Nonsection Radical

撮影と本の空間

便利さを知らない

2019年10月02日 | Weblog
最近のカメラのことを知らないのは、カメラ集めが趣味だったり”評論”したりするわけではないので、そうそうカメラの台数が必要ではないので買う必要がないからだ。
そして買ったとしても”あの”マニュアルを読んで多数の操作を覚えてようやくシャッターを押す事ができ、少し何かを変えようとするとまた”あの”マニュアルを開いて知りたい事以外しか書いていない中から必要とする箇所を見つけ出し、ようやく変更をかけるという難解さについていけない。
きっとそういう操作を覚えればいろいろな事が簡単にできたりするのだろうが、そうしたからといって思い通りの写真ができるかというと、それとこれとは違うことぐらいオトナだからわかっている。
そもそも初めて買ったカメラはコニカC35だ。
フィルムを入れて3つあるピントから選んでシャッターを切れば写真が撮れた。
究極のオートマチックカメラだった。
今でもなんの文句もない。
そして次に買ったのはニコンF2アイレベルだ。
フィルムを入れて絞りを選んでシャッター速度を合わせてピントを合わせると写真が撮れた。
究極のマニュアルカメラだった。
今でもなんの文句もない。
それからいくつかのカメラを買ったが、みんなマニュアルカメラで、どれも簡単に写真が撮れた。
露出を合わせてピントを合わせシャッターを切る。
それだけ。
その後デジタルカメラが登場して、コンパクトデジカメ(コンデジ)を買った。
これもシャッターを押せばとりあえず写る。
文句はない。
ところが立派なカメラになる程、操作が増えてどうしていいかわからないくなった。
覚えても次の時には忘れているし。
そこまでしないと写真が写らない不便さに嫌気がさした。
だから興味もなくなった。
最近の若い人は、そういう苦労も当たり前と思っているのか、ボタンやダイヤルがいっぱいあるカメラの操作を苦ともせず、だから逆にそんな事がバカバカしいとも思わずにいるようで、逆に”簡単に”撮れるための昔のデザインが古臭いと感じるようだ。
便利なんだけどなぁと思いつつ仕方ないかと気を紛らわせる。
最後に言っておくと、そうやってデジタルカメラをキビキビ扱えても素敵な写真を撮っているわけではないのはそういうものだからである。
コメント
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