Nonsection Radical

撮影と本の空間

沼津にて3

2010年08月26日 | Weblog
大通りから道を1本入れば、生活の場が所々に見受けられるのは人が生きている証しでもある。

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沼津にて2

2010年08月25日 | Weblog
暑い夏には禰宜さんも涼しげな召し物となる。
日本家屋は本来夏の暑さを基準にして作られている。
当然神社も同様であろう。
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沼津にて

2010年08月25日 | Weblog
沼津駅前からブラブラ通りを歩いていると神社があった。
涼をとろうと境内に進むと黒服を着た女性たち。
神社であるから法事ではなさそうだ。
日陰に溶け込む黒い服と腕の明るさのコントラストに白く輝く石段が光る。
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冷気と異常熱のあいだ

2010年08月16日 | Weblog
某月某日
朝起きるとすでに部屋の中は30度を超えていた。
電車に乗ると冷房がキンキンしていた。
駅に降りると太陽がガンガンと照っていた。
バスに乗ると冷房がシンシンしていた。
会社まで歩く間にドンドン汗が噴き出した。
ズクズク濡れた服をエアコンで乾かした。
昼休みに出歩くと、真上からビシビシ太陽が突き刺さる。
戻ってくるとシャツもパンツもビチョビチョだった。
それをエアコンの風でビュンビュン乾かした。
そうしたらクシャミが止まらなくなった。
風邪をひいてしまったようだ。
コメント (2)
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パワースポット

2010年08月15日 | Weblog
某月某日
胸の振り子さんnamasuteeさんの街角の写真を見ているとパワースポットを撮影している事がわかりますね。
街角の「気」が溜まっているところにレンズで向けていますね。
なに?わからない?
それはあなたに「気」を感じる力がないからでしょう。
satoboもある時から「気」を感じる事が出来るようになり、レンズを向けるのですが、御両人のようには写りません。

よくパワースポット詣でをする人がいますが、あれはわかりやすいですね。
単純な誰にでもわかるパワースポットです。
神社仏閣などで「気」を感じる事も多いでしょうが、あれはもともとパワースポットである場所に神社仏閣を建てたのです。
それを感じやすいようにタテモノや木々の配置をそれらしくし、「おごそか」な雰囲気を作り出しているのです。
だからタテモノがエラいのではなく、その場所を見つけた「開祖」がエラいのですね。
そこに「気」が満ちている事を発見して、その場所に庵をもうけたのです。

でも、わざわざ特別な場所に行かなくても、街には「気」が満ちている場所が結構あるのです。
田舎に行くと、よく分かれ道に道祖神などがあったり、お地蔵さんがありますが、そういう場所に「気」が満ちているのです。
それを昔の人は感じる事が出来たのですね。
先の御両人もよく分かれ道を撮影していますが、その画像にも「気」が写っていますね。
きっとその「気」を感じてシャッターを押したのだと思います。
これを我々の業界では、「その気になる」というのです。

また分かれ道でなくても「気」が溜まっている場所があります。
それが光の加減や天候によって目に見えるようになる事があるのですね。
そこにレンズを向けると、なんて事のない写真のように見えるのですが、なにか引っかかるものを感じたり、違和感を感じる写真が得られる事があります。
そういう場合でも、絶対にこのように撮らないと「気」が写らないという「選択」があります。
それはその人の目の延長にレンズがならないとダメなんです。
レンズの延長とは、実際にはレンズの焦点距離の選択で、その人の見ている画角ともいえるかもしれません。
つまり感じたままを映像に固定するという技術が必要なんですね。
そうやって撮影されたものには「気」が写っているのです。
そこがパワースポットである証しですね。

さてみなさんはそういうパワースポットを感じる事が出来るでしょうか?
感じる事が出来れば、写真というのが面白く感じる事が出来るようになります。
今日は勘違いな話をお送りしました。(笑)
コメント (4)
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