渡辺淳一の小説をまともに読んだことはない。
しかし、私の履歴書を読んでいる限りでは、古いタイプのただのセクハラ医師であり、まったくもって胸糞悪い。
医療の現場では、医師は男で、看護師は女、という権力構造で成り立っていて、そういう構造を打破しようとして多分看護「婦」たちは闘ってきたのだろう。しかし、渡辺みたいな医師がいると職場の雰囲気が悪くなって本当によくない。
現在では、女性医師が増え、男性の看護師もわずかながら存在するようになり、だいぶ、空気も変わっているように思える。が、ああ勘違い医師は殲滅されたというわけではない。何やっても言っても許されるというような殿様気分の医師という空気は完全に払拭されているとは言えない。
今の職場では、人事権をもっているような特定の男性職員が、特定の女性職員と常に仕事をするというようなことはなるべく避ける。
男女、入り混じって、それぞれチームでよい仕事をしようという雰囲気を作らないと、ジメジメした男女関係なんかが入り込んだ日には血を見ることになるから避けなければならない。そういう状況だと、だいたいよい仕事ができないものである。
医療でもどこでも同じだ。
しかし、前述のようにああ勘違い男がいて、つい「美人」で「若くて」「仕事ができる」ように見える特定の女性を引き上げたりすると大変である。
女性の多い職場では特に成り立たないのである。いかに平等に扱うか、そこに細心の注意を払わなければ管理職とはいえない。
渡辺淳一は医師として職場の特定の看護婦と親交を結び、この女性を妊娠させ、しかも臆面もなく中絶させたと書いている。むちゃくちゃだ。胸糞悪い。
この女性は読んでいるのだろうか。公然の秘密だったと書いてある。記事を読めば関係者はすぐに察するだろう。
そんなことを新聞に書く神経、どうかしている。
多分、何年も経った今でもその女性の傷は癒えていないだろう。分かっているのだろうか。著名な作家だから許されるとでも思っているのだろうか。
小説であれば許されるだろう。しかし、私の「履歴書」なのだ。
書かれた女性はさぞや傷つき、いたたまれないだろう、と思うと、読んでいるこっちまでも傷つく。
「・・・・ともかくその日、わたしは彼女のアパートで待ち、堕ろしてきた彼女に「ごめんね」といって、抱き締めた。・・・」
女性は次にどのような行動にでたのか、昭和30年代か40年代初頭の話だ。女性はだまって引き下がったのだろうか。
なにがごめんね、だ。私だったら「ふざけんな」といって男をぶん殴るだろう。
こんなことを掲載する日経の見識も疑いたくなる。
私の履歴書と言う名のあやしいエッセイというつもりなのだろうけれど。
もっとも嫌いなタイプ、絶滅して欲しい男のタイプである。
PS 私が職場の上司だったら、早期にふたりを別の部署に異動させるだろう。同じ職場で親密な男女が仕事をすると他の職員の士気が落ちるからである。いちいち男女の仲になっていたのでは、まともな仕事はできない。公私混同甚だし。男女雇用均等法を貫徹するには私情を持ち込まず、男も女もfairなルールで働くことが前提である。
しかし、私の履歴書を読んでいる限りでは、古いタイプのただのセクハラ医師であり、まったくもって胸糞悪い。
医療の現場では、医師は男で、看護師は女、という権力構造で成り立っていて、そういう構造を打破しようとして多分看護「婦」たちは闘ってきたのだろう。しかし、渡辺みたいな医師がいると職場の雰囲気が悪くなって本当によくない。
現在では、女性医師が増え、男性の看護師もわずかながら存在するようになり、だいぶ、空気も変わっているように思える。が、ああ勘違い医師は殲滅されたというわけではない。何やっても言っても許されるというような殿様気分の医師という空気は完全に払拭されているとは言えない。
今の職場では、人事権をもっているような特定の男性職員が、特定の女性職員と常に仕事をするというようなことはなるべく避ける。
男女、入り混じって、それぞれチームでよい仕事をしようという雰囲気を作らないと、ジメジメした男女関係なんかが入り込んだ日には血を見ることになるから避けなければならない。そういう状況だと、だいたいよい仕事ができないものである。
医療でもどこでも同じだ。
しかし、前述のようにああ勘違い男がいて、つい「美人」で「若くて」「仕事ができる」ように見える特定の女性を引き上げたりすると大変である。
女性の多い職場では特に成り立たないのである。いかに平等に扱うか、そこに細心の注意を払わなければ管理職とはいえない。
渡辺淳一は医師として職場の特定の看護婦と親交を結び、この女性を妊娠させ、しかも臆面もなく中絶させたと書いている。むちゃくちゃだ。胸糞悪い。
この女性は読んでいるのだろうか。公然の秘密だったと書いてある。記事を読めば関係者はすぐに察するだろう。
そんなことを新聞に書く神経、どうかしている。
多分、何年も経った今でもその女性の傷は癒えていないだろう。分かっているのだろうか。著名な作家だから許されるとでも思っているのだろうか。
小説であれば許されるだろう。しかし、私の「履歴書」なのだ。
書かれた女性はさぞや傷つき、いたたまれないだろう、と思うと、読んでいるこっちまでも傷つく。
「・・・・ともかくその日、わたしは彼女のアパートで待ち、堕ろしてきた彼女に「ごめんね」といって、抱き締めた。・・・」
女性は次にどのような行動にでたのか、昭和30年代か40年代初頭の話だ。女性はだまって引き下がったのだろうか。
なにがごめんね、だ。私だったら「ふざけんな」といって男をぶん殴るだろう。
こんなことを掲載する日経の見識も疑いたくなる。
私の履歴書と言う名のあやしいエッセイというつもりなのだろうけれど。
もっとも嫌いなタイプ、絶滅して欲しい男のタイプである。
PS 私が職場の上司だったら、早期にふたりを別の部署に異動させるだろう。同じ職場で親密な男女が仕事をすると他の職員の士気が落ちるからである。いちいち男女の仲になっていたのでは、まともな仕事はできない。公私混同甚だし。男女雇用均等法を貫徹するには私情を持ち込まず、男も女もfairなルールで働くことが前提である。
気持ち悪いですよね。朝からあんな履歴書、読みたくないです。書いている本人は得意になっているのでしょうね。日本もまだまだです。
21日の記事もひどい内容でしたね。
なんだか悲しくなりました。
イタい男に引っかかるとこんな何十年も経過してから不愉快な思いをさせられるものなのかと、戦慄を覚えます。
女性がお気の毒です。
昔、どれほど傷つき、哀しかったことか。。。
何十年経ってからも、こんなことを書かれるなんて
信じられない。
ご家族の方もいらっしゃるだろうに。。。
過去に、このひとの書いたものを読んだことさえも
いやになってしまいました。
私も全く同感です。
今日の記事も家族を北海道において東京に出てきて、ホステスと看護婦の二股かけたことを自慢げに書いていて本当に寒気がしました。
先日の堕胎についての記事では、あまりにも気分が悪かったので日経にメールをしましたが、なしの礫です。
テロ被害者の実名報道についての言い訳といい、最近の日経は本当に質が落ちたと言わざるをえません。
サイコパスだと思う。
皮肉にも前立腺がんだったとのことです。
侍魂とは甚だかけ離れた生き様には開いた口がふさがりませんでしたが、同じ様に思う人もこれだけ多くて驚きです。
大抵は妄想で終わるのだけれど。
だけど女性の体を傷つけるのは良くないですよね。