/橋幸夫) ○第14回日本レコード大賞(大衆賞)
未練の女(1971年/日吉ミミ)
京ごよみ -沖田総司-(1974年/橋幸夫) ○第16回日本レコード大賞(中山晋平・西条八十賞)
花の喧嘩旅(1975年/橋幸夫)
股旅グラフィティ さらば渡り鳥(1977年/橋幸夫)
法師の宿(1980年/橋幸夫)
古葉,大洋よ覇者となれ(1989年/大石吾郎)
春来川慕情(1990年/松尾和子)
サンタマリア(1991年/武井つかさ)
面影渡り鳥(1996年/橋幸夫) 最後のビクターヒット賞受賞曲
など(Wikiより)

異国の丘