サッカー日誌 / 2010年05月17日


岡田監督の選んだ23人(下)


小笠原を選ばないのは当然
W杯日本代表メンバー発表(5月10日)

★専門誌編集長の発言
 ワールドカップ日本代表23人を発表する記者会見はテレビ中継で見た。ぼくの見ていたチャンネルにサッカー専門誌の編集長が登場した。その人の発言には驚いたね。この人はジャーナリストなのか? それともファンなのか? 
 発表前に登場して「選んでほしい」選手の中に小笠原満男をあげ「入っておかしくない」といい、発表後には「選ばれなかったのは残念」とコメントした。小笠原のファン、あるいは鹿島アントラーズのサポーターであれば、気持ちを率直に言うのもいい。しかし専門家としての発言としては、とんだ見当違いである。
 「ぼくが監督なら小笠原を選ぶ」というのであればまだしもである。監督として小笠原を中心にチームを作る構想もありうるからである。しかし、ここは岡田武史監督が誰を選ぶかを論じている場合である。岡田監督のままで小笠原を使えというのだろうか?

★王将2枚は使えない
 岡田監督は、就任当初から中村俊輔を中心にチームを組み立てようとしてきた。俊輔がチームの王将だった。異論はあるだろうが、それが岡田監督の「選択」だった。そこに、もう一枚、王将を加えることはできない。「両雄並び立たず」という。王将は一枚だけでなければならない。
 小笠原はJリーグ・チャンピオンのキャプテンであり、MVPである。いわば鹿島アントラーズの王将である。その小笠原を、この段階で香車か桂馬として使おうとしても、うまくいくはずはない。
 飛車と角として大駒を2枚使う手がないわけではない。ただし、そうするつもりであれば、早い段階から俊輔と小笠原を並べて使ってみるべきだった。それも「一局の将棋」だったかもしれない。しかし、岡田監督はそういう盤面は選ばなかった。

★選ばれなかったのが名誉
 「いまの日本代表ではワールドカップは戦えない」という声は、ぼくの周辺にもある。どうせダメなのであれば、大会まで、もう時間的に余裕のない時点ではあるが、一か八かで駒を総取換えする手もある。
 かりに、そういう手を使うのであれば、単独チームを核とした日本代表チームを編成するしかないだろう。1936年、ベルリン・オリンピックのときの日本代表は早稲田大学が中心だった。1974年、西ドイツ・ワールドカップのときのオランダは、アヤックス・アムステルダムが中心だった。その前例にならって鹿島アントラーズを中心にするのであれば、王将は小笠原だ。ただし監督は岡田武史ではあり得ない。オズワルド・オリベイラである。
 岡田監督が小笠原を選ばなかったのは当然である。小笠原にとって、選ばれなかったのは不名誉ではない。むしろ、その秀でた個性を証明するもので名誉だと言ってもいい。

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