ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




トモ薬局。品川区北品川2-9。2004(平成16)年1月11日

「北馬場表参道通り商店街」は第一京浜と旧東海道の「北品川商店街」を結んでいるが、その中間あたり。上の写真を撮った頃は「新馬場北口通り」とか「サクセス商店街」とかいっていた。トモ薬局と木村家和菓子店との古い店舗が並んで建っている。
木村家は明治25年の創業という老舗だというが、ごく当たり前の店先がいい。下の写真では永峰電気商会だった建物が取り壊されて木村家の横が見えている。永峰電気の建物は、Googleマップの航空写真で見ると、看板建築の古い店舗だったらしい。
新馬場商店街』の「昭和の北馬場」の13枚目の写真に木村家が看板建築にする以前の写真が載っている。永峰電気の銅板貼りの看板建築の店舗も半分だけ写っていて、「マツダランプラヂオ」の看板がかかっている。昭和20年代の撮影かと思える。



木村家和菓子店。2013(平成25)年9月22日


紅屋書店。北品川2-9
2000(平成12)年3月1日

木村屋のすぐ並びの元本屋だった家。現在は壁面と2階の窓を改装したので、銅板貼りの壁と木の窓枠の窓は失われた。
既出の「昭和の北馬場」11枚目の写真右端が伊勢屋(甘味処)で、その左の看板建築が紅屋の建物ではないかと思う。だとするとその左のベランダのある出桁造りの家は野口畳店(現・セゾン品川)になる。

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共済ビル。千代田区富士見1-7
左:1985(昭和60)年8月4日、右:2004(平成16)年1月3日

現在、早稲田通りの日本歯科大の北に角川第3本社ビルがあり、その向かいに写真の共済ビルがある。右の写真が現在の様子。ごく地味なビルで、いつ建て替えになってもおかしくないような建物である。
左の写真はビル全体に網がかけられ、日が当たっている面は網が日を反射して白く飛んでしまっている。回転式の窓や水平に伸ばした窓の上下の縁、角に設けた入り口などが震災復興期のビルであることを示しているように思う。入り口周りはタイル張りにしているが、昔はビルの壁の全面がタイル張りで、入り口周りだけ修復したものだろうか。
1970年の住宅地図には共済ビルのテナントとして「国家公務員共済組合連盟、学陽書房」とあり、ビルの名称はそこからきているらしい。「学陽書房富士見営業所」の張り紙が今も窓に出ている。

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古久正化粧品店、埼玉屋商店
千葉県野田市野田318。2006(平成18)年3月18日

流山街道(県道17号)の野田市下町(しもちょう)交差点と愛宕神社前交差点の間の中間あたり。すでに廃業しているが、古い商店だった建物が2棟並んで残っている。アクセサリーと化粧品の「古久正」と「埼玉屋商店」の看板がまだ出ている。
古久正のガラス戸には「古久正支店」の文字がある。そのままになっている看板にかかれた商品は、古い言い方の「小間物屋」がピッタリくる。「パピリオドオル化粧品」はぼくには覚えのある名前と書体だが、いつ頃みたものだかすでに覚えていない。
埼玉屋は荒物屋だったという。(『「利根運河研究会」利根運河ウォッチング』
とうかつ歴史散歩>野田の文化と興風会館』に商売をしていた頃の写真が載っている。やはり受ける感じがまったく違う。歩道にはアーケードがあり、古久正の一階の屋根に正式の?看板が載っている。タバコも売っていた。

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奥宮薬局。千葉県野田市333。2006(平成18)年3月18日

流山街道(野田の商店街では本町通り)の千秋社(旧野田商誘銀行)の向かい側にある元商家。『時空散歩 野田散歩;醤油醸造の文化遺産を辿る』によれば「奥宮薬局」だった家。写真では塀で隠れてしまったが、ショーウンドーが造られている。
下の写真は奥宮薬局の隣―たぶん同じ敷地だと思う―に建つ、奥宮歯科医院の平屋の洋風の家。上の写真の右端に看板が立っているが、今はなくなっているので、閉院したと思われる。



奥宮歯科医院。2006(平成18)年3月18日

当ブログ前回で紹介した『野田の金融と商業』というサイトの「明治末期の野田町下町を描いた鳥瞰図」を見ると、奥宮薬局の位置に「野田人車鉄道株式会社本社」が描かれている。ただし、雲の中に描かれているので場所、あるいは時代が異なるということらしい。
本町通りには「野田人車鉄道」の軌道が敷かれていた。明治の昔は醤油の輸送はもっぱら江戸川の船運に頼っていた。江戸川まで運ぶのにトロッコがあれば輸送力が上がるだろうと、1900(明治33)年に営業が始まった。本町通りの場合は下町(しもちょう)交差点から愛宕神社前交差点の手前辺りまでらしく、明治期には本町通りの両側に醸造所や倉庫が存在していたということだ。奥宮薬局のすぐ南に千葉興業銀行があり、その横の道路は江戸川河岸までの人車鉄道の支線が敷かれた道である。

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元商家。千葉県野田市335。2006(平成18)年3月18日

流山街道(野田の商店街では本町通り)のキッコーマン本社のすぐ北にあった出桁造りの元商家。今は取り壊されて駐車場になってしまった。

下の写真は隣の、高さは少し劣るが間口はかなりある出桁造りの家で、接して建っている倉庫に「中村商店倉庫」の文字があるから中村商店の店舗だったのだろうと推察できる。航空写真を見ると倉庫の裏に住居の母屋があるようだ。店舗は前面に荷物の入出荷作業をするための作業場をとったらしく、通りから後退して建っている。



中村商店。2006(平成18)年3月18日

野田の金融と商業』というサイトに「明治末期の野田町下町を描いた鳥瞰図 茂木勇右衛門氏画(茂木勇右衛門家所蔵)」が載っている。その図の中央右手に「太田屋」があるが、それが中村商店の建物とその配置が同じに見える。文章には「太田屋は中村熊次郎商店とも称し、明治から大正時代にかけて旅館を営業する一方で石炭の販売を行い、大正6 年( 1917 ) 頃からは肥料の取扱いも開始して、野田町外にも広い商圏を持つ石炭・肥料商へと成長します。」「中村商店は現在、石炭・肥料の販売を行っていませんが、商家建築の店舗は現存し、かつての店内には取扱肥料の看板が残されており、その商売ぶりをうかがうことができます。」とある。
建物は、たぶん倉庫も含めて明治末に建てられたもののようである。

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かねこや。千葉県野田市野田264。2006(平成18)年3月18日

流山街道(県道17号、この辺りでは本町通りともいう)の野田市下町(しもちょう)交差点のそばに残っている古い商家。婦人洋品店だが事務服・作業着の専門店だ。出桁造りの家だが、前面の壁と軒下をモルタルで覆っていて、屋根からくる桁を隠している。耐火性を高めるために蔵造りの家に倣って改修したものだろうか。
アーケードがあるが、この辺りではかねこやと右隣りの福田屋(煎餅)の前だけ。次にアーケードが現れるのは、だいぶ北へいった野田郵便局の先である。昔は下町交差点から愛宕神社前交差点の両側にアーケードが続いていたようだが、今は愛宕神社前から京葉銀行の辺りまでの古い商店の前に点々と残っているだけになってしまった。


須賀神社。野田31
2006(平成18)年3月18日

かねこやの向かい側にある小さな神社。蔵の本殿が珍しいと思って写真を撮ったものだ。その後、東日本大震災で損壊し、2012年に建て替えられた。航空写真を見る限りでは、復元した形のようだ。

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イトックス株式会社。墨田区文花3-10。2009(平成21)年1月19日

当ブログ前回の宮田通り沿いの長屋(2枚目写真)の奥の木立に囲まれたモルタル塗の建物が「イトックス株式会社」で、路地との角のミラーの後ろにその看板が立っている。その建物はかつての工場の事務所棟で、現在はイトックスの本社らしい。宮田通りに面して工場の入り口がある。上の写真がそれで、建物はたぶん倉庫だったものだろう。「伊藤ホーロー工業」という工場だったが、今も工場の建物はそのままで、月極駐車場にしているらしい。
イトックス』によると、「大正10年10月、現在地に「伊藤鉄工所」を設立して製缶鈑金作業を開始。昭和7年10月にホーロー機器の製作を開始。昭和12年3月、江戸川工場が完成し、製缶部・機械部門を移転。昭和23年3月、「伊藤ホーロー工業株式会社」に改組。平成3年11月「イトックス株式会社」に社名変更」ということで、今は従来のホーロー機器の他に、倉庫などの物流施設、マンションなども建設して運営しているようである。文花の工場もマンションにする計画があるようだ。



山口刃物製作所。文花3-10。2009(平成21)年1月19日

イトックスのすぐ並びに「山口刃物製作所」がある。山口勇氏(昭和2年生まれ)による手作りの包丁を作っている工房・販売店だ。店の右の窓は包丁などを飾ったショーウンドーになっている。
包丁屋.com>山口刃物製作所の略歴』に載っている長屋の写真は、イトックスの向かいに現存している四軒長屋かもしれない。写真の電柱の「あつき靴店」が写真右の家だとすると、1985年の住宅地図にある「クツあつぎ」と一致する。



イトックスの向かいの四軒長屋。文花3-8。2013(平成25)年3月19日

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