江戸中期に、新野辺村から各地の酒造家へ出る出稼人が非常に多かったことが知られている。寛延三年(1750)には、「冬春作間ニ大阪酒屋米踏かせぎニ九拾人斗リモ参り申候」とある。
「新野辺村より各地酒造家への出稼(天明4、5年)」という資料によると、天明四年には28人、五年には32人が出稼ぎに出ている。驚くべきことに、その出稼ぎ先は、摂津、河内、和泉、紀伊、武蔵、上野、讃岐、安芸、豊後、肥前、北松浦平戸(十文字屋十右衛門、平野屋虎次郎、高橋屋茂三郎、平野屋銀右衛門)、日向、と全国にまたがっている。
米踏みかせぎの「かせぎ」は、漢字では「手偏に上下」と書く。米踏みという作業は、発酵させた米麹を踏み込むのだろうか。杜氏ではないと注してある。酒造りの特殊技能とも思えないのだが、この地方の者が特別必要なのだろうか。それがよく分からない。市史の筆者もその意味不明としている。
注目されるのは、加古郡新野辺村から北松浦平戸へ四名の出稼人が出かけていること。あやしい。
「黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志」(渡辺京二 洋泉社)は、「逝きし世の面影」の著者の新刊。
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米踏みかせぎの「かせぎ」は、漢字では「手偏に上下」と書く。米踏みという作業は、発酵させた米麹を踏み込むのだろうか。杜氏ではないと注してある。酒造りの特殊技能とも思えないのだが、この地方の者が特別必要なのだろうか。それがよく分からない。市史の筆者もその意味不明としている。
注目されるのは、加古郡新野辺村から北松浦平戸へ四名の出稼人が出かけていること。あやしい。
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