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Nonsection Radical

撮影と本の空間

そんな事ありえない、って

2015年02月18日 | Weblog
少し前に、ももクロとラッツ&スターの黒人を模したスタイルが騒ぎになったでしょ。
それで西欧と日本との黒人問題に関しての認識が違っていて、日本人は無自覚だと”批判”があったじゃないですか。
それでビックリしたんだよ。
何がビックリしたかって、いくらラッツ&スターが黒人音楽に親しみや敬意を抱いて黒人を模した姿をしたと言っても、黒人を模した姿をするのはすべて差別の対象として蔑むためなんだという共通認識が黒人にも白人にもあって、親しみや敬意を抱く事なんてありえない、って考えにだよ。
それってプレスリーが黒人音楽の要素を取り入れた歌を唄って”批判”を浴びた時代と全然変わっていないじゃないのさ。
黒人は黒人、白人は白人、黄色は黄色って、実はきっぱりと人種を区別している”思想”を持っている裏返しだろ。
その”思想”を持っているってことに西欧の人は無自覚であるって逆に言いたいよ。
そんなだから、黒人(の音楽)に対して親しみや、敬意を持つはずがなく、差別であるとしかとらえられないんじゃないのかね。
逆に、日本人が白人に対して親しみや敬意を持つ事に対しては、どう思うのかね。
マイケル・ジャクソンの肌が白くなっていったことに、黒人側は”裏切り”という感情を持ったなんて聞いたけど、では白人側は差別だと感じたのだろうか。
常に白人は憧れる存在であるという思いがなかったのか。
だからももクロが日本外国特派員協会での記者会見をとりやめたという話があるけど、それこそ外国人の記者たちに黒人音楽から黒人に対して親しみや敬意、あこがれを持つかって訊いて欲しかったよ。白人や黒人の記者さんにさ。
日本の文化にあこがれて来日し、サムライの生活様式を真似る白人外国人なんて話はよく聞くけど、それを我々日本人はバカにしているとは思わないし、単に日本の文化にあこがれを持っているんだなぁと素直に思うじゃない。
日本人はそう思うんだよ。
そう思う事が間違っていると思うんじゃなくて、そう思うんだと”主張”すべきなんだよ。
西欧の黒人差別の意識を真似する必要はないんだよ。
黒人を差別しているのは我々じゃなくてあっちなんだから。
だいたい黒人は自ら「Black is Beautiful」って宣言したじゃないのさ。
それに対して、そうだBlack is Beautifulなんだと行動したら差別だと言われるのかね。
そんな事はありえない、って考えは白人を中心にした西欧の考えで、日本ではそう思う人もいるんだ。
別に白人社会の基準に合わせる必要などないんだ。
Black is Beautiful!




元町の街並み 1
兵庫県豊岡市元町
撮影 2014年8月2日 土曜日 14時25分
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ついで買い

2015年02月17日 | Weblog
カイロのベンジンがなくなるので、以前購入したドラッグストアに行ったんだけど、季節も末となってか売っていなかった。
ついでにと目薬購入。
ホームセンターに行ってみるが、やはり在庫なし。
ついでにコードのクリップ購入。
別のドラッグストアに行ったが売っていない。
ついでにクッキーと炭酸飲料購入。
最後に駅前のドラッグストアに。
なんとあった。
もちろん購入。
ベンジン1本買うのに、ずいぶん「ついで買い」してしまったぁ。
こうして商売は成り立っているのを実感。orz



上町通り
長崎県長崎市上町
撮影 2014年3月21日 金曜日 15時05分
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知り合い友だち恋人

2015年02月16日 | Weblog
家人が社内の別の部署にいる独身者同士を引き合わせる算段をしたという。
まあ「遣り手婆」だな。
ジョシはアラフォー、ダンシはアラフィー。
まあジョシ、ダンシと呼ぶべき年齢なのか。
どちらも恋人いない歴=年齢というが、二人とも性格は良いらしい。
まあ縁がなかったという事か。
家人がそんな遣り手婆行為をしていると、いろいろ雑音も入ってくるらしい。
そんな簡単に引き合わせてイイものか・・・とか。
それでそんな話をこちらに向けてきたというのもあるのだろう。

で、話したのは、
二人には社内にも社外にも同性異性かかわらず友だちも少ないらしい。
そんな二人が縁があれば結婚したいと思っているのが不遜であると。
いきなり結婚相手を探すというのではなく、せめて友だちを探す事から始めた方がいいのではないのかと。
たとえ二人を引き合わせても、それでは単なる「知り合い」になるだけなんだし。
知り合いと友だちは違う。
知り合いは単に知っているだけの関係なんだから。

社内で合えば知り合いだから声を交わすようにはなるだろう。
それはそれで知り合いが増えたのだから結構な事であると。
同様な事を繰り返せば知り合いが増えていく事になる。

その中から気の合う人が出来れば友だちになれると。
それはそれで友だちが増えたのだから結構な事であると。
同様な事を繰り返せば友だちが増えていく事になる。

その中から恋する人が出来れば恋人になれると。
それはそれで恋人が出来たのだから結構な事であると。
同様な事を繰り返せば恋人が増えていく事になる。(笑)

その中から結婚したい人が出来れば結婚出来ると。

たとえそうならなかったとしても、知りあいも友だちも増えて、以前よりも豊かな生活が送れるではないかと。
結婚相手を持つ事よりも、豊かな友人関係を持つ事の方が大切なのではないか。
だから敷居を低くして、交友関係を広げる手助けをしていると思えばいいのではないか。

そんな話をとんとご無沙汰の家人と電話越しにしたところ
家人「そうだよねぇ・・・今は私たちも読書を通じた友だちだもんねぇ」
satobo「違うよ。友だちじゃなくて、単なる知り合いだから」
家人「・・・・」



元町通り
滋賀県東近江市垣見町
撮影 2014年12月13日 土曜日 11時45分
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デジタルプリント

2015年02月15日 | Weblog
大阪のニコンサロンで開催されているフォトコンテストの写真を見て「ありゃりゃりゃ」と思った。
なんですかこれは?と眼を凝らして細部を見るが、どの写真もデジカメ写真を拡大しすぎたときに現われるモジャモジャがひどいし、モノクロは網点印刷みたいだし。
シャープネスのかけ過ぎで輪郭が変だし、妙に派手だし。
確かに入賞作品という事で大きなサイズに「プリント」した結果、データの限界を超えたのかもしれないけど、それにしてもなんか変だ。
これまではデジタル写真にはデジタルとしての利点もあると考えていたんだけど、ひとつの作品としてみた場合に、今回のプリントは「これはダメでしょ」と思ってしまった。
デジカメ写真プリントってこんなのだったっけ?という思いが尾を引いて、他の写真展に行っても、ついプリントに食らいつくように凝視してしまい、本来の「写真鑑賞」の方法を逸脱してしまった。
他のところでは、それほどでもなかったので、ニコンサロンのがひどすぎたのだろう。なぜかなぁ。

ギャラリー・アビィでは「手にとる写真展」と称して、フレームに入れないでプリントを直に手に取って見るという”鑑賞方法”の企画展。
性質上、多くがサービスサイズぐらいのプリントやチェキなんだけど、数が出せるという事で手持ちの写真をドッサリという感じ。
だから逆に自分でセレクト出来るという禁断の鑑賞が可能なわけで。
その中にウスキサヤカさんという人の写真があって、この会場の前に訪れたAcru galleryにも出展していて覚えていたんだけど、スゴく可能性のある人だなぁと思った。
他の人とは違う視点を持っているし、物怖じしないし、瞬間を逃さないレスポンスもある。
うまく伸びれば化けるかもしれない可能性大。
あと一歩前に出て、瞬間をとらえた時にキチンとフレーミング出来るようになれば、すごくいい写真が撮れると思う。(そういう写真が見たいという事です)
勝手セレクトで気に入った写真を写真の束の前の方に集めておいたので、あとから来た人は最初に素敵な写真(セレクトby satobo)が見れるようにしておいた(笑)。




尾崎町1丁目の街並み 6
大阪府阪南市尾崎町1丁目
撮影 2014年7月12日 土曜日 17時05分
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頑固を溶かす薬

2015年02月14日 | Weblog
朝起きて、昨夜の「気持ち」を振り返り、「いやいや、そんなふうに考えるのは間違っている。別のとらえ方もあるはずだ」と”また”反省した。
性格が悪いので、勝手に思い込んで、勝手にヒートアップするのだが、他人の思惑などわかるはずもなく、自分で勝手に悪くとらえているのだ。
ものごとを悪くとって良い事などない事は、いくら性格が悪くても段々とわかってきた。
それでいてジョシが優しく接してくれたりなんかすると、好意を持たれているんではなどと勝手な妄想を抱いたりするのだから、どれだけものごとを悪くとっている性格なのかなんてわかったものじゃない。
ようするに身勝手な性格なのだ。
身勝手な上に、下半身と反比例して頭は固くなる一方で、頑固さは増々増していく。
こうなってくるとものごとの判断がつかなくなってくるので、ヤバいなぁと感じるわけだ。
ものごとに判断をつける必要もなければ、巷に跋扈する「クソジジイ」の一員として無責任に放言していればいいのだけれど、もう少しの間、世の中の事を知ってみたいという気持ちがあるので、柔軟な発想が必要なのだ。
それに曽野某のように、自分で「名誉白人」あるいは「アンクルトム」になっている事にも気がつかずに、「あいつバカじゃないのぉ?」って言われるような老人にもなりたくないしなぁと思うのだ。
とはいっても、日々自覚するほど頑固な性格はコンクリートが固まるように強固になっていくし、頑固を溶かしてくれる妙薬などないかと夢想するにまで至っている。
たとえば、有り余るお金があれば、ジョシをはべらせ、「何でも買ってあげるよ~ウヒィヒィ」と好々爺になれるんだけどなぁ・・・

頑固を溶かす薬とともに、下半身を溶かす薬も必要なようだ・・・




築地7丁目の街並み 2
東京都中央区築地7丁目
撮影 2014年8月11日 月曜日 12時45分
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