Nonsection Radical

撮影と本の空間

第三の女

2009年05月26日 | Weblog
某月某日
電車内でのアベック(死語)の会話。
♀「ねえ、どうして男の人ってさぁ、食べるの早いの?」
♂「???」
♀「二人で食べていて、おんなじように話をしているのに、男の方が食べるの早いじゃない」
♂「ンンンンン・・・」
♀「なんでなの~」
という会話がされていたのが、いつの間にか共通の友人?A子(英子、栄子、映子、永子にあらず)について♀が♂にどう思う?と質問(詰問)。
♂はフニャララとはぐらかしていたのだが、雰囲気的には♀がA子を「危険視」しているのがわかる。
♀「ねぇ、A子を男ってどう思っているの?」
♂「イヤ~・・・」
satobo「そんなのヤリタイかどうかで判断しているに決まっているジャン!」
と、背中越しに話をダンボにしている老人が答える(心中で)。
下車する間際に吊り広告を見る振りをしてその♀の顔をチラリ。
ハハ~ン。
何がハハ~ンなんだか・・・

こうやって♀はゲットした情報をまるで新型インフルエンザの伝播のごとく♀♀♀間に伝染させる。
つまり「共通の話題」を提供するわけだ。
共通の話題とは単にストレスのはけ口である場合が99.100%(99テン、100%と読む=十中十中と同意)なのだが、♂の場合は・・・

現在ではチェーン店の居酒屋がどこにでもあり(石巻にもあった=あって悪いか!)、行きつけの小料理屋などというものは希有の存在になっていて、カウンターの隅に藤竜也がお銚子を傾けている事などないのだが、そういう小料理屋(あるいは場末のスナック)というのが昭和の♂にとってストレスの発散の場であったのでR。
桂三枝の「六杯目の水割り」という歌にもあるように(誰も知らんがな)、♂は世間の憂さを家に持ち込まないために小料理屋(あるいは場末のスナック)で愚痴をこぼして、なぐさめられ、酔いどれ気分で帰宅したのでR。
もっとも中島みゆきの「ミルク32」のような逆の世界があったことを記録しておくことも重要であるが。

腹の中に(心に)抱えたものを持ち続けては♂は辛くて生きていけない。
そんな弱っちい♂に助け舟として小料理屋(あるいは場末のスナック)があったのだが、経済効率一辺倒になった島国では、その存在さえも淘汰され、チェーン店系居酒屋のバイトの店員に愚痴をこぼすわけにもいかない♂は中途半端な気持ちで(ファッションヘルスにも行く勇気がなく)帰宅するのでR。
もちろん帰宅しても愚痴を聞いてくれる相手はおらず、山の神や♂の存在を否定する子弟たちによって悪口雑言罵詈讒謗(クサイ、エロイ、グロイと)を投げかけられるのであるから、生命力は低下の一途をたどるのでR。

どこにもはけ口のない♂は、もちろん不倫やギャンブルに走る勇気もなく、悶々とした日常生活を繰り返すのであるが、ある日突然(=トワエモア)切れるのである。
もちろん+の方向に切れるのではなく、-の方向に。
それがいきなり「写真やめた」になるのであるが(苦笑)、その理由は初めの方に書いた♀のように「共通の話題」によって憂さを晴らす仲間がいない事による。
♀間に目に見えない熾烈なenvyが存在する事は、修理のかなったハッブル宇宙望遠鏡で銀河の先端を覗くごとく想像はされるのだが、それでも♂間における「おっと、これを言っちゃぁヤバくなる」という世界とは比較にならないのだ。
♂はすご~く狭い付き合い範囲しかない。
ほとんどが仕事関係である。
ここで愚痴を言うと命取りだと誰でも思う。
♂は♀以上に嫉妬深くて、揚げ足取りで、妬みやすく、傷つきやすい(笑)。
うかつな事をkansukeさんや胸の振り子さんに言うと(笑)、将来に傷がつく恐れがあるのだ。

女房には決して口には出来ない行為を第三者に行う事で♂は発散し、やっとこさ生き続けてきたのであるが、その第三者の存在が今は危うくなっている事で、♂はますます生命力を低下している。
それを公序良俗、健全育成と呼べば簡単であるが、荒波をか弱い身ですり抜けていく♂にとっては、どこか安全な港があればなぁとマドロスパイプを吹かせつつ思案する今日この頃なのでR。

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