フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

ZYXの「白いTOKYO」を観ながら村上愛を懐かしむ

2008-06-06 11:17:55 | ハロプロ(ユニット)
ZYX Siroi-Tokyo
 先日、あぁ!再結成希望の記事を書きましたが、今回は「ZYX」の事を書きます。なんか最近、過去の事を書いた記事ばかりなんじゃ?と言われそうですが、決して現実逃避している訳ではありません(苦笑)。ZYXの事を書きたいなというのは少し前からありまして、今日まで温めていたのです。

 ZYXって書いても、何それ?という方もいると思うので、メンバー構成を書きます。ZYXは2003年夏に結成されたユニットで、矢口真里をリーダーに、ハロプロキッズから選抜された、梅田えりか、清水佐紀、矢島舞美、嗣永桃子、村上愛(以上、生年月日順)の計6人によるユニットでした。ZYXって名前は、まあ響きで付けたんだと思いますが(苦笑)、「絶対、夢を、倍にする」という意味があるそうです。

 そんなZYXですが、1stシングル「行くZYX!FLY HIGH」を矢口ラジオで初聴した時は衝撃でした。矢口がキッズ引き連れてユニットを作ると聞いた時は、どうせミニモニ。の二番煎じだろ…と思っていたのです。矢口自身も、子供向けの歌を歌うのだろうと思っていたとラジオで語っていたくらいです。
 ところが仕上がった曲は、かつての「太陽とシスコムーン」を思わせるアッパー(笑)なダンスチューンでした。ちなみに、C/Wは「ガタメキラ」のカバーだったりします。
 映像で見て更に驚いたのは、矢口がセンターではなくキッズを前に押し出していた事でした。コーラスワークなどにおける矢口の名脇役っぷりは、一期タンポポや娘。初期曲(メモ青とか)で発揮されていましたが、ZYXでも見事な脇役仕事を見せ、ZYXは思っていたより「聴ける」作品として世に出てきました。しかし、まだこの頃の自分は、それがある一人の才能も大きく作用していた事に気づいていませんでした。不覚…。

 2003年12月に発売された2ndシングル「白いTOKYO」は、1stシングルから路線が変わって二期タンポポのような青春爽やか路線ブリティッシュポップ風味で来ました。聴き始めの頃は、「ちょっとアップテンポな王子様と雪の夜」としか感じなかったのですが、映像を見てイメージ一新。少し成長したキッズ達が白い衣装に身を包んで華麗に踊る。その姿はまさに「白い妖精」。正直、矢口が浮いてるようにさえ感じた訳です。「キッズだけでもいいんちゃう?」そう思わせてしまう…これはもう事務所の戦略勝ちでした。近いうちにキッズだけのユニットが来るであろう事は、薄々感じていた頃でしたから。

 その白い妖精達の中でも、センターで抜群のダンスを見せソロパートも多く、事実上ZYXのエースになっていた「村上愛」に私はやられました。村上の事は知っていましたが、それまでの印象は「ミニ○」みたいな子という失礼な印象でしかなかった訳です。ところが、この曲を華麗に歌い踊る姿は非常に魅力的で、この曲は彼女のために作られたものに違いない!と思えるほどにハマっておりました。「ミニ○」みたいと思ったルックスも、よく見れば愛嬌が感じられてヨイではないですか!
 ヲタなんてものは、こんな調子で落ちる時は簡単に落ちていきます。2003冬、私は晴れて「めぐヲタ」になったのでした。仮にヲタ名刺というのを作っていたなら、肩書がまた一つ増えた事になります。

 この頃の私は、来るべくキッズだけのユニットは菅谷梨沙子と須藤茉麻(当時、茉麻はキッズの中心的存在だった)を中心としたもので、ZYXはそれとは別に活動していくのだろうと思っていました。
 しかし、年が明けて発表されたキッズだけのユニット「Berryz工房」に、ZYXから清水嗣永が参加した事でZYXは自然消滅となりました。

 改めて「白いTOKYO」のPVを見てみると、めぐの存在感が有りすぎである事を実感します。今はプロな方も、この頃は正直地味メンです。しかも、ピンクが似合うブリっ子キャラではなく、どちらかと言えばボーイッシュな感じ。
 梅さんや舞美に至っては濃い感じが漂っている上に、舞美は今と別人で少し日焼けしてて今以上にアスリート風味。
 佐紀ちゃんは…、佐紀ちゃんはあまり変わっていないですね(苦笑)。でも、それがいい

 ZYX最年少だっためぐは、このPVの頃はまだ小学生なんですよね。早熟の天才、そんなフレーズを使っても過大評価ではないですよね?
 ZYXが自然消滅した事により、暫くめぐの表立った活動はなくなってしまったのが、今に思えば残念です。2004頃のめぐの映像って、ハロプロコンサートDVDと「横浜蜃気楼」PVくらいでしょうか。あの頃の℃-uteメンバー(当時はまだ℃-uteという名前はなかった)の心中を思うと胸が痛みますが、おそらく己のスキルに自信を持っていたであろうめぐは、Berryz工房をどんな風に思いながらこの時期を過ごしていたのか気になります。
 この時期、ZYXは無理でも「村上愛センター」のユニットを作っていれば、めぐのアイドル人生も変わっていたかもしれない…そんな勝手な妄想をしてしまいたくなるほど、白いTOKYOとZYXのめぐはハロプロの金の卵であったと私は思っています。


 ZYXについて書いたつもりが、気づけば村上愛絶賛記事になってしまいました(笑)。まあ、今日は「村上愛誕生日」だから良いのです。
 めぐ誕生日おめでとう!高校には行っているんですよね?楽しいですか?新しい夢は出来ましたか? 「℃-uteを誰にも負けないグループにする!」と、辞める前まで言っていためぐのマイク番号が、その後も℃-uteのマイク番号で欠番になっている事は知っていますか?

 育まれた才能が、あっけなく消えていった日を味わった私は、めぐがハロプロを去ったあの日から、安易に○○イラネとか、○○辞めろとか言う事の出来ないヲタになってしまいました。

 と、こんな感じなのですが、暗い結びになってしまってスイマセン。ここ数日、色々とネガティブになっているヲタが多いみたいなんで、ポジティブな記事にしたかったんですが、めぐの事になると「無駄に文は長く」なるし、暗くなってくるし、まだまだ修業が足りないみたいです。反省します。

 今日のBGM めぐる恋の季節 / ℃-ute

白いTOKYO PV
http://jp.youtube.com/watch?v=s-35t0oR9Hs

白いTOKYOのTV出演映像を編集した映像(作者さんの熱意を感じます)

http://jp.youtube.com/watch?v=Cfm2nOrpimY&feature=related
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする