3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

高橋源一郎が吉本隆明を追悼する

2012-03-21 10:21:07 | 現代社会論

19日の朝日の文化面で、高橋源一郎が吉本隆明を悼む、を書いていた。

「彼のことばは、他の人たちと同じような単語を使っているのに、もっと個人的な響きを持っていて、直接、自分のこころの奥底に突き刺さるような思いがして驚いた」
「この思想家だけは、いつの間にか自分の横にいて、黙って体を動かす人であった」
「どんな思想もどんな行動もふつうは、その正面しかみることができないが、吉本さんは、正面だけではく、その思想の後ろ姿も見せることができた」
「どんな思想家も、結局は、ぼくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ぼくたちの前で、ぼくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった」

「『この人がほんものでないなら、この世界にほんものなんか一つもない』と僕は思った」と高橋源一郎は書いている。
吉本隆明が逝き、高橋源一郎はひとりになったのだ。
源一郎の初恋にも似た吉本隆明への思いはこの世代の共通した思いだろう。

吉本がいて、源一郎のような作家が生まれた。
その文化的なサイクルが日本の文化をまともにし、まともな文化を創ってきたように思う。
戦中派の生きる姿を次の源一郎の世代が受け継いでいる。

しかし、それからあとは脆弱だ。
なぜか?

吉本隆明を知らずに作家や思想を語る人になってしまったものが多過ぎるからなのかもしれない。

それにしても、1968年当時の吉本隆明の写真はかっこよすぎる。
これではだれもが彼に恋をしてしまうだろう。
コメント (1)
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