新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

私を誤解していた

2013-09-25 09:49:49 | 私の声
 生活のなかで、比較的掃除のこととなると、「後で・・・」と言ったことばがきていたように思う。掃除と掃除の間隔が長かったり、ときには頻繁になったりもしていたが。そんな自分を「掃除が嫌い」と思っていた。なんの疑いもなく、自分のことを決め込んでいたようだ。この度、床の色を選ぶ際にも、「床の色が濃いと汚れが目立つから」と言っていたのだから、確かに掃除に対しては消極的な姿勢がうかがえた。ところが、全体の色彩の関係からか、結果的に濃い色の床になっていた。すると、まず手が伸びていっているではありませんか。小さな小さなごみに。さっさと掃除に取りかかってしまえているのだから。「掃除をしなければ」ではなさそう。人が人を誤解すると言ったことは、よく耳にしてきたが、他人のことどころではない。自分が自分を誤解していることに、なかなか気付きにくいようにできている。誤解三昧だ。気づけてまた幸せにならせてもらえた。

種まき上手

2013-09-24 09:50:52 | 私の声
 庭に出て腰を二つに折り曲げて、除草していた。立ったままでは見落としてしまいそうな、小さな雑草たちに手が伸びる。根こそぎ抜くのに、指先で摘もうとするには小さすぎる。しかし、ほっとけなくさせてくれるのだ。その5ミリか1㎝ほどの姿にだ。虫眼鏡が必要と思えるほどの花を、先端にちゃんとつけているのだから。「この世にあなたは、種まきにきたのね。」と語りかけながら、その種まきを妨げる作業に専らになっている。

道草をくいましょう

2013-09-23 10:45:30 | 私の声
 宿泊のホテルから研修会場までの道々、カヤツリグサ・アカマンマ・メヒシバ・ネコジャラシ・マツヨイグサ等に目が止まった。十六夜の月を空に残した涼風に揺れ、どこか優しげで懐かしさが感じられて、思わず手折って花束になっていた。どの名前にも、いつどなたが付けたか知らないが、その方の想いに想いを至らせていた。歩くっていいものだなあ~。ゆっくりキョロキョロしながら。

ことばを空気に触れさせる

2013-09-22 11:00:28 | 私の声
 昨日、カウンセリング研修会を終えて、山形から帰ってきたところである。「立待月」(17夜の月)を夜空に仰ぎながら。「『ことばを空気に触れさせる』って詩的な響きに聞こえました。」と。「ことばを空気に触れさせるって、大変なことだなあと思いました。「ことばを空気に触れさせるって、・・・」等など、研修会に出席していた方が、ご自分のところをことばにして、空気に触れさせていました。ことばを空気に触れさせ合って、「今・ここに居たのね」と自身がはっきりにならせていただき、そして、もう一人の独りの人間(ひと)に聞いていただけた、意義深いときになっておりました。

救われた「ことば」

2013-09-18 05:49:39 | 私の声
 私はことばに救われた。救われ続けられている。今、あえて取り上げるならば、「ことばにして考えさせ(感じさせ)ていただける」である。それまでは、考えてからことばにする・言うであった。視点が全く違った。教育に携わっている者の視点が問われなければならないのだが・・・・・・・。「  」内のことばは、人間を育み合わせてくれるという深さを宿している。教育者よ!目覚めよ!。そうなれば、「考えてから手を挙げなさい・分かった人、手を挙げて」など言える訳がないのだ。そこには、おのずから「思いやり」が生まれ、生き生きした学び合いの人たちで満ちるのだ。