3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

熊本大震災:災害立国日本のこれから

2016-04-18 10:35:34 | 現代社会論
熊本の大震災、大分、阿蘇とひろがり、大災害となっている。
なにしろ、遠いので支援もなかなか手がとどかない。

熊本城も無残に壊れてしまった。

地元の人々の心痛はいかばかりかと心からお見舞いを申し上げたい。
そういうそばから、どうもお見舞いなどといっているのは他人事にすぎないと思ってしまう。

活断層の上に暮らす我々は、太古からこの地震という災害に対峙してきた。
そのために再建可能なこじんまりとした生活をすることをある種の生活文化として身につけてきた。

東日本のときはフクシマがあったから問題は一層複雑化したが、5年たった今でも生活再建はできていない。
追い打ちをかけるように熊本である。

日本の住宅政策は、基本的住宅は個人の資産という考え方で、住宅の再建のためには税金は投入せず、あくまでも個人の自力でやらせるというスタンスでこれまでやってきた。
だから、資産もない脆弱な人々は住宅を再建することができず、ひどく不安定な生活を強いられるのである。

住宅は、社会保障の大きな柱である。

衣食住が確保され+医療介護体制があり、職があれば、たぶん精神的安定がはかられ希望がわいてくる。

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NHKを見ていると何をどう報道するかというポリシーが感じられない。
亡くなった人をルポルタージュするのも表面的すぎるし、かといって災害の大きさを地震研の先生をつれてきて話してもらっても、今、地震学を講じてもらってもねえ、とおもってしまうし、なにをしても意味がないように思えてくる。

女子アナが神妙な顔をしてその気もないのに黒い服を着て出てくるものいかがなものか。
熊本の大災害を遠い東京のキラキラした渋谷のスタジオでその気もなく喪服をきてでてきて報道する女子アナのその中身のないニュースを読む顔に辟易としてしまう。
すくなくとも甲高い声でバカみたいに早口で読むのだけはやめてほしい。
報道番組の女性アナはアルトでゆっくり話す人にしてほしい。

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リアリティが勝負である。
熊本の大災害をどのようなスタンスで何をどう伝えるのか、ワイドショー感覚ではなく、もっと深く考える必要を感じる。










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