3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

白井光子さんの日本歌曲―「霧と話した」で思わず泣きました

2012-03-19 11:59:19 | 音楽ノート
3.18は白井さんの日本歌曲のコンサートに行った。
雨もようだったが、沢山の白井さんのファン、歌曲ファンが日曜日の昼下がり、東京文化会館小ホールに集まった。

ヘルさんのピアノは素晴らしかった。
日本歌曲をどこまで理解しているのかわからない。当然、ドイツ語訳では深く理解しているはずだが、日本人のピアニストでもあのように理解し、細部にこだわり、0.0001を表現しようとすることができるひとはいない。
それくらい、すばらしいピアノだった。まさに歩く芸術。

ヨーロッパ的なヘルさんと白井さんの日本が融合して醸し出すすばらしい世界だった。ヘルさんは日本歌曲のすばらしさに惚れ込み、底の底までこだわり、その深さを表現しようと挑戦的だったと思う。
二人の芸術に向かう厳しい世界のぶつかりあい、歌い手とピアニストの激しいせめぎあいも見せつけられた。この厳しさは芸術性を追求すれば当然なのだろう。決して馴れ合うことなく、一歩も譲らず、追求する。男女、夫婦であるとさらにそこに別の要素が絡み合い、さらに複雑化していく。

アンコールにこたえて、何曲も歌ってくださった。

「霧と話した」で、「私はやっぱり泣きました」のところで、白井さんの声が涙声になったような気がして、私も泣いてしまった。
それは、このふたりの後ろにあるそれぞれの人生を知っているものにとってのみ涙のわけがわかるというもの。

日本歌曲は歌詞がよくわかるだけに、歌う方も聞く方もつらいものである。
ドイツ歌曲にしても、歌詞を深く理解すればするほどますますもって難しくなるものだ。
初心者はメロディの美しさのみでとびつくが、少し慣れてくるとやはり歌詞の美しさに魅せられる。
歌曲は人生そのものを表現するツールなのだ。

コメント
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