
第二帝蚕ビル。横浜市中区山下町71。1997(平成9)年6月2日(3枚とも)
写真右端に旧横浜市外電話局がわずかに写っている。そこが本町通りの大桟橋入口交差点で、第二帝蚕ビルが立っていた場所もすぐにイメージできる。街中に昔から変わらないものがあるのは、街の変化の指標にもなっている。
第二帝蚕ビルはこれという特徴もない小さなビルだが、大通り側の大きな丸窓が効いている。現在の田辺商事本社ビルにある5つの円形の壁画はこの丸窓を引き継いでいるのかもしれない。写真右奥に赤十字の付いているのは日本赤十字社のビルで、写真ではくっついてしまってそこまでが1棟のビルに見えてしまう。
『日本近代建築総覧』に「(旧南里貿易)、建築年:S11、RC3、設計:復興建築助成㈱、施工:竹中工務店、地1」となっている。「第二」とは北仲通にあった帝蚕ビルに対しての名称で、『神奈川の近代建築』では帝蚕ビルを「帝蚕倉庫第一ビル」としている。帝蚕倉庫の沿革によると、帝蚕倉庫がこのビルを取得したのは昭和44年4月だ。

日本赤十字社神奈川県支部
山下町70
『総覧』によると「建築年:S9、RC3、設計:県営繕管理局、施工:清水組」である。
2008年に解体されて、同じ場所にビルが建替えられた。新社屋はつい先日の3月27日が落成式だった。
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第二帝蚕ビルの丸窓を見れば、どうしても現在のビルの丸いレリーフと結びつけてしまいますよね。