3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ドイツの原発全廃の長い歴史ー 熊谷徹『なぜメルケルは「転向」したのか』

2012-03-14 08:56:16 | 現代社会論
熊谷徹の本を読んだ。70年代からのドイツの原発反対運動、緑の党の動きなどがよくわかった。

3.11のフクシマの事故を受けて、ドイツはいち早くエネルギー政策の転換をした。
6.30、原子力法を改正し、2022年12月31日までに原発完全廃止を決定したのだ。
なんとすばやい転向。メルケルはライプツィヒ大学で理論物理学を専攻したいわゆる理系の首相であるが、基本的に原子力擁護派だったから、その素早い政策転向には驚かされる。

第2章ドイツ原子力40年戦争、を読むとドイツがいかにして原子力発電所建設に対し議論を続けてきたのか、過激な運動、穏健派いろいろな勢力が絡みながら今があることがわかる。

ミュンヘンの北にあるガルヒングという人口16000人の小さなまちは、1957年に研究炉ができた町として有名だとのこと。日本でいえば東海村である。同じ時期に日本もドイツも原子力の平和利用に夢を膨らませ、経済成長を邁進してきたのだと思う。

1973年にライン河畔に原発をつくろうとしたところワイン農家の農民たちが、原発の蒸気で地域の気候がかわり、ぶどう栽培に悪影響がでると反対したのが最初なのだそうだ。
1979年の3月にアメリカのスリーマイルアイランドでおきた炉心溶融事故でさらに反対運動は活気づき、1986年のチェルノブイリで決定的に反対運動は拡大していった。
1980年die Gruenen 緑の党がカールスルーエで結成されることになる。党の綱領は次の4つを掲げている。

1.エコロジー
2.社会的な不公平の排除
3.権力の集中を防ぎ、草の根民主主義の重視
4.非暴力主義

環境保護と社会的平等を草の根の民主主義で非暴力で実現するということなのだろう。
社会的平等を環境とともにかかげるところが単に温暖化防止や環境にやさしいをあげる環境のとりくみとは異なり、骨太だ。
エコロジーの視点とソーシャルな視点を併せ持つことによって持続可能な社会をつくるというサスティナブルな立位置がすばらしい。

日本の環境問題への取り組みは権力や平等というような視点を欠いているような気がする。そういう視点をもった団体や運動は少ない。
多くの場合、環境にやさしいを標榜しながら、せいぜいエコバック、電気をまめに消しましょうでおわっている。それはそれでよいし否定しないけれど、権力とどう向き合うのか、社会的不平等とどう闘うのかというような視点が脆弱でものたりない。

スリーマイル、チェルノブイリからほとんどなにも学ばない日本のエネルギー政策、いったいこの責任はだれがとるべきなのだろうか。

すくなくとも車社会からは脱却、電車移動、トラムと自転車、徒歩の生活文化に切り替え、遠距離通勤もやめ、コンパクトシティに転換すること、そのためには、東京一極集中はやめるしかないだろう。
埼玉の奥から車で都内に通勤したり、押し合いへし合い地下鉄に乗って、大手町に通うのはよくない生活スタイルなのである。

世界のどことでもスカイプはつながるのだし、テレビ会議も可能、情報は一瞬にして世界から集められる社会になったのだから、リスクを分散するためにも、一極集中はやめよう。
「限界集落」に街まるごと引越ししてしまうとか、会社丸ごと引越しもありかもしれない。

何にも増して、子どもを育てるには豊かな自然のなかがいちばんなのだから。




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