Nonsection Radical

撮影と本の空間

なんで写真なんか撮るのか

2011年04月12日 | Weblog
もうイヤっていうほどそう聞かれる。
最初はいちいち説明していた。
でも無駄だとわかった。
自分の理解できる答えが返ってこないと人は理解できないのだ。
だからそれからは、相手が納得できるような答えをテキトーに答える。
理解できるような理由などないのだ。
また答える必要もない。
テキトーに「へい、ごめんなさい。まったく当方はスケベ心の盗撮野郎でござい」と逃げるだけだ。
写真なんてものは、家族や友達と撮るものだとか、きれいなお花を撮るとか、報道とかの「プロ」とかが、ちゃんとした理由で撮るもので、シロートがむやみに撮るべきものではない、と考えている人にとっては、役に立たない写真を撮る理由など言い訳でしかない。
全くその通り。
すべてそちらさんがおっしゃるとおり。
そんなことずっとずっと考え続けております。
自分の立場もわきまえております。
だから捨て犬のように下手に出て、言い訳もせずにごめんなさいするようにしています。
あやまるけれど、やめはしない。
そういうもんです、好きものは。
理解していただこうなどとは思ってもおりません。
まったくもって申し開きもできないゲス野郎でございます。
誰のためでもなく、自分のためにだけ撮っています。
それを不謹慎だと言われると、まったくその通りでございます。
不愉快だと言われると、申し開きも出来ません。
それぐらい写真を撮る価値も意味もない事は自覚しております。
でも写真を撮るってのは、そういうもんなんです。
コメント
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